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[MM日本国の研究841]「東日本復興・偶然の必然が呼んだ“奇跡のリレー”/猪瀬 直樹氏に聞く」
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[MM日本国の研究841]「東日本復興・偶然の必然が呼んだ“奇跡のリレー”/猪瀬 直樹氏に聞く」

2015-04-02 15:00
    ⌘                    2015年04月02日発行 第0841号
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     ■■■    日本国の研究           
     ■■■    不安との訣別/再生のカルテ
     ■■■                       編集長 猪瀬直樹
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    「東日本復興・偶然の必然が呼んだ“奇跡のリレー”/猪瀬 直樹氏に聞く」

                          (建設通信新聞3月31日掲載)

    ●『救出 3.11気仙沼公民館に取り残された446人』を上梓
     71人の子ども守る緊迫描く

     4年前の3月11日。当時、東京都副知事を務めていた作家の猪瀬直樹氏は、
    自身のツイッターアカウントに転送された、たった124文字のメッセージに
    目をとめる。宮城県気仙沼市中央公民館に子ども十数人が取り残されていると
    いう。東京消防庁の防災部長と協議し、翌朝に東京都のヘリを派遣すると、4
    46人もの人々が懸命に生きようとしていた。ことし1月に出版されたこの『救
    出』は、猪瀬氏が副知事時代、実際に体験した救出劇をつづったドキュメント
    だ。

     猪瀬氏は、作家として多くの作品を上梓しているが、今回の作品のキーは「偶
    然の必然だ」という。

     孤立した公民館から発信された一通のメッセージは、地球の裏側ロンドンに
    飛んで形を変え、東京にいる縁もゆかりもないはずの零細企業の社長によって、
    ついに東京都副知事と防災部長に届く。

     本書に込めたのは「多くの人生が呼び込む偶然を積み重ね、次第に救出とい
    う必然へと昇華させた“奇跡のリレー”を描きたかった」という思いだ。

     この本に猪瀬氏自身のエピソードは、あまり出てこない。

    「取り残された446人が主役で、彼らがどうやって生き残ろうとしたかがテ
    ーマ。題名は“救出”だけれども、あとになって“脱出”の方がよかったと思
    った」と笑う。

    ○中央公民館

     ここで本の内容に少し触れたい。
     震災当日、三陸沿岸の南気仙沼では、気仙沼市中央公民館が2階の天井まで
    津波に浸かっていた。避難し取り残されたのは、ゼロ歳児から老人までの44
    6人。立すいの余地もない3階と屋上で、周囲を津波火災に取り囲まれながら、
    地元の土木業者、工務店、倉庫屋、製氷工場、魚加工場など多くの中小企業で
    たくましく生活する人々が連携し、保育士や子どもたちと懸命に生き延びよう
    としていた。

     しかし、水の引きはゆっくりで外への避難もできず、夜になると重油と、が
    れき、ガスボンベなどが引き起こした火災も公民館を取り囲んでいた。

     その中に保育園のゼロ歳児から5歳児の71人もの幼児も含まれており、障
    害児童施設の内海直子園長が、家族と取り交わしたメールが、次第に奇跡のリ
    レーを始める。

    ○ツイート

     副知事室に転送されたのは、以下の124文字のツイートだ。

    「障害児童施設の園長である私の母が、その子どもたち十数人と一緒に、避難
    先の宮城県気仙沼市中央公民館の三階に取り残されています。下階や外は津波
    で浸水し、地上からは近寄れない模様。もし空からの救助が可能であれば、子
    供達だけでも助けてあげられませんでしょうか」

     ロンドンにいる園長の息子が、140文字という制限の中で、海外で必要な
    交渉ロジックを駆使して組み立てた文章だ。具体性があり、現状と目的が明確
    な文面は、副知事と防災部長を動かす。

    ○世界と気仙沼

     猪瀬氏は、「446人を救った救出劇実現に寄与したのは、気仙沼という一
    見ローカルなイメージを持つ町が備えていた国際ハブ機能だ」という。

    「気仙沼を訪ねたときに“割烹世界”という割烹店があったことを知り、なぜ
    こんな名前をつけたのか不思議だったが、外国航路の船舶が寄港したり、古く
    から海外との交流があった地域だった。メッセージを作った園長の息子は、こ
    んな背景からロンドンに渡り、ユダヤ人社会でジュエリー関係の仕事に就いて
    いた」

    「これ以外にも、園児を気丈に避難させ、一人も欠かすことなく助けた園長も、
    幼少時には酒屋の娘として育ち“じゃりんこチエ”のような生活をしていて、
    たくましい気性を養っていた」

     本書には、ほかにも多くの人々が登場するが、その中の1人でも欠けていれ
    ば、446人が全員生還できたかはわからない。

    「1つでもピースが欠けていては、この話は生まれなかった。見えないものを
    見えるようにして必然の糸を導き出すのが、ノンフィクションの肝」なのだと
    いう。

    ○再会

     震災から1年半がたった2012年9月、本書の題材となった障害児童施設気仙
    沼市マザーズホームと一景島保育所が再建され、猪瀬氏は開所式に出席した。
    園児たちから、踊りやお礼の手紙が読まれた。

    「あの日、一番体の弱い乳児に与えるミルクもなかった。ヘドロから拾ったガ
    ムシロップを指にとって与えると、力強く吸い付いてきた。緊迫と奇跡を描く
    この本は、次の防災のための教訓としても役立ててほしい」

    ◇編集部から
     今回の著者インタビューは、建設通信新聞のウェブサイトからアクセスでき
    る同社のブログでも紹介されています。 http://www.kensetsunews.com/

                                  * 

    ■週刊読書人3月6日号で石井光太×猪瀬直樹トークライブ「3.11を語り継ぐ」
     が載録されています。→http://goo.gl/jG9Tnw 

      臨場感―震災当日自分は何をしていたか/一通の緊急SOSを巡る一筋の
     ライン/死を見つめないメディア 報道と現実との乖離――。

    ■クリエイターと読者をつなぐサイト cakes(ケイクス)で『作家の誕生』連
     載中です。→ https://cakes.mu/series/3311 

      太宰治は芥川龍之介の写真をカッコイイと思った。文章だけでなく見た目
     も真似た。投稿少年だった川端康成、大宅壮一。文豪夏目漱石の機転、菊池
     寛の才覚。自己演出の極限を目指した三島由紀夫、その壮絶な死の真実とは。

    ■動画書き起こしサービス logmi(ログミー)で元プロ陸上選手の為末大さん
     との対談「日本のスポーツはなぜ体罰的なのか? 為末大氏が語った”遊び”
     としてのスポーツ論」がアップされました。→ http://logmi.jp/39351

                                        *
       
    「日本国の研究」事務局 info@inose.gr.jp

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