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[MM日本国の研究842]「『戦艦武蔵』にみる吉村昭と立体的なリアリズム」
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[MM日本国の研究842]「『戦艦武蔵』にみる吉村昭と立体的なリアリズム」

2015-04-09 15:00
    ⌘                    2015年04月09日発行 第0842号
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     ■■■    日本国の研究           
     ■■■    不安との訣別/再生のカルテ
     ■■■                       編集長 猪瀬直樹
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     少年・太宰治は芥川龍之介の写真をカッコイイと思った。文章だけでなく見
    た目も真似た。投稿少年だった川端康成、大宅壮一。文豪夏目漱石の機転、菊
    池寛の才覚。自己演出の極限を目指した三島由紀夫、その壮絶な死の真実とは。
    作家という職業がなぜ生まれたのか、その謎を解いた猪瀬直樹の『作家の誕生』
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     先月、フィリピン沖で発見され話題になった旧日本軍の巨大戦艦武蔵の極秘
    建造から壮絶な最期までを徹底的なリアリズムで文学作品『戦艦武蔵』に仕上
    げたのは、地味な短編作家だった吉村昭でした。では過去の戦争をどうやって
    取材し、産業社会の一面を抉り出すような完成度にまで高めたか。猪瀬直樹著
    『作家の誕生』からの断章、お届けします! 

                  *   *   *

    「吉村昭と立体的なリアリズム」

     産業社会が高度化した結果、国家とか巨大なシステムなど、身体的な実感で
    はとらえにくいブラックボックスが生活空間を支配し始める。

     自分探しの文学青年が主流となった日本の近代文学は、そうした怪物にたと
    えられるシステムの描写が不得手だった。かつて横光利一が特急列車のスピー
    ド感を「沿線の小駅は石のように黙殺された」と新しい文体で表現していたが
    ……。

     吉村昭は三島由紀夫より2歳下、1927年(昭和2年)の下町生まれ、繊維関
    係の工場を営む商家であり官僚エリートでもなければ教育や文学とも無縁の家
    系であった。地味な短編作家としてスタートした吉村昭は、三島由紀夫が自衛
    隊へ体験入隊しようと考えはじめるころ、過去の戦争の姿を産業社会の一面と
    して描くことに成功した。1966年に新潮社より刊行された『戦艦武蔵』である。

     戦艦大和、戦艦武蔵、この双子の巨艦の建造は極秘裏に行われた。いずれ帝
    国海軍の象徴となるはずの大和と武蔵は、その計画も存在も決して鬼畜米英に
    知られてはならないばかりか、国民の眼さえ欺かなければいけない。徹底した
    機密保持作戦がとられた。世紀の巨艦を建造できるとしたら呉・横須賀の両海
    軍工廠と民間の三菱長崎建造所の3カ所しかなかった。第1号艦は暮れで、第
    2号艦が長崎に決まった。

     建造中の戦艦武蔵を隠すため、人の眼から遮断するための方策のひとつは船
    台を棕櫚(しゅろ)縄のスダレで覆うことだった。トタン板では台風などの強
    風で剥がされ、吹き飛ばされてしまう。さまざまなアイデアが出され、たどり
    ついたのが船具としての棕櫚である。棕櫚をただ縄ノレンのように垂らすだけ
    では透けてしまうのでタテヨコに簾(すだれ)状に編むことにした。

    「鋼材を2千トン、大至急買い入れろ」
     長崎造船所の所長が部下にそう命令するのはわかりやすい。それではつまら
    ない。底深さが表現できない。巨艦のために鋼材だけでなくさまざまな材料が
    必要になる。『戦艦武蔵』の書き出しでは、無数の事実を立体的に編み上げる、
    これまでの日本の近代文学にはみられなかった巧みなリアリズムの手法が試み
    られた。「九州の漁業界に異変が起っていた。初め、人々はその異変に気づか
    なかった」という意外なシーンからはじまる。鋼材でなく、漁具が品薄になる
    のだ。

    「初めに棕櫚の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海沿岸の海苔
    養殖業者たちであった。かれらは、海水の冷える頃、つまり九月末から十月は
    じめにかけて、海中に浮遊している海苔の胞子を附着させるため、浅い海に竹
    竿を林立させ、そこに棕櫚製の網を海面に水平に張る。その例年の張りかえを
    行うために棕櫚の網を注文したのだが、意外にも漁具商には一筋の棕櫚繊維も
    ないことが発見された」

     誰かが棕櫚を買い占めている。しかし、その姿は見えない。恐竜の尻尾が少
    しだけ、森林の端の草むらから露出した。正面から恐ろしいぞ、怖いぞ、と強
    調してもそれほどではないが、こうした静けさが見えないものの大きさ、怖さ
    を表現する。

     棕櫚が消えてしまった謎は、読み進めるうちにこう解き明かされる。
    「棕櫚の所要量が計算された。船台の近くから覗きみられることを防ぐために、
    高さ3メートル程度まではトタン板を張りめぐらす。その上にガントリークレ
    ーンの鉄骨からスダレ状の棕櫚縄を垂らすのだが、重要な部分は、二重三重に
    重ね合す必要がある。スダレの大きさを1枚15メートル×10メートルとすると、
    船台すべてを覆うためにはスダレの量は500枚必要となる。つまり、総面積
    7万5千平方メートル、縄の長さ、延2500メートル、重さは、400トン
    にも及ぶことがあきらかになった。そして、艦が船台から進水した後に遮蔽す
    るため使用される量も考えると、この数字はさらに増すことが予想された」

     市場から特殊な漁具のみ消えるという書き出しのシーンは、交響曲のたんた
    んと静かに奏される序曲なのである。

     吉村はエッセイでこんな裏話を披歴している。
     長崎では思案橋に近い小料理屋にちょくちょく立ち寄った。東京から来た、
    と口にすると、おでん鍋のかたわらに立った中年の女が言った。
    「東京タワーがあって、いいわね」
     まだ東京タワーが話題になるぐらいの時期、1960年代の話だ。戦後復興期の
    東京タワーはどこかユーモラスだけれど、国家プロジェクトとしての戦艦武蔵
    の建造は真剣味のぶんが重たい。吉村は三菱長崎造船所に通い、武蔵建造時の
    話を技師たちに取材した。ノーネクタイの気軽な格好は、明らかに大企業のサ
    ラリーマンではないし、医者や弁護士にも見えない。
    「彼女は、私が造船所へ行っていることから、造船所出入りの業者と思ったら
    しく、その後、私を(小さな下請け会社の)専務さんと呼ぶようになった」

     棕櫚縄は漁具なので、どのように造船所へ納入したか、長崎市内の漁具を扱
    う大きな店に行った。60年輩の店主とおぼしき人に、趣旨を説明し、教えてほ
    しいと頼んだ。
    「間に合ってるよ」
     店主はぞんざいに手を振った。吉村さんをセールスマンかなにかと信じ込ん
    でなかなか相手にしてくれない。風采があがらない、その辺にいる人に見えて
    しまう。

     2年後に出た『零式戦闘機』でも徹底した取材で事実をつかむ視線が生きて
    いる。完成した零戦を飛行場まで運ぶのに牛車を使用した。軍用機として世界
    最高速を誇っていた零戦が、牛歩遅々の牛で運ばれる異様さ。薄い軽合金なの
    でトラックで運ぶと道路事情が悪く機体に傷がつくこと、夜間にソロソロと運
    ぶことで機密が保たれるからであった。

    『戦艦武蔵』『零式戦闘機』など戦史シリーズは、巧みな短編小説の書き手で
    あった吉村昭の仕事を新しい方向へと大きく旋回させた。70年代から始まるノ
    ンフィクションの時代の幕開けを決定づけた。         (了)

                   *

     ケイクスでは『作家の誕生』掲載と併せ、加藤禎顕さんによるインタビュー
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                                  * 

    ■ポリタスに編集長津田大介さんによるインタビュー「必然の偶然”が起こし
     た気仙沼の奇跡――猪瀬直樹が語る『被災地復興』と『日本の未来』」が掲
     載されています。
     → http://politas.jp/features/4/article/338 

    ■週刊読書人3月6日号で石井光太×猪瀬直樹トークライブ「3.11を語り継ぐ」
     が載録されています。→http://goo.gl/jG9Tnw 

      臨場感―震災当日自分は何をしていたか/一通の緊急SOSを巡る一筋の
     ライン/死を見つめないメディア 報道と現実との乖離――。

       
    「日本国の研究」事務局 info@inose.gr.jp

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