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⌘ 2015年06月18日発行 第0851号
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■■■ 日本国の研究
■■■ 不安との訣別/再生のカルテ
■■■ 編集長 猪瀬直樹
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http://www.inose.gr.jp/mailmag/
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日本の「安心・安全」はどうして成り立ってきたか――。敗戦・占領、再武
装、復興の象徴・東京五輪警備……。民間警備会社の黎明期の秘話から戦後史
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今回のメルマガでは、まだ読んでいない読者のために、特別に発売中の最新
号「脆くも崩れ去った日本版CIA構想」から、さわりをお届け!
「『インテリジェンス機関』内閣調査室の運営を巡っては警察と外務省の間
で激しい主導権争いが行われた。ワシントンにある米公文書館で新たに解禁
された文書。どのようなもので、なぜ頓挫したのか……」
サンフランシスコ講和条約発効直前、産声をあげた内調が本格的インテリジ
ェンス機関に孵化しなかった真相に迫る連載第7回です。吉田茂首相、GHQ、
旧軍人グループ、思惑が複雑に絡み合い、謎が謎を呼んで、つづきが読みたく
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「脆くも崩れ去った日本版CIA構想」
何を訊きたいのか、と無愛想に構えている長身で背筋を伸ばした白髪の人物
は七十代半ばである。
「内調には揺籃期のような時代があったんですな。村井さんより以降はいわば
“正史”でしょう」
日本版CIA構想は水面下で盛り上がったが、ついえたのである。さまざま
な人物が現れ、野心や思惑が渦巻いた時期があった。
「正史とは、役人のつまらない歴史という意味ですね」
90年代に内閣情報調査室長を四年間務めた大森義夫は『日本のインテリジェ
ンス機関』(2005年)を著している。内調出身の人物がその内幕を描くことは
ほとんどない。その意味では異例ともいえるが、やはり差し支えのありそうな
部分は著書から用心深く排除されている。
「内調の歴史に私は通じているわけではないし、それを記述した部内資料も存
在しない」と記すのだから。村井の失脚については数行触れている。
「内閣調査室の運営をめぐって内務省系(警察)と外務省との間で激しい主導
権争いが闘われたことで、結果は初代室長村井順さんの失脚にまでおよんだ。
霞ケ関の各省相剋は時として絶望的なくらい深刻である。日本の情報組織発展
を妨げている要因の一つが役所間の縄張り争いであることは今日まで変わって
いない」
内調はとても「インテリジェンス機関」と呼べるものではないと思うが、あ
えてタイトルに選んだところを勘案すると、内調そのもののあり方に満足して
いないことが伺えないでもない。
冒頭の発言は、村井順が初代室長だった時代に、日本版CIA構想が頓挫し
た事実について、少し突き放した表現だ。こうなってしまった内調に対する失
望観も滲んでいる。
質問に対して言葉を選びながら答える大森氏だが、会話が進むにつれこんな
ことを言い始めた。
「私も20歳ぐらい若かったら、民間軍事会社をつくろうとしていたかもしれな
い」
現地のオペレーションのなかで情報をやりとりしなければ諜報活動とはいえ
ないからだ。ISによる日本人人質殺害では、結局、日本政府は独自の情報を
得ることができなかった。
安倍晋三首相は去る2月5日の参院予算委員会で「国際テロに対峙するため
には、関係する国や組織の内部情報を収集することが死活的に重要だ」と答弁
した。だが情報はギブ&テイクであり、情報をもらうためには情報を提供する、
という関係がなければ情報は手に入らない、独自の情報収集能力を高める必要
がある、と述べた。
自民党が対外情報機関の創設について作業チームをつくり、今秋まで提言を
まとめるとして「日本版CIA 機運再び」(日本経済新聞3月29日付)と新
聞は書いてはいるが、では具体的にというと役所の縦割りの壁は崩せそうにな
い。残念ながら外務省、警察庁、防衛省、公安調査庁とそれぞれ役所ごとに動
いており、内調は情報収集・分析と各省庁との連絡調整が中心で、諜報活動が
できるような体制を組めると思われない。
米公文書館で新しく解禁されたCIA文書から、吉田首相時代の日本版CI
A構想がどのようなものであったのか、明らかにされはじめた。同文書による
と、辰巳栄一元陸軍中将が創設予定のインテリジェンス機関のトップとして想
定されていた。1951年7月28日付報告書を見つけた有馬哲夫は「辰巳が創設を
予定されているインテリジェンス機関の長に内定している」との記述を見つけ
ている(『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』)。
辰巳栄一とはどういう人物か。戦前に吉田が英国大使だった時代に駐在武官
として辰巳は面識を得ており、戦後は吉田の軍事顧問としてつながりをもって
いた。斜陽の大英帝国は、軍事力や経済力ではアメリカとの競争に敗れていた
が、七つの海を支配した時代につくられた世界に冠たる諜報網をもっていた。
斜陽どころか敗戦国で戦力もほとんどない日本にもインテジェンス機関があれ
ば、という思いは吉田と辰巳が共有できるものだった。
GHQ参謀2部のウィロビー少将は、旧陸軍の諜報機関、高級参謀などを雇
用して中国やソ連に関する情報を収集し分析させていた。その中心人物の一人
が辰巳だった。
辰巳は、インテリジェンス機関をつくるために人材をひそかに集めて始めた
が、なぜか吉田はいったん出しかけたゴーサインを引っ込めた。旧陸軍出身の
大物がインテリジェンス機関のトップに就任するとなれば、猛反対をくらうか
らだろうし、準備にはそれなりの法令を整えなければならない。
吉田は、戦時中に情報局総裁だった緒方竹虎に準備をさせようと思いついた。
公職追放を解除された緒方は、次期総選挙に出馬する予定だった(当選後、副
総理兼官房長官に就任)。吉田にインテリジェンス機関設置を勧めていたウィ
ロビー少将は、講和条約が発効する昭和27年(1952年)4月、帰国してしまう。
締切りは迫っていた。
ぎりぎり間に合う奥の手を考えた。
*
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