動かない部下、苦悩を深める管理職という現実
管理職は孤独な職業だ。10万人を超す大企業のトップ、数名で踏ん張る町工場のオヤジ、トップと現場を必死につなぐ部長や課長たち。部下を動かす使命をおった管理職にとって「ヒトの悩み」が尽きることはない。毎週の会議で予算必達の号令がかかる。もとより困難な目標なので、部下には無理を強いざるを得ない。しかし、ボスが社員を統制しようとあがくほど、部下の心は離れ、冷たい隔たりができてゆく。
つらいのは現場の社員だけではない。管理職も心の中で声にならない悲鳴をあげているのだ。
特にバブル崩壊以降、成果主義の導入や雇用形態の変化に伴い、管理職の苦悩は深刻化の一途をたどっている。日本政府統計をベースに30~59歳男性の死因と職種の解析をした北里大学の研究によると、管理職および専門職の年齢の影響を除いた死亡率が、1990年代後半から2000年にかけて70%ほど増えていることがわかった。管理職の自殺率にいたっては、1995年から2005年の10年間で、なんと約4倍と激増していたのだ。
出所: 北里大学公衆衛生学
株主資本主義、戦略的経営、中央統制、個人成果主義。株主価値の最大化を目論む科学的なマネジメントシステムが、働く人すべての心を締めつけ、疲弊させてゆく。結果として、社員の創造性や生産性を奪い、生活者の反感を買い、長期的には株主の価値を毀損していく。
いつまで、この不毛な統制システムを続けなければいけないのだろうか。統制しないでも人が自発的に動き、企業に成長をもたらし続ける。そんな都合の良い魔法の杖は、この世に存在しないのだろうか?
米国スーパーマーケット業界の異端児、ホールフーズマーケット
スーパーマーケット業界は、1950年代に誕生して以来、高度経済成長の波に乗るカタチで急成長をとげてきた。自動車や家電メーカーが「大量生産」の騎手だとすると、スーパーは「大量販売」の代名詞だと言えるだろう。大量生産、大量販売における勝利の鍵は「規模の経済」のあくなき追求だ。そして、その成長エンジンとなったのは、販売における科学的管理法「チェーンストア理論」だった。
標準化された店舗形態で売り場面積を効率的に増やす。毎日の生活に直結する売れ筋商品に集中する。卸を通さず一括大量仕入により原価を下げる。作業を単純化し労働生産性を高める。「規模の利益」を追求するために、標準化、単純化、専門化による「科学的管理法」で統制する。この仕組みこそがスーパーマーケットの強みだった。米国におけるウォルマート、日本におけるイオンやセブン&アイは、規模の方程式が導いた圧倒的勝者と言えるだろう。
中央統制で一世を風靡したスーパーマーケット業界の中にあって、ひときわ異彩を放っているエクセレントカンパニーがある。有機農産物や持続可能な農業に対して強いこだわりを持つ米国高級スーパーチェーン、Whole Foods Market(ホールフーズマーケット)だ。同社は上場以来、約20年で売上規模を45倍と、業界平均を遥かに上回るペースで急成長させ、約300店舗、6万人近い社員を持つ大企業に成長した。
この力強い成長を支えているのが、大きな自治権を持った「店舗内のチーム」だ。鮮魚チーム、青果チーム、レジチームなど、各店舗は平均で8つのチームによって構成されている。同社最大の特徴は、これらのチームに大胆な権限委譲をしていることだ。人材採用、価格設定、発注、人員配置など、業務上の重要な意思決定はすべてチームに任されており、一方でその結果に責任を追うカタチになっている。
例えば、新入社員はチームに暫定的に配属されるが、チームメンバーになるためには試用期間後のチーム内投票で3分の2以上を獲得する必要がある。仕入れに関しても同様だ。地元の顧客が興味を持ちそうな商品であれば、どんなものでも仕入れられる。ただし全社共通の厳しい品質基準などをクリアしていることが前提だ。これは「その決定結果に最も直接的な影響を受ける人たちによって意思決定されるべき」というホールフーズの基本ポリシーに基づいたものだ。
また、チームは、同一店舗の他チームおよび他店舗の類似チームの業績データを閲覧できる。店舗売り上げ、チーム売り上げ、商品原価など、業務上の意思決定に必要なデータはすべて現場社員に公開されているのだ。これは同社の経営陣が「強い信頼には、秘密のない環境が必要だ」と考えているからだ。
さらに、各チームの業績は労働生産性によって評価され、基準を超えたチームには毎月ボーナスが配布される。顧客のために行動する自由と、会社のために行動する動機づけが同時に与えられているのだ。
社員にこれだけの権限委譲を行える背景には、価値観の共有を通じた、会社と社員との間の強い信頼関係がある。「ホールフーズ(食べ物全体)、ホールピープル(人類全体)、ホールプラネット(地球全体)」というスローガンのもと、徹底して身体に良い食品、無農薬で持続可能な農業を支援することにこだわり続けてきた企業の姿勢が、社員一人ひとりに深く浸透しているのだ。
「本社から下されるルールはわずかしかありません。その代わりに自己評価が活発に行われています。ピアプレッシャー(仲間からの心理的圧力)が官僚主義的な管理の代わりになっているんです」。ホールフーズ独特の経営スタイルを語るのは、創業者であるジョン・マッケイだ。彼は「恐怖ではなく、愛に支えられた組織を築く」と同社の組織原理を表現している。
出所: Forbes CEOs Who Make One Dollar A Year ? John Mackey, Whole Foods Market
社員が自ら動く組織の原理とはなんだろうか
ホールフーズの社員は、使命や価値観の共有を通じて、コミュニティとしての一体感を感じ、責任を持って自らの意思で動いている。彼らの姿勢や行動は、スーパーマーケット業界における社員の枠を超え、店舗経営者に近い感覚を持っていると言えるだろう。その背景には、規律と自律、競争と協働、短期的利益と長期的利益が高次元で融合された独特の経営システムが存在している。
では、一般的なスーパーとホールフーズは何が違うのだろうか。なぜ社員が自律的に動いているのだろうか。分かりやすく図式化してみよう。「規律型組織」(左側) が従来型の経営スタイル、「自律型組織」(中央) がホールフーズの経営スタイルだ。
「規律型組織」では「中央統制」によって社員をコントロールする。数値による科学的な管理を基本とするため、管理職も現場社員も単機能でよく、その点では効率的だ。しかし、仕事自体はつまらなくなる。また社員の意識が顧客ではなく内側に向くため、予算達成が顧客サービスより優先されてしまう。組織内の情報共有が限定的なため、社内ナレッジの活用も不十分だ。
「自律型組織」では統制を最小限にして「社内を透明」にする。それにより社員間の信頼が醸成され、社内ナレッジもフルに活用される。また現場に権限委譲することで、管理コストは最小限となり、自律的で高度な顧客サービスを提供できる。仕事も面白くなる。ただし、単に規律を解くだけでは「放任型組織」(右側) になってしまい、組織がほとんど機能しなくなってしまう。
高度な顧客サービスを求められる組織ほど「自律型」への移行が効果的だが、一歩間違うと「放任型」になり、組織が機能しなくなる点が最大のリスクと言えるだろう。では「自律型組織」と「放任型組織」を分けるものは何なのだろうか。それは核となる原動力の有無だ。組織を適正に動かすためには、何らかの原動力が必要なのだ。それを生みだすものは「行動の基準となる情報」と「行動を促すエネルギー」だ。
「規律型組織」は「ルールブック」という情報に従い「統制リーダー」のコントロールをエネルギー源として社員が動くメカニズムだ。それに対して「自律型組織」は「企業哲学」という情報に動機づけされた社員が「オープン・リーダー」からエンパワーメントを受けて動き出すメカニズムなのだ。
企業哲学の3要素: ミッション・ビジョン・コアバリュー
行動そのものを規定するのが「ルールブック」であるのに対して、行動の動機を共有するのが「企業哲学」だ。ルールやマニュアルで縛るのではなく、行動の動機を共有して社員の自律性を促進するのだ。それによって個客の事情や感情に配慮した「おもてなし」を提供できるようになる。
ただし、そのためには高度な人間力を必要とする「オープンリーダー」を育成する必要がある。本社や現場にオープンリーダーが存在することで社員がエンパワーメントされ、「自律的組織」がその強みを発揮できるようになるのだ。なお「オープンリーダー」がいかなるものかは、前記事「統制がきかない時代のリーダー像――鍵をにぎるオープンリーダーシップ」に詳しく書いたので、ぜひご一読いただきたい。
このシステムはベンチャー企業だけでなく、大規模な組織にも適用可能だ。実際にホールフーズが持続的な成長を実現していることも注目すべき点だろう。
しかし、ここで難問が1つある。ホームフーズは創業当初から「自律型組織」の理念を持ってこの世に生まれてきた会社だ。つまりネイティブの「自律型組織」なのだ。シリコンバレーが創出するテクノロジーベンチャーもしかり、この世に生を受けた時から自律型のDNAを持った企業群だ。
それに対して、すでに統制型マネジメントが深く浸透した「規律型組織」が、彼らのような「自律型組織」に進化することは本当に可能なのだろうか。それとも恐竜は時代の波に飲み込まれて滅び行く運命なのだろうか。
この困難な壁に、勇敢にも真正面から立ち向かっている茨城の食品スーパーチェーンがある。東証一部上場、売上高2000億円規模。北関東を中心に147店舗を展開し、従業員数は1万人を超える老舗スーパーマーケットのカスミだ。ここに彼らの大胆な取り組みの全容を紹介し、硬直化した組織に悩む方々へのエールとさせていただきたい。
規律から自律へ。大胆な経営改革を断行する、カスミが目指す未来像
カスミの会長、小浜裕正氏(出所: NHK ONLINE クローズアップ現代)
カスミの会長、小浜裕正氏は、文字通り日本におけるスーパーマーケット業界の生き字引だ。1965年にダイエーに入社し、中内功氏の右腕として活躍。同社専務取締役にまで昇進し、スーパーチェーン経営の表も裏も嫌というほど経験してきた。そして2000年、経営難にあえぐカスミに転籍すると、大胆な事業整理と徹底した顧客志向により同社をV字回復に導いた。
そんな辣腕経営者がNHK「クローズアップ現代」(2013年7月25日放映「人を動かす共感力」) に登場した。そしてチェーンストア理論の問題点を率直に吐露し、同業界に働く人々の注目を集めることとなった。
「やっぱり、こういう数字を見て、同じことを50年間繰り返してきていいのかと思った」。小浜会長が心を痛めていたのは、カスミ社内で実施された社員アンケートの結果だった。「自分の職場を知人や友人にすすめるか」という質問に対して、「すすめない」と回答した社員が「すすめる」とした社員を大きく上回ったのだ。顧客満足を追求するあまり、滅私奉公が当然となってゆく。そんなスーパー経営の舞台裏を、その数字は雄弁に語っていた。
(出所: NHK ONLINE クローズアップ現代)
そして小浜会長は変革を決断する。老舗スーパーを鮮やかに復活させた72才の経営者が、今、スーパー経営の常識を破ろうと再び起動したのだ。同社が目指すイノベーション、ソーシャルシフトとは何か。それは透明性の時代にふさわしい「社員にも顧客にも愛される会社」にカスミを変革すること。そのために「経営理念に基づいて、社員が自律的に行動できる組織」にすること。それによって100年続くカスミの礎を築くことだ。
しかしながら、1万人を超す規律型組織を自律型組織に変革することが本当に可能なのだろうか。
同社の壮大な挑戦をリードする「ソーシャルメディア・コミュニケーション研究会(略称ソーコミ)」の責任者、高橋徹氏は、この1年あまりの苦労をこう振り返った。「当初、大半の店長はソーシャルシフトに無関心で、勉強会でもその表情はお地蔵さんのようでした。そもそも店長は社内への報告業務に忙殺され、新しいことに着手する余裕がなかったのです。さらに社内のヒアリングを進めていくにつれ、縦割り組織の弊害を痛感しました。コミュニケーションの壁を打ち破り、社員同士が言いたい事を言える、知恵を出し合うための仕組みづくりが私たちの使命だと強く感じました」。
それでも小浜会長、藤田元宏社長、そしてソーコミのメンバーは、抵抗や無反応にひるむことなく、粘り強く丁寧に歩を進めていった 。社内キーマンとの対話、クチコミや社員満足度調査、ソーシャルメディアの啓蒙活動、カスミFacebookページの立ち上げ、社内外でのFacebookコミュニティ活用。そして2013年度からの新中期経営計画では、その骨子を「ソーシャルシフトの経営」とし、今後3年間かけた全社改革を社内外にむけて宣言した。
この図は、2013年のソーシャルシフト施策をまとめたものだ。全社で経営哲学を共有し、社員が自律的に行動することで、最高の顧客経験価値を提供する。それが結果的に事業成果につながるという「インサイドアウト」の考え方を社内に浸透させる。そのために、キーとなる3つの組織が新設された。
1つは、全社員で共有すべき価値観を考える「未来委員会」、その価値観にそって自律的な店舗運営をおこなう「モデル店舗」、モデル店舗の運営を支援する本社会議体「ソーシャルシフト・コミッティ」だ。
未来委員会は各部門から選ばれた約20人の若手社員で構成された。オンラインとオフラインで交流しながら、カスミのあるべき姿、共有すべき「価値観」を創りあげてゆく。その成果はモデル店舗で「行動の動機とすべき考え方」として運用され、現場の意見を交えながらブラッシュアップする予定だ。
明文化された「価値観」を社内に浸透させていくのも未来委員会の大切な役割だ。広報、情報システム、人事教育などとも連携し、現場で「価値観」を実践するエバンジェリストとなってゆくことが彼らには期待されている。
未来委員会の様子
モデル店舗は、ソーシャルシフトが目指す「自律的組織」を先行して実践するための、いわば特区的組織だ。藤田社長自身が147ある全店舗に問い掛け、立候補した10店をモデル店舗としてスタートさせた。「お客様も社員も笑顔に溢れ、最高の顧客サービスを提供し、各地域で特別なスーパーと感じていただけるお店づくり」を目指しているが、その具体的な施策は店舗の自主性に任されている。
実際にモデル店舗がどのように進捗しているか、クローズアップ現代でも取り上げられた「フードスクエア越谷ツインシティ店」の生き生きとした店内風景をご覧頂きたい。スタートしてわずか半年足らずだが、モデル店舗の業績は全店舗平均を上回る成果をあげつつある。
[モデル店舗の動画]
ソーシャルシフト・コミッティは、モデル店舗の運営を全面的にバックアップするための本社会議体だ。その特徴は「現場の管理」ではなく「現場の支援」という姿勢を徹底している点にある。委員長としてリードするのは藤田社長、メンバーは各部門のトップやマネージャークラスで構成され、毎週のように現場の問題点を解決していく。
現場の業務を簡素化して権限委譲するための業務改善、いわゆるビジネスプロセスリエンジニアリング(BPR)を実行するとともに、社内情報共有システムの見直し、KPI(重要業績評価指標)や評価制度の見直しなど、社内改革を推進するエンジンとなっている。
ソーシャルシフトの考え方が社内に浸透するまで約1年かかったが、モデル店舗の店長やパートさんが主導するカタチで、自律的な活動が広まりつつある。また、商品本部などの本社における改革もスタートした。今年10店でスタートしたモデル店舗を、来年には30店へ、そして再来年にはすべての店舗へと広げていく予定だ。2015年末にはカスミ全社が「自律型組織」として生まれ変わる。そんなビジョンを共有し、今日もカスミの挑戦は続いている。
「日本にチェーンストアが誕生して50年余になるが、このシステムを一度完全に壊さないと、自己革新ができないと私は思っている。従来型ではない思想や仕組みのもとで、生活者や地域社会とのつながりを再構築しない限り、スーパーマーケットは真のお客様満足を実現できない。目指すのは、あらゆる顧客接点で自主的に判断し行動できる現場、それを許容できるマネジメントの経営システム。極論すれば『本部のないチェーン・システム』だ。
とりわけカスミのようなローカルチェーンにとっては、そこが生き残りのカギになるだろう」。100年続くカスミへの再構築に向けて、今も小浜会長の決断は揺るぐことはない。
パラダイムシフトを加速させる透明の力
中央統制は、経年劣化を招く要素が内在された仕組みだ。いつの間にか社員の関心は顧客から上司にうつり、顧客価値を創造しない業務が増加してゆく。何に使うのかわからない報告書、延々と続く意味のない定例会議、現場を知らない人たちが決済をする稟議。
その無意味さを全員が認識していながら誰もやめられない、やめようともしない。いつの間にか事なかれ主義が蔓延し、現場社員のみならず、管理職の持っていた「貢献したいエネルギー」が失われてゆく。
透明な時代にあるべき組織像は、その対極に位置するものだ。顧客は、あらゆる接点において、迅速で誠実な対応ができる企業像を求めている。そのためには、顧客と接点を持つ現場社員が自律的に行動できるシステムを構築することが大切だ。規律から自律へ。今こそ、組織の行動原理を変え、自律型組織を構築すべきタイミングなのだ。
全世界の企業トップ1700人に対する調査結果をまとめた「IBM Global CEO Study 2012」においても、CEOは「価値観の共有を通じて、社員に権限を委譲する」こと、つまり自律型組織への転換に乗り出していることがわかる。優秀な社員ほど、自律型組織を好むという点も大切な要素だろう。
出所: IBM Global CEO Study 2012
ルールブックの代わりに企業哲学を。統制リーダーシップの代わりにオープンリーダーシップを。社内を透明にし、共感できる使命や価値観を共有し、社員間のコミュニケーションを促進する。すると社員にはコミュニティの一員としての自覚が芽生えてくる。同僚の共感や評価を得ながら、使命を達成しようと考え出す。そして社員は所属するコミュニティのために、自ら献身的に動き出すのだ。
「がみがみと言って行動させる」のではなく「自発的に会社のために行動する場を創る」ことだ。筆者はループスやコンサルティング先で自律的組織への変革がいかに社員を笑顔にし、顧客経験価値を高める場面を何度も目にしており、その効果を確信している。この記事を読んで共感していただいた方は、ぜひ身近なチームから、自分にできる第一歩を踏み出してほしい。
千里の道も一歩から始まる。あなたの行動が仲間や顧客の共感を呼べば、自然と伝播して社内外に同志が増えてゆく。一人の小さな行動が、アラブの春のごとくムーブメントとなり、いつか大きなシフトとなってゆくはずだ。
透明な時代における「あるべき企業像」を明示し、経営改革を多面的にご支援する、ソーシャルシフトについてはこちらをご覧ください。
by 斉藤 徹