この時期といえば、やはり『卒業』
卒業式で歌う曲で世代がわかるなんて言いますが
かく言う私は We will rock you でした!!

皆さんは卒業式でどのような態度をお取りになられていましたか?
泣く人、笑う人、さまざまな感情が錯綜する3月は
校舎中に充実した空気が満ち満ちていて、
未来への不安や、仲間と離れる寂しさに淡い彩りの桃色がよく似合います。

私はこれといって卒業式の思い出はありません。
というより「卒業に関する一連のイベント」に嫌気がさしていました。
「卒業」に美しい思い出を持つ方は、ここでそっと画面を閉じて
昔の卒業アルバムを開いてください。
きっとあの頃と同じ、桜の蕾の香りがそよ風に乗ってあなたを横切るでしょう。

「卒業」に関してネガティブなことを書きますが、
読んでも良いという方のみ、先を読み進めてください。


それは高校時代の話。
私の高校はほとんど全てが選択制の授業であったので
クラス単位で受ける授業は数えるほどでした。
自由に学びを深められる反面、
人間的な「クラスの団結」や「仲間意識」というものは
さほど感じられないのでした。
そのことには何の不満もありません。
好きな友達と、好きな授業を受ける。なんて素晴らしいことでしょうか。
ただし、卒業に関しては別です。
私の高校の特性上「学校行事に関してはクラス単位で動く」
という若干歪な形式を取らなければいけません。
体育祭、クラスのみんなで優勝を!!
文化祭、クラスで揃って創作しよう!!
卒業式、クラスのみんなと寂しい別れ。
こんな形式ばった団結で何を思えばいいのか。
普段は大して顔を合わさない人々と、その時だけは絆が生まれる。
そんな都合の良い話はありません。

私の違和感をよそに卒業関連行事は進んでいきます。
皆一様に「寂しいね」と漏らす。
舐めんなよ?
お前ら「卒業」ってイベントを美化してるだけで
自分の感性も捨ててミーハー的に感情作ってるだけじゃねえか。
な〜んて事を思ったり思わなかったり?

そして迎えた卒業式。
慣習的に進む行事。立ったり座ったり返事をしたり。
儀式ですからそこには何の疑問もありません。
特に記憶のない卒業式を終え、
校舎の大階段で最後のパンチラを拝んだ後
クラス教室に戻って1人一言ずつクラスの前で話をする時間が訪れます。

先生は言いました。
「このクラスを担任したことは忘れない。何か困ったらいつでも来い」
先生...僕はそこまで先生と絡んでません。
(もちろんめっちゃお世話になったけどね?文章上の演出ね!?)

私は「イズミ」ですから出席番号も早いため、
喋るタイミングもかなり前でした。
「ここでカマさないと、この卒業感に飲まれてしまう!!」
そう感じた私は、最後の賭けに出ました。
あの時、発した言葉は今でも覚えています。
クラス全員の保護者が見守る中、
もちろん私の母も教室の後ろから視線を送っていました。

早足で教卓に向かい、笑顔でクラスの皆を見渡した後に言いました。
「この3年間で部活は相当頑張った。でも何も成し遂げてない。
こんな適当な3年間で俺は泣けない。きっと誰もこの3年間で大したことしてないのに
何で泣いてるんだろうなって思いました。」
心の中では「キマッた!!」と今にも顔が綻びそうでした。
でもクラスの反応は違いました。
卒業おめでとう的な空気は全くもって変わらず
普通に拍手。「また和泉がボケてるよ」と。
確かにいつもふざけていたかもしれないけど、
この心の底からの叫びすら届かないほどだったのか。
やはり卒業というのはただのイベントに過ぎない。

あの時、何かの偶然で同じクラスを過ごした仲間は今何をしてるのか
ただの一回も席替えをしなかったあのクラスは、まだ仲間なのか。

そしてずいぶん時間が経った今だからわかります。

俺、厨二病だったわ。