小説『神神化身』第二十七話

「枠内の展覧会


「じゃーん、見て見て。額縁に入れちゃいましたー!」
 そう言って昏見(くらみ)が出してきたのは、大きな額縁に入ったバーの名刺だった。洒落た店名の左上に、白ペンによる萬燈夜帳(まんどうよばり)の美しいサインが入っている。こうして見ると、かなり決まっている構図だ。映画の小道具と言われても納得してしまいそうだし、店の雰囲気にも合っている。

「あの萬燈先生のサインですよ! ときめいちゃいますね。どうですか? 所縁(ゆかり)くん」

「……別に自慢するなとは言わないけどさ。俺と萬燈さんに対して自慢することある? 片方当事者だぞ」
 バーカウンターに座る皋は呆れたように言って、隣の萬燈に視線を向ける。萬燈は『トロイカ』なるいかにも強そうなカクテルを煽りながら、いつも通りに笑っていた。
「まあ、いいんじゃねえか。萬燈夜帳のサインだからな。この世広しと言えど、クレプスクルムのカードに書かれたサインはそれっきりだ。はしゃぐ価値もあるだろうさ」
「萬燈さん、今からこの店のカードにあと数十枚くらいサインしてくれ。俺それ配ってくるから。ダブつかせて価値を下げよう」
「ちょっとー、市場操作みたいなことしないでくださいよー。折角闇夜衆(くらやみしゅう)で飲める機会が巡ってきたのに」

 萬燈が多忙なのも相まって、闇夜衆の三人が一堂に会する機会は少ない。舞奏を合わせる時だけは都合をつけてきてくれるが、こうして酒でも飲み交わしながら歓談する時間はなかなか取れない。こうして昏見のバーに集まれるのは、確かに嬉しい時間だ。
「いやー、それに比べて所縁くんのスケジュールの押さえやすさといったら! 寂れたコインランドリーみたいでいいですね! いつでも空いてる!」
「ぶっとばすぞ。……というか、お前だってバー結構開けてるんだな。練習とかキツくないのかよ。あと不定期に俺をおちょくりにくるのも。どうやって時間作ってんだ?」
「まあ、怪盗時代から不定休を頂いていますから。ちょいちょい閉めていますよ。休みたい時にお休みを頂いているので問題はありません」
「…………あのさ、今思ったんだけど、お前って怪盗ウェスペルとしての活動日ってこの店閉めてたの?」
 皋(さつき)が恐る恐る尋ねる。

「当然じゃないですか。いくら私が稀代の大怪盗であるといえども、二つの場所に同時には存在出来ませんからね。まさか所縁くんドッペルゲンガー信じてるんですか? それをトリックに使うのは流石にどうかと思いますよ」
「信じてねーよっていうか、あー……なら気づけただろ! 俺! こんなそれっぽい名前の店がウェスペルの予告日に休み取ってたら気づけるだろ!!」
「何言ってるんですか。この国に何件バーがあると思ってるんですか。いくら探偵が足で情報を稼ぐとはいえ、所縁くんの靴が何足犠牲になったことか。靴代で破産する前に探偵を辞めていてよかったですね」
 言いながら、昏見が壁の目立つところに額縁を掛ける。名刺だけが入った額なんて貧相に見えてもおかしくないのに、昏見の飾る場所が良いのか、萬燈夜帳の威光が強いのか、それは洒落た内装に見劣りしない作品に見えた。
「ほう、額装のセンスがいいな。流石は美術品と直に触れ合っていただけのことはある」
「萬燈先生にそう言って頂けるのは嬉しいですね。価値の無いものを盗むことを信条としていた私ですが、だからこそ価値あるもののことを理解しているんです。どう生かせばいいかもね」
「……たかだかバーの名刺なんだけどな……」
 けれど、悔しいことに認めざるを得ない。闇夜衆として注目を集める昏見のバーにこんなものがあれば、客足も増えるだろう。歓心(かんしん)がそのまま留められているようで眩しい。

「そういや、お前が価値の無いものを盗むって決めたのはどうしてなんだ? わざわざどうしてそこに縛りを入れる?」
「あら、それを聞きます? 萬燈先生も好きですねえ」
「そうだな。小説家なんてもんは筆で人を食い尽くす、才ある蛇だ。隠しておいても構わないぜ?」
「いえいえ、あなたの糧になるなら、いくらでも」
 昏見は軽く首を傾げながら、笑う。
「まあ、単純な話ですよ。泥棒っていけないことですからね。地獄に行った後に申し開き出来るようにしたんです」
「地獄を信じてるようなタマには見えねえが」
「私は萬燈先生のようにいつ死んで無になろうとも後悔の無いような人間じゃないんですよ。天国だってあってほしいです。……あとは、そうですね。人の可能性を信じているからですよ」
 その言葉に、皋がぴくりと反応する。飲んでいたジンジャエールを置いて、昏見の方を見る。
「お前それ前も言ってたな」
「わ、所縁くんってば覚えててくれたんですか? そう、あれは私達が大ピラミッドに眠る黄金を巡って対決した時のことですね」
「してない」
「えっ、なんでそんなこと言うんですか! 最終的に二人で脱出して、これからも一緒に世界中のお宝を頂きに行こうぜって所縁くんが」
「言ってない」
 ただ、可能性についての会話自体は交わした。昏見はあの時から変わっていないのだろう。怪盗ウェスペルと昏見有貴の間が一本の線で結ばれていることに、納得もするし一目も置いている。怪盗行為の是非はともかくとして、昏見はブレないのだ。
「なるほどな。お前の意図は通じた。怪盗ってのはそういうもんなんだな」
「流石、萬燈先生はお察しがいい。ウェスペルは何も価値のあるものの為に怪盗をやっていたわけではありませんが、それはそれとして価値のあるものだって好きですよ。というわけで、この流れで私のお宝をもう一つ見て頂けませんか?」
「おう。構わねえぞ」
「やったあ」
 やたら弾んだ声で昏見が言った時点で、嫌な予感がしていた。昏見がわざとらしくごそごそと棚を漁り、さっきと同じくらい豪奢な額を取り出してくる。一体、棚のどこにそれを仕舞っていたのか分からない。面積的におかしい。
 額の中央には先ほどと同じく名刺があった。見覚えのあるデザインに、思わず皋の顔が引き攣る。
「じゃーん、名探偵・皋所縁の名刺ですよ! 事務所を開いてイケイケだった頃のやつ。しかも右下には直筆のメッセージ入り。んー、なんて書いてあるんでしたっけ。読んでみましょう。『探偵ではなく名探偵が必要なあなたに』わー、かっこいー!」
「おっ……お前それどこで手に入れたんだよ! おい!」
「いやあ、別に珍しくもないでしょう? 所縁くん、あの当時は配りまくってたそうですし、このメッセージも至る所で書いていたみたいですし」
 昏見の言う通りだ。名刺を渡す前に、手持ちのペンでわざわざその一言を添えていたのは自分だ。自信満々にその言葉を口にしていたのも自分だ。だが、こうして額縁越しに見るそれは破壊力が強すぎる。あまりにも、あまりにも、何だろう……。
 とどめを刺すように、萬燈は素直に言った。
「『探偵ではなく名探偵が必要なあなたに』か。いいキャッチだ」
「やめて! 人のイキってた時期を掘り起こしてくんのマッジで性格が悪ぃー……や、ほんとマジで……」
「誇ればいいじゃねえか。この言葉がよすがになった人間もいるだろう」
「さあ、どうかな……どうだろうな」
 過剰なまでに演出した『皋所縁』の姿は、フィクション染みた名探偵を、あの神に等しき万能感を打ち出せていただろうか。書かれたメッセージに少し笑って、自信過剰なこの人ならなんとかしてくれるかもしれないという期待を抱かせるハッタリになっていただろうか。そうであってくれたらいい、と皋は思う。
「……いや、にしてもお前が持ってるのはおかしいだろ! 返せ!」
「嫌ですよ。私の宝物ですもん。所縁くんがまだ名探偵だった頃の遺物なんて貴重でしょう? それに、この名刺の元の持ち主が、名探偵を必要としなくなったってことなら喜ばしいことでは?」
「うるせー! 喜ばしいのと額は関係ないだろうが! 捨てろ!」
「そうか。お前らは大分似たもの同士だったわけだな」
 得心(とくしん)したといった風に萬燈が頷く。天才の頭の中では何かが繋がったらしい。その線を切ってやりたい気もするのだが、如何せん何がどう繋がったのかが皋には分からないのだ。

「でも、考えてもみてくださいよ。私と萬燈先生のコラボ名刺が飾ってあるのに、所縁くんが混ざれないのは可哀想じゃありませんか。あの壁の下が空いているのは、これを飾る為だったんですよ。これで解決です。私達は三人で闇夜衆。ね?」
「ね? じゃねえよ馬鹿!」
 それにしても、昏見が用意したのは冗談みたいにお誂え向きの額縁だった。シンプルな名刺をよく引き立てている。だからこそ、自分の過去が大切に留められているような気分になって居たたまれない。



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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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