結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2013年6月11日 Vol.063
はじめに - 時間配分は難しい
おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
一人で書き物の仕事をしていると、自分の24時間をどのように配分するかは 完全に自分の裁量にまかされています。 誰からも指示されることがないのは気楽ですが、 自分が自分に指示しなくてはいけないのはつらいものです。
仕事にもいろんな種類があります。 単発で依頼されて書いて終わりという短期的な仕事から、 本の書き下ろしのように何ヶ月もかかる長期的な仕事まで、 仕事にかかる時間はさまざまです。
それに加えて「やればできるとわかっている仕事」もあれば、 「きちんと成果に結びつくかわからない仕事」もあります。 後者は仕事というか、ただの勉強であることも多いのですが。
一日ずっと一つの仕事をしていることは珍しくて、 たいていはその日のメインの仕事と、それ以外のこまごまとした作業を組み合わせます。
自分の時間の振り分けが難しい理由の一つは、 「今日の自分の振り分け」が正しかったかどうか、 だれも評価してくれないという点にあります。
私が今日の一日をどう過ごしたか、 どういう仕事に時間を使ったかは、基本的に私しか知りません。 ですから誰も「それでいいよ。その調子」とは言わないし、 「それはまずいな、もっとこの仕事に時間を使いなさい」とも言わない。 「その調子で進んでも成果は出そうにないからやめたまえ」とも言わない。 ただ静かに時計の針が進むだけです。
自分の行動を適正に保つためには、 正しい(と思われる)フィードバックをかけなくてはいけません。 それをかけることができるのは自分自身です。 好んでやっていることとはいえ、時に困難を感じることもあります。 特に、長期的な仕事に対してどのように時間を掛けるかは難しい。
でも、迷ってばかりはいられないのでどこかで「心決め」するしかないのでしょう。
「遊んでしまって時間を無駄に使う」という危険性はあまりありません。 なぜかというと、その時間遊んで(休んで、さぼって…)しまったことは、 自分でわかっているからです。 「気分転換は終わりにして、そろそろ仕事しなくっちゃ」と思います。
意外に危険な落とし穴なのは、一見、仕事に見える作業です。 ほら、手を動かして時間を使うと「妙な達成感」があるじゃないですか。 あれがとても危険です。苦労して時間を使ったからよしとしてしまう危険性です。
ただ、本を書くような仕事、勉強を必要とする仕事では、 ときにその対象を使って「無駄な遊び」が必要になるのも事実です。 無意味に見えるようなプログラムを作ることが、 その開発環境に慣れることにつながることもとても多いのです。
やはり、時間の使い方の見極めは難しいですね。
* * *
さて、今回の結城メルマガのメインは講演「数学ガールの誕生」(8)です。 先週は「再発見の発想法」をお送りすると書きましたが、 諸事情により講演「数学ガールの誕生」の質疑応答に入りたいと思います。
それから、書籍『数学ガールの秘密ノート/式とグラフ』の再校ゲラを待ちながら思うことや、 大学生さんからの「あせるばかりで何もできない自分が情けない」という質問(?) への回答などです。
それでは今回も結城メルマガをお読みください!
目次
- はじめに - 時間配分は難しい
- 本を書く心がけ - 講演「数学ガールの誕生」(8)
- 本を書く心がけ - 再校ゲラを待ちながら
- Q&A - あせるばかりで何もできない自分が情けない
- 次回予告 - 再発見の発想法
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