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小説『神神化身』第一話
「とある大学生、提出〆切三時間前の攻防」
「音楽文化概論Ⅰ レポート①」
■■大学二年 ■■■■
(ていうか、今週提出って聞いてねえんだけど、直前で提出日変わった? ヤマセンの講義再履はマジで無理……)
このレポートでは、講義で取り扱った「舞奏(まいかなず)」について自分なりにまとめ、舞奏の展望について考察しようと思う。
「カミ」に舞を奉納するという『舞奏』の成立については諸説存在するが 、歌と踊りの快楽に興じる民衆の娯楽『舞奏』が先に存在し、それに行事としての大義を与える為に祭事としての性格を与えたのが原型だと考えられている。やがて規模が大きくなるにつれ、舞い手を取り仕切る為に『舞奏社(まいかなずのやしろ)』という組織が成立した。最古の舞奏社が何処かは分かっておらず、全国にぽつぽつと発生したらしい。
舞奏における「カミ」は、古代の人々のコミュニティーの発展において大きな役割を果たした川や海や山などの自然、あるいは象徴的な動植物などに神性を見出すというアニミズム的な信仰を起源としているが、信仰の対象を具象化することなく、非人格的・超自然的な力の観念そのものを信仰の対象とすることで成立した。
さて、舞奏において一番有名な逸話といえば『大祝宴(だいしゅくえん)』にてカミに最上の舞奏を献上することにより心願が叶うという部分だろう。現在ではただの都市伝説としか思われていない部分ではあるが、この逸話を裏付ける伝承も多い。
たとえば1430年頃のXX県のなんとか湖(ここらへん寝てた。ダッシュでピロティ行って■■あたりにノート見せてもらう)にて、一夜にして湖水が干上がり、村に新たな平野が出来るという奇跡が起きた。現在では××として知られる場所は、この干拓地を中心に発展し大飢饉(だいききん)の際も殆(ほとん)ど死亡者が出なかったとされる。しかし、干拓以前のこの村はけして裕福ではなく、大規模干拓を行う資金は無かったとされる。また、干拓には通常長い時間がかかるが、記録上ではこの干拓地は一夜にして出現したということになっている。
一方、この村には一帯に名の知られた優れた舞奏の舞い手がおり、小さいながら舞奏社が存続していた。彼が大祝宴において至上の舞奏を奉じたことで一夜での干拓が実現したという伝説が残っている。この伝説は今でも××では昔話として語り継がれている。
似たような事例として、1510年頃の塩饒(しおあまり)村集団失踪事件が挙げられる。これは塩饒村に暮らしていた二百人弱の村人が一夜にして消えたという事件だ。塩饒村にも舞奏社があったが、殆ど捨て置かれている状態であり、そこに所属していた舞い手も村から迫害されていた人物であったらしい。しかし、その舞い手もまた優れた舞い手であり、他の村などに招聘(しょうへい)されては舞奏を披露し日銭を稼いでいたという。
消えた塩饒村の人々の行方は知れなかった為、この気味の悪い事件が広く知れ渡ると、これもまた舞奏による奇跡と見做(みな)され、名無しの舞い手が優れた舞奏を奉じ、自らを迫害してきた村人達の消失を本願としたのではないかと信じられた。この噂は周辺の村の人々をパニックに陥らせ、塩饒村の舞い手を引き立てろという声も出たようだが、塩饒村の人々と共に舞い手も失踪(しっそう)を遂(と)げていた為、次第にパニックは沈静化していった。
(中略)
現代においての舞奏はカミに奉じるものという流れを汲(く)みつつ、エンターテインメントとして成立している。最近では舞奏社に所属する覡(げき)も増え、長らく開催されていなかった各社の覡の実力を競う『舞奏競(まいかなずくらべ)』が復活し始めた。若年層の観囃子(みはやし)が増えたことで、舞奏競の隆盛による地域振興効果なども注目されている。
しかし自分は、この舞奏競が盛り上がることによって、来る大祝宴の際に講義で聞いたような奇跡が起こるのかが楽しみだ。(文字数全然足りね~。やっぱ■■の手借りるか? あいつ、覡になりたいとか言ってたし、レポートなんか朝飯前だろ)
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(テキストと同様の内容を画像化したものです)
著:斜線堂有紀
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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