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早田英志のスーパー人生論 第十回    ~死なない限りは問題ない~
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早田英志のスーパー人生論 第十回    ~死なない限りは問題ない~

2017-12-11 02:15

    ゙殺されない限りは問題ない”

    長らく寄稿せず会員の皆様に大変失礼をいたしましたので、今回は少しインパクトのある、
    私のスーパー人生論のリターニングポイント(岐路)におけるホットなロジック(理論)を
    披露したいと思います。                       
    この章題は本来私のスーパー人生論シリーズの最終結論的な題目で、もっと後の方で論じよう
    と思っておりましたが、最近の我が国の風潮を見ますに今声高に叫びたい心境でもあります。
    無論私のブログはまだ続きます。
    このタイトルから私の人生論シリーズのテーマーなるものが読み取れるように、
    まさに人生すべからず死なない限りは問題ないのです。
    言い換えれば、”殺されない限りは問題ない”、ということです。
    さらに厳しく言い換えれば、”自分が殺される状況になったら、逆に相手を殺ってしまえ”、
    と言っても過言ではありません。

    さて、超時間労働や長時間残業による過労死などとは他人に殺されるのではなく
    仕事に殺される(本当は会社に、上司に殺されている)、なんと理不尽なことでしょう。
    兵士や警察官が仕事で殉死するのとは訳が違うのです。
    しかしながら、結論を先に言えば、それには単純明解な防御策があるのではないでしょうか。
    そう、誰でも思いつくように単に止めれば良いだけのことです。
    毅然と残業拒否すればよい、でなければ退職すれば良いでしょう。
    それができない理由に他の会社で良い仕事が得れそうにない、
    せっかく入ったその一流会社で出世コースにあるからというのであれば、
    金がすべての守銭奴商人が寝る時間も惜しんで働きずくめで金のために過労死するのと
    何処が違うかと問いたい。
    この種の問題の解決策は正に本人の意思の明確さと強さだけであります。
    まさか死ぬようなことはあるまいと過労を続けていれば何時かは体力の限界に達して
    お陀仏だね。
    しかもその苛酷な状況に耐えられないからと言って自殺するのであれば、なにをか言わんや、
    なんの解決策にもなっていないではないですか? なんのための労働だったの?と、言っても
    心身ともに疲労こんぱいの彼(彼女)の精神状態がいかような発作を起すか誰にもわからない
    けどね。
    カトリック(他の宗教でも)の信者は自殺を神の意思に反する悪と強く感じるのでその場合
    自殺に向かわないだろうけど、その本人の精神的バックグラウンドに何があるかで死なずに
    済む。それが人生観の微妙な部分に左右され、精神力が消耗すると結論を急いでしまう。
    一種の過労パニック状態とでも言えるのだろうか。                      
    人生はつまらない、生きていてもしょうがないとか生きる願望を拒否する観念が急激に増長
    するのであろう。
    それを人生の価値観の違いと言っては片付けられない。人間の条件とは、生きる条件とは、
    そんな人によりけりの生易しいものではなく万人共通の人生の必要十分条件でなければ
    ならない。            
    この無限に広い宇宙の中のただ一点に生まれてきた自分の命、(神に、などと言わない)
    運命に与えられた自分の生命、それを全うすることが幸福論の原点であり、
    いかに全うするかが幸福論のすべてである。
    この世に生まれてきた以上、できるだけ幸福な人生を送るように努力することがすべての
    人間の目標、課題であろう。
    生きていくということは簡単なようであるが、自己の幸福を実践達成していくのは非常に
    難しい。それが人生の面白みである。
    それが幸福論の根幹をなしている所以であるが、誰の人生においてもその価値観の根底に、
    ”死なない限りは問題ない”、という概念を堅持していなければならない。
    それが即ち、私のスーパー人生論シリーズの結論、信念、信条、なのである。

    会社や役所の上司のいじめ(ハラスメント)で自殺するなどもってのほかだ。
    自分が死んだらすべては終わり、完敗ではないか。誰のため、何のために死ぬのだ。
    自殺するぐらいの勇気があるのだったら逆にその相手を殺してしまえばよい。
    そのあと刑務所に行っても何十年後かの冥土での想いはまったく違うだろう
    (殺されていたより、殺していた方が良かった、と)。
    悪辣な上司への報復手段は殺さなくとも半殺しの方法が幾らでもある。
    そいつの自宅付近の夜の街角で丸たん棒を背後に隠し持ち頭巾でもかぶって変装して、
    背後から膝頭めがけて一発お見舞いするとそいつはまずビッコだ、
    でなくとも数日欠勤のあと出勤してくるそのアホ上司はあなたに怯えて会社での居心地が
    悪くなること請け合いだ。硫酸や模造拳銃で攻撃するのも一案である。
    そいつの家にガソリンをぶっかけて燃やすのだけは絶対にやってはいけない、
    罪のない他の人を巻き添えにするのは本末転倒で言語道断である。
    さほどの度胸がなければ同僚みんなの前でそいつに一発みまって会社を辞めるか、
    あるいはそのアホ上司のさらに一段上の上司に直接掛け合い、
    あることないこと全てぶちまけて退職するのもいいだろう。
    いずれにしろ自殺よりましだ。
    この手のアホ上司を締め上げる方法は別に暴力を使わなくとも少し頭脳を使えば、
    幾らでも発案できる。脅迫状を送りつける方法、家族宛の愛人からの浮気情報、
    こいつを告発した怪文書を会社中にばらまくこと、インターネットを駆使すれば
    効果抜群であろう。自殺するより逆に、報復でイジメ殺すことを考えたまえ。
    この手のバカ上司は世のため同僚後輩のため、逆に懲らしめるのが若いあなたの使命だよ。

    また、昨今多発しているイジメでもって自殺する中・高生、彼らを子供に持つ親御さんにもの
    申したい。
    前にも述べたことがあるが、これを解決する方法は唯一つしかない。
    息子(娘)にこのイジメ野郎と対決させる方法を考えることだ。
    昔の武士の子供はまさにこの一つの方法で対処するように教育された。                                  
    いくらでも方法はある。息子を近くの柔道か空手道場にしばらく通わせ鍛えた後、
    仲間をつのってイジメ野郎を引っ張り出し、その真ん中で二人を対決させるのである。
    その喧嘩で勝っても負けても若い両者がなか直りすることは請け合いだ。
    若者どうしはお互いを認め合うことで理解が始まり、友情が湧き始める。
    これは高校番長時代の私自身の体験から得た実証であるから間違いない。
    こうしてその難関を乗り越えたあとの息子の成長は目をみはるものがあるだろう。
    その息子の人生がその日を契機に変わるんだ。
    やってみるだけの価値は大いにある。
    イジメを受けている学校から逃げ去ったところで新しい学校でまた同じような目にあうかも
    しれない。しかも彼が心に負っているトラウマは一生付いて回ることを留意しなければ
    ならない。それでは全く解決になっていない。
    ましていじめる側の悪ガキ(共)と意気地なしのいじめられっ子の二人(ないしは数人)に
    仲介のカウンセリングしてみたところで何の問題解決にもならない。
    問題の先延ばしだけで、後々もっと陰湿なイジメを受けることになる。

    ワルガキはもともと悪質なのだ、こういう奴らはいっぺん叩きのばさなければ治らない。
    大の大人が会社でいがみ合っているのに、若いガキ共が学校でいがみ合わない訳がない。
    それはいたって自然な人間社会の営みである。
    大事なことは、なぜ子供がイジメられるかを分析してそのキャラクターの対処策を検討する
    ことである。
    我が子が比弱であれば強くなるように矯正して、友達に堂々と対応できるように仕向け
    なければならない。要は子供自身に友達付合いのノウハウを自覚させることである。
    たとえ時間が掛かっても子どもの将来のためにも役立つことだからやらなければならない。

    ともあれ上司のいじめ(ハラスメント)にしろ学校でのイジメにしろ、その対処方の根底に、
    ”目には目を”、”歯には歯を”(国によって共通)、の概念がなければならぬ。
    古今東西を問わず、やられたらやり返す、この信念がなければこういう種類の問題は
    解決しない。その作用がなければ、悪を助長させるだけだ。
    会社(役所)で威張るバカ上司は誰かがギャフンと言わせなければ止まるところがない。
    同様、学校でイジメをやるバカ餓鬼どもに対しては周りが弱く出てはいけない。
    こういうガキは学校がなんとか処罰しなければならない。退学させればよいだけだ。

    さて本題に戻ろう。
    ”死なない限りは問題ない”、は言い換えて、”殺されない限りは問題ない”、と同義語で、
    えてして、”殺される状況に陥ったら、相手を殺ってしまえ”、という現実的同義語と
    化します。これに関するエピソードを一つご披露しましょう。
     
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