〝イエズス会の侵略〟という騙し絵
――宣教師ザビエル来日の見えざる背景
現代人の認識にはいくつもの落とし穴がある。Vol.55で述べたように、日本をアメリカの属国とばかり見るのもそのひとつだが、実態は日米一体でやっていることである。日本の支配層がアメリカとの一体化を望んでやっている。それが何らかの形で是正されるべきという議論はあり得るにしても、すべて一方的に日本が被害者であるかのように思う人が多いとすれば、日本の近代化の正体を多くの人が知る日というのは永遠に来ないだろう。
本当のことを知りたいという人は、案外少ないのかもしれない。むしろ本当のことは見たくない、目を瞑りたい、という人が多いという気もする。誰でも嫌なことは見たくない。綺麗なものだけ見ていたい。しかし、綺麗は汚い、汚いは綺麗である。いつの時代にも良い点も悪い点もあったはずだが、不幸を不幸と言える時代はまだ幸せである。いまは不幸を隠すのに躍起になっている。不幸を目の敵にする世のなかは生きにくいものである。
普通の人は、日本の近代の夜明けを幕末における開国だと思っている。黒船襲来以来の欧米列強による砲艦外交、そして不平等条約による日本の半殖民地化、それに対する日本の反撃としての富国強兵、そして欧米に立ち向かった大東亜戦争という史観への支持には根強いものがある。それはかねてから知られる〝東亜100年戦争史観〟であり、林房雄の『大東亜戦争肯定論』は、私も高校生のときに読んで共感したことがある。
しかし、その戦争で財閥がぼろ儲けして、庶民の被害だけが莫大だったことは子供でもわかるはずである。いつまでも大東亜戦争肯定史観を素朴に信じているわけにもいかないだろう。だが、それ以上のことになると、見たくないものがいろいろと出てくる。そこで目を瞑ってしまうとすれば、その人の人生はその程度のものなのだ。実際には幕末になっていきなり外国の軍艦がやってきたわけでもないし、徳川幕府は単純に脅されて開国を余儀なくされたわけでもない。開国というのは、幕府による貿易一元化体制が絵に描いた餅に終わっただけのことで、徳川以前にも繰り返されたグローバル志向が、幕末にまた呼び戻されたにすぎない。
一般の歴史知識は、黒船で日本人が驚いたというが、確かに庶民は驚いたり面白がったりしていたらしい。だが、江戸後期の日本は、ペリー艦隊来襲の数十年前からロシア・イギリスの脅威にさらされていた。とっくの昔に緊張状態にあったのである。文化文政期に怪談芝居に明け暮れていた町人風情がいる一方で、知性のある日本人は西洋から来る侵略の波に警鐘を鳴らしていた。今日と同じで、いつまでも太平の世という日常が続くと思っている人と、そんなものは早晩終わるぞと危機感を抱いている人がいた。そのような状況のなかで、ものを知る人たちの間では、日本が中世に世界的な海洋利権列島だったことが思い出されてきたのである。明治維新によって、日本が海洋国だった16世紀の記憶を呼び覚まし、国民国家として西洋に対峙する時代に入ったのが19世紀末だった。
日本が西洋に侵略されたという史観によれば、フランシスコ・ザビエルの来日というあたりも非常に問題視されてくる。イエズス会という〝侵略部隊〟による日本侵攻という話になるのだが、確かに世界の歴史というのは、ヨーロッパから見た東西対決で描かれることが多い。東方イスラム世界との抗争によって西方ヨーロッパ世界は成り立った。そこでヨーロッパ世界はさらなる東方へと向かい、そこにインドがあり、シナ世界があった。そのさらに東の果てに日本があって、西洋人が日本を発見したというのは、いまでもよくなされる見方である。
しかし、懸命な読者ならお気づきのとおり、この見方は一貫して西洋人が主語である。西洋から見た世界史に過ぎず、日本はあくまで受動的に発見されたかのような物言いがなされている。これが西洋に毒された現代人の認識の落とし穴である。