誘拐事件 1

当時住んでいたこじんまりとした高級アパートには警備のガードマンが総勢5、6人
勤務していた。常時二人体制で昼、夜と土日のカバーで最小限の人数である。
それぐらいが住人との信頼関係も築かれ心地よい。それ以上になると彼らの存在自体
が警戒対象となる。中には窃盗など悪いことをしでかす輩が出てくるからだ。
離婚したばかりの私は長女と二人で最上階のペントハウスにすんでいた。
友人のアパレルメーカーのジョナサンから安く買ったものだった。屋上には大型の
ジャクジがついていた。湯につかり日本から来ているエメラルドバイヤーのお客さん
と一緒にコロンビアの地酒アグアルデイエンテを飲んだものであった。
毎朝2、3人の用心棒がこのアパートヘ私を迎えに来て、夜にはまた送って来るのが
私の行動パターンであった。
異変が起きたのは引っ越してきてから半年もしない頃だった。
オフイスから帰宅しアパートへ帰り着くと門番ガードマンのオーランドが一通の封書
を私に手渡した。三十代の大柄なスペイン系白人だ。いつもニコニコとして仕事ぶり
が真面目な男であった。
見知らぬ二十代のモレノ(混血の色黒)男が持ってきてセニョール・ハヤタに渡して
くれと言ったそうだ。
開封し中の手紙をよんだ私は
”フン!”
と舌打ちをして、持ってきた男の様子を再度オーランドに確かめた。
”セニョール・ハヤタあなたの娘を誘拐する計画(plan de secuestro)だ。別のプロ
ジェクト(otro proyecto)で忙しいので、特に酌量してやり事前の支払いで一千万ペ
ソ(当時の交換レイトで約三百万円、現在では七、八百万円という感じか)にまけて
やる。一週間以内に用意しろ。受け渡し場所を追って連絡する。警察などに連絡し騒
いだ日には娘の命はないと思え。”
と、いうのが手紙の内容であった。
字体は角張った、タイプライターに似せた書体で手書きであった。金がなくてタイプ
ライターを持ってないのか、使いこなせないのか、はたまた後日証拠物件であげられ
ぬように用心しているのか。
それにしてもそれぐらいの金額に一週間の猶予をつけたのが解せない。後でわかった
がこちらが無視すると思ってその間に策をめぐらしていたのだ。
それから3日目の夜帰宅すると自宅に泥棒が入った形跡が発見された。盗まれたもの
は私のカメラにゴールドチェーン(今は、はやらないが金の首飾り)だけであった。
いくら金目の小物だけとはいえ他にも陶磁器など金目のものはあった。まーかさばる
から躊躇したとも言えるが、ほかのアパート住人の仕業とはおもえない。外からの泥
棒訪問の線も難しい。そのための厳しいガードマンのチェック、高級アパート故の高
い塀作りに頑丈なアパートドア鍵、それに住民は皆事業主や医者や弁護士などのセレ
ブだ。コロンビアの中流、安アパートでは泥棒が住人となって住み込み窃盗しまくる
事が多々ある。
まずガードマンの仕業と判断して管理事務所に訴えた。それを請け負っている経営事
務所の女主は
”しかるべき調査をして後日ご報告します”
とありきたりの申しひらきをした。
私が
”何の調査をするの?やったのは門番と決まってるじゃないか、かれらの派遣会社に
文句を言っても奴らの履歴書からなにもボロは出てこないよ。ラチがあかないという
ことだよ、さっさと門番全員いれかえることだね”
というと。
”入れ替えは何とかできると思いますが、ここにいる彼らは全員職を失うことになる
でしょう。可哀そうに、家族があるのに”
と余計な心配をする。
一番臭いのはこの善良そうな振る舞いのオーランドだ。と、言ってしょっ引いてぶっ
飛ばして吐かせようというのもまだ早すぎである。確固たる証拠がない。たかが恐喝
野郎とタカをくくっていたが、その翌日に驚異的な事が起こった。
娘の護衛で学校へ送り迎えをしていたアントニオから午後の迎えの途中で緊急の連絡
が入った。娘のカタリーナが通う高校への迎えの途中、住宅街を離れ郊外に入ったと
ころの並木通りで車が襲われた、というのだ。近くの公衆電話から私のオフイスに連
絡が入り、オフイスから警察に通報してオートバイの警察官が現場へ向かったが、賊
はすでに逃亡したあとで単なる事件報告になっただけだ。
アントニオが言うには、道端の木陰からいきなり四人の男が車の斜め前に銃をかざし
て飛び出して腕を上下させ、
”止まれ!”
との合図をした。てっきり車泥棒と思い、そのまま賊を跳ね飛ばして逃げようとアク
セルをふかして突進した。銃弾がド、ドーンと発射され前面のウィンドシールド(窓
ガラス)の上方と下方に丸く穴を空け弾が車内に飛び込んだ。が、幸いアントニオの
顔面や手には当たらなかった。それでも弾丸がすぐ耳脇をヒューッと音を立てて通過
したのを感じたと言った。賊のうち二人が拳銃をアントニオの顔にめがけて構えてい
たということだった。車は娘の16歳の誕生日プレゼントに買った日産セントラの新
車であった。
夕方私が帰宅すると二通目の手紙が届いていた。同じ時間帯の勤務で同じくオーラン
ドがおずおずと手渡した。何時頃にどんな奴が持ってきたか、と訊くと4時から5時
にかけて覚えてないが裏を見回りに行って玄関を留守にした間、玄関のドアの下に挟
まれていた、と抜け目ない返事をした。
手紙には
“我々の力がわかったか。娘を誘拐するために昼夜いつでもお前の部屋に忍び込むこ
とができるし、街頭で誘拐殺害することもできるのだ。もし金を払わなければ誘拐な
いし殺害する。明後日の午後5時にそこから5ブロック先のヒメーネス公園にハヤタ
一人で一千万ペソを持参すること”
かって娘から聞いたことがあったが、同じクラスの友人で裕福な牧場主の娘であるナ
ンシーが夜半襲撃され誘拐されそうになったけど寝室の窓を蹴破って逃げ出し難を逃
れた誘拐事件があったと。その代わり弟の方が連れさらわれて、取り戻すのに多額の
金を払ったということであった。
当時のコロンビアはまさに誘拐天国であった。要求額が一億円以上の誘拐事件がなん
と日に4件以上も発生していたのだ。刑務所の半数以上の囚人が誘拐犯で残りが殺人
犯という具合であった。このような恐喝犯に金を払う臆病な金持ちも多数いた。ただ
し、FARCやELNの共産ゲリラが相手の場合は微妙でまず本当に実行する可能性が高く、
防ぐのが困難な場合い交渉して金を払うのが得策と考える人も少なくはなかった。私
の誘拐代2弾はそのELNが相手だ、まーそれは後で。
娘に心配させないように、この恐喝事件のことは彼女にいっさい伏せていた。車の襲
撃のことは巷によくある車泥棒事件として伝えておいた。
一夜明けた翌日は朝から忙しく、まずDAS(国家保安局、別称秘密警察)の友人である
警部補のマルテイネスをオフイスへ呼び出して詳細を告げた。恐喝犯どもを捕らえる
に当たっては、まず警察の介在が欠かせないからだ。私は五、六人の用心棒をこの件
にあたらせていたが、警察に主導権を取らせず私自ら奴らを引っ捕えたいのでとりあ
えず警察からは彼一人の応援で我々と合同で事に当たることに合意した。その方が効
率よく効果的なのだ。予想に反して複雑で大掛かりになった場合は新たに警察に相談
すればよい事である。
その日はガードマンの派遣会社に押しかけて、当アパートへ派遣されているガードマ
ン達の履歴書を見せてもらった。私の勘ではオーランドは間違いなく組織の一員で、
その他にも此処のガードマンが何人か組んでいるのかもしれないという疑問からだ。
あの手紙は組織の誰かがしたためたものであるがひょっとしたらオーランドか此処の
仲間のものじゃないかという予想がした。はたして角張った字体の角の丸みがオーラ
ンドのそれとよく似ていた。
その翌日現金引き渡しの日の昼下がり雑誌の頁をハサミで切り取って札束を作り、一
番上に本物の二百ペソ札を乗せゴムバンドで括った。駄目押しの確認をとるための策
でアパートの近くの木陰に用心棒をの一人を配した。
その日もデイシフト(日中勤務帯)のオーランドが5時過ぎに仕事を終え帰宅するの
を待って後をつけさせることにした。ヒメーネス公園には5時きっかりに私が用意の
金を持って一人でつっ立っていた。公園の片隅には付近の若者らしいのが四、五人
ショートパンツとTシャツスタイルでサッカー ボールやビールビンを手に持ち飲み
ながら談笑していた。もちろんTシャツの内側には拳銃が隠されていた。いうまでも
なく私の子分達だ。
夜のシフトとの引き継ぎを終えたオーランドが慌ただしくアパートから飛び出してき
て公園に向かって大急ぎで歩いて行った。公園に着くとキョロキョロと辺りを見回し
私の姿を認めた後、道路脇にあるカフェテリアに入って行った。
すでに時刻は5時15分を過ぎていた。
オーランドの後をつけた用心棒のマリオはウオーキトーキ(無線電話)で張り込んで
いる仲間に連絡して、カフェテリアの脇に皆が勢ぞろいした。しばらくして不安顔の
オーランドが一人で表に出てきた。たちまちに襟首を掴まれて御用だ。こいつを車に
放り込みさらに15分ほどまったが、ついに他の連中は現れなかった。後でわかった
事だが、オーランドが先ず公園を偵察し私の周りに私の用心棒達や警察らしきものが
いないかをチェックして(彼はほとんどの私の用心棒の顔を知っているので)、OKな
らば賊の頭が私の前に金を受け取りに現れるという段取りであった。実行前の落ち合
い場所がそのカフェテリアであった。しかしながら、オーランドが私にマークされ当
日後をつけられているのを公園にいた頭目連中は察知して現金受け取りを断念し逃げ
去ったということであった。当然の事ながら敵もなかなかの用心深さだ、もっともそ
れが誘拐するだけの度胸のない臆病恐喝屋の特質でもあるが。
御用になったオーランドをオフイスのお仕置き部屋に連れ込んだ。言うまでもないが
用心棒達が殴る、蹴るの大乱行ときた。初めは言を左右に絶対認めようとしなかった
が恐喝文字の動かぬ証拠を突きつけられて、ついには全て白状するという次第になっ
た。私のカメラとゴールドチェーン窃盗もこいつの仕業でまだ換金しないで家に持っ
ていたのがせめての救いだった。もっとも白状しなければ、いわずもがな、タダでは
済まないからだ。
オーランドの自白によると頭目は彼らのバリオ(下町区、部落)でパナデリア(パン
屋)をやっているウィルソンという35歳の男であった。共犯者はいずれも近所の定
職のない不良仲間で7、8人が組織をくみ、恐喝、窃盗、麻薬と悪い事は何でもやる
というチンピラ集団である。今回はオーランドが仲間に入り旨い恐喝ができると皆期
待していた。その日の夜のうちに私の8人の用心棒達が2台の車に分乗してウィルソ
ンのパナデリアに押しかけた。もちろん彼をふん捕まえて連れてくるためにだ。パナ
デリアの前に車を止めて用心棒達が店の中へ入っていくと15、6歳の小僧店員が青
い顔をして応対した。
”ウィルソンはどこだ!出てきやがれ!”
といきり立った血の気の多い用心棒がカウターを叩き叫ぶ。
”今ここにはいない”
”よーし、じゃ、明日いちばんにセントロ(downtown)のセニョール・ハヤタのオフィ
スへやってこいと伝えろ、こなければここに警察の手入れがあるとな”
表に出た用心棒達が車に乗り込み発進した直後に背後から大声がした
”フエ プータ、コマミエルダ(馬鹿野郎、死んじまえ)!”
同時に銃声が
”ダンダンダーン”
と三発響いた。