小説『神神化身』第三十八話

有為多望(Future and Past)


「舞奏(まいかなず)はどんな相手でも楽しませることが出来るものだ。大人でも子供でも、言葉が通じなくても。だから僕は舞奏が好きなんだよ」
 どうして舞奏が好きなのかを尋ねた時、鵺雲(やくも)は微笑みながらそう答えた。比鷺(ひさぎ)の兄であり、相模國(さがみのくに)の覡(げき)でもある九条(くじょう)鵺雲は、小学生の頃の三言(みこと)にとっては頼れる存在だった。
 小学校に通っている頃は、浪磯(ろういそ)高校に通う彼によく算数の宿題を見てもらっていた。そうして、放課後は将来的に舞奏衆(まいかなずしゅう)を組む覡として一緒に稽古をするのだ。鵺雲の綺麗な舞奏は、子供ながらに観ていて楽しかった。いずれ彼と一緒に舞奏競に出るのだと思うと、一層身が引き締まる気持ちだった。
「観て楽しいっていうのは分かりやすくていいでしょ?」
「うん。確かにそうだ。俺もすごく小さい時から、舞奏が好きだったし」
「そうでしょ? 九条の家に生まれた覡としての役目を果たすことが一番の目的だけど、半分以上私情が混じってるな。僕はこうして舞奏が出来ることが楽しいんだ」
「本願は? 鵺雲さんは何も叶えたいことはないのか?」
 三言は続けて尋ねる。舞奏競に勝って大祝宴(だいしゅくえん)に辿り着けば、本願が成就すると言い伝えられている。十歳の三言にとって、『本願』はクリスマスにサンタさんへとお願いするのと似ていて、上手く想像がつかない。欲しいものは沢山あるけれど、それでいいんだろうか。
「本願かあ。特に叶えてほしいこととかは無いよ。化身(けしん)持ちに生まれることが出来ただけで、僕なんかには勿体無い幸運だし」
「欲が無いんだな。鵺雲さん」
「強いて言うなら、世界中の人が舞奏によって笑顔になったらいいな、と思うよ。それが僕の願いかも」
 鵺雲が笑顔で言う。その後に「ああ、でも」と囁くような声が続いた。
「……個人的なお願いをするなら、早く比鷺に覡になってほしいかな」
 比鷺は、この頃にはもう舞奏の稽古をしなくなっていた。覡になることを拒否し、舞奏社(まいかなずのやしろ)に足を踏み入れることすらなかった。
 元々、鵺雲は比鷺と共に舞奏衆を組むことを熱望していた。然るべき時が来たら、三言と比鷺と自分で大祝宴の道を切り開くのだと。
 しかし、当の比鷺がこれなので、望みは殆ど絶たれている。このままいけば、ノノウ上がりの覡と舞奏衆を組むことになるだろう、と彼はよく零していた。
「比鷺に稽古に来て欲しいのか?」
「うん? そりゃあそうだよ! でもまあいいんだ。比鷺が稽古をしたくないって言うのなら、無理強いはしたくない」
 それは三言も同じことを考えている。無理強いをするのはよくない。舞奏は素晴らしいものだけれど、舞奏だけが人生の全てではないのだから。
「それに、あんまりうるさく言ったら比鷺に嫌われちゃうかもしれないしね! 勿論、比鷺は優しいから、僕を見捨てたりしないだろうけど!」
「なんだろう。そういうことを言っていると、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われてしまうかもしれないぞ」
「あっはっは、難しい言葉知ってるね! 普通に傷ついちゃったよ!」
 三言の言葉を軽く流して、鵺雲がさっきよりなおも楽しそうに笑う。こういうのが高校生の余裕なのかもしれないな、と三言は思う。
「いつか比鷺も舞奏の楽しさに気づいてくれる時が来るのかな」
「来るよ。絶対に来る。だって、僕は弟を信じてるからね」
 そう言う鵺雲の口調が確信に満ちていたので、三言はいつか比鷺が楽しそうに舞奏を奉じてくれる日が──自分と櫛魂衆(くししゅう)を組んでくれる日が、本当に来るんじゃないかと思っていた。

 

 *


 

「久しぶりにがっつりランクマ潜ったら、俺の生きる場所はここしかないと思った。舞奏やってる場合じゃないよマジで。好きなことして生きていく」
「舞奏はゲームに敵わないのか……」
 三言は寂しそうに言う。色々と、思い通りにならなかったことはある。一緒に舞奏衆を組むはずだった鵺雲は浪磯にはいないし、比鷺はそこまで舞奏が大好きになったわけではないようだ。今の状況に不満は無いが、もっと好きになってくれていたらな、とは思わなくもない。
「舞奏はゲームに敵わないっていうか……まあ、率直に申し上げるとそうなんですけど……」
「何でだよ! この間一緒に遠流(とおる)の番組を観たのに!」
「ああ、あれね……あれは……まあ観たけどさ……」
 覡としても実力を知らしめた八谷戸(やつやど)遠流が、舞奏の魅力とこれからの意気込みを語るもの。ちゃんと舞奏の成立や、舞奏社の特徴などにも触れていて、とても丁寧な作りの番組だった。流石は遠流が関わっている番組だと感動したのを覚えている。
『舞奏競は、観囃子(みはやし)の皆さんと僕達の間で一緒に盛り上がれるお祭りのようなものですから。よかったら楽しんでくださいね。僕も全力で頑張ります』
 笑顔で言う遠流はやっぱり格好良く、三言は嬉しかった。隣にいる比鷺の肩を叩いて「全力って言った! 全力って言ったぞ!」と興奮気味に言ってしまったくらいだ。それに対する比鷺の「全力食堂にアイデンティティーを握られすぎじゃない……?」という言葉は、首を傾げて応じた。
「今更遠流がテレビ越しに舞奏の良さを語ったところで洗脳されたりはしないっての。ていうか、舞奏に関する番組も増えてきたよね」
「注目されているんだろうか。関心を向けてもらえるのは嬉しいな」
「そうかもしれないけど……他國の舞奏衆も戦ってるみたいだもんね。尤も、俺らくらい注目されてる舞奏衆は無いみたいだけど」
「そうなのか……」
「ま、勝敗が決したら情報も出てくるんじゃないの。俺らはとりあえず、次の舞奏披(まいかなずひらき)に向けて頑張るって感じかな……う、想像したらつらみが増してきた」
 自分の言葉にダメージを受けたのか、比鷺がバタバタと悶える。
 舞奏への関心が増していくのは素直に嬉しいと思う。観囃子からの歓心も強いものになっていくだろうし、他國の舞奏衆には、三言の観たことのないような、素晴らしい舞奏を奉じる覡がいるかもしれないのだ。その想像は楽しい。
「注目といえば、いつだったかに遠流と萬燈さんが共演した舞奏の特集番組も繰り返し再放送されているよな。あれも凄くいい番組だったからな」
 遠流が浪磯に戻ってくる以前に出演したものだったが、そこで二人は既に出会っていたわけだ。遠流が舞奏について説明し、萬燈が興味深そうにそれを聞く。萬燈が聞き上手なので、視聴者も世界に入り込みやすかった。
「けっ、あれは番組の出来っていうより顔がいい人間を二人並べて歓心を集めてる感じしない? 邪ですわあ……」
「邪だろうか……比鷺の評価は厳しいな」
 三言はあの二人の共演が増えてほしいと思っているが、どうにもタイミングが合わなくて実現していないらしい。この間のインタビューでは、遠流が萬燈夜帳(よばり)原作のドラマ『去りし者たちの煉獄』にスケジュールの都合で出られなかった話をしていた。
『もう、ここ最近で一番悔しかったです! 原作の小説を読んだ時から、これが映像化したらどうなるんだろう? って想像しちゃってましたから。どうしても出たかったんですが……巡り合わせということで。次こそ出られるように、スケジュールをしっかり空けておきます(笑) 勿論、萬燈さんのお眼鏡に適うよう実力もつけておきますよ』
 眉を下げながら言う遠流を見て、三言まで残念に思ってしまった。遠流が出ていたら、そのドラマはもっと傑作になっただろうし、萬燈さんだって喜んだことだろう。そう思うと、次はスケジュールが合うことを祈りたくなった。
「まあ、俺だってかなり顔良いけどね!」
「まだそれについて考えてたのか? 長いな」
「いくらでも考えるよ! あそこに入っても全然見劣りしないもん! はー、なんか悔しい。俺らも二人でなんかやろ。そうだそれこそ実況やんない? 三言はその甘いテノールボイスで賑やかしてくれればいいから。実況者になろうよ」
「俺が……実況者……!?」
「そんなに戦(おのの)かなくていいよ。何でそんな死地に赴くみたいなノリなんだよ」
 比鷺は引いたように言うが、三言にとっては一大事だ。『実況』といえば、比鷺が日々頑張っていることだ。それを通じて、比鷺は全国の人を楽しませているという。三言も覡として多くの観囃子を楽しませようという気概には満ちているが、実況については門外漢だ。果たして、くじょたんほどのことが出来るのだろうか? 恐ろしい。
 そんな三言の不安を余所に、比鷺はのんびり言う。
「んー、ハンネはみこちってどう? 三言だし」
「俺が……みこち……!?」
「かわいいでしょ。くじょたんとみこち」
「……いいかもしれないな。響きは可愛いぞ……」
「よーし! じゃあやろうね。俺、何かしら見繕っておくから!」
 比鷺が嬉しそうに言うので、三言はこれでもいいのかもしれない、と思う。舞奏でこの嬉しそうな表情を引き出せなかったのは悔しいが、少なくとも比鷺は笑顔でいるのだ。きっと、鵺雲だってこんな比鷺の姿を見たら嬉しいに違いない。
 鵺雲は今どこにいるのだろう。三言の事故と前後して浪磯を出てしまった彼は、未だに戻ってこない。年賀状には住所が無く、彼の今いる場所は分からない。舞奏は、まだ好きだろうか。
 きっと好きだろう、と三言は思う。虫食いのように欠けた記憶の中でも、彼が真摯に舞奏について語っていたことは覚えている。

 

   *


 

 舞奏社から兄が戻ってくると、いつも緊張した。
 忙しいだろうに、鵺雲はよく比鷺を構いに来た。比鷺が閉じこもっている部屋を上品にノックすると「入っていい?」と声を掛けてくる。渋々入室を許可すると、満面の笑みで鵺雲が入ってくる。
「たっだいまー、ひーちゃん。元気だった? 今日も可愛いね」
「何だよクソ兄貴。ひーちゃんって呼ぶな馬鹿」
「わー、ゲームしてる! 比鷺はゲームが上手なんだもんね! 凄い! あ、お兄ちゃんも何か手伝おうか? 横で応援しよっか? 僕でも出来ることなら何でもするから!」
「上手じゃない……練習中……用無いなら帰れよ……それとも、稽古に来いって? やだからね」
「いやいや、比鷺がやりたくないなら、稽古には参加しなくていいよ。周りの言うことになんか耳を貸さなくていい。ただ、三言くんも来てほしそうだったから……それだけ伝えようと思って」
 三言のことを持ち出されると、比鷺は弱い。最近出来たばかりの大切な友達。彼が無邪気に舞奏に誘ってくる度、微かに絆されそうになってしまう。
 でも駄目だ。どうせ比鷺は上手く出来ない。今までだって、周りが九条家の控え子に期待してきたほどの成果は上げられなかった。鵺雲に比して及ばないのは当然として、三言にも敵わないだろう。足を引っ張ってしまうのは嫌だ。それに、相模國にはノノウも、そこから昇格した覡もいるのだから。
 けれど、鵺雲はそうは思っていないらしい。
「僕だって比鷺が早く舞奏社に戻って来てくれたらな、と思うよ」
「……別に俺がやる必要無いし。……いっぱいサボっちゃったから無理だよ」
「そんなことないよ! だって、稽古しようとしまいと、比鷺が化身すら無い覡もどきに負けるはずがないもの。戻ってくればすぐに、比鷺は彼らを追い抜くだろう」
 ぴくりと、コントローラーを握った比鷺の手が止まる。それに構わず、兄は続けた。
「努力次第で敵うと思ってるんだから、可愛いよね。比鷺が休んで英気を養っている間だけでも、そんな彼らに夢を見せてあげられてよかったのかもしれない。少しばかり残酷にも感じてしまうけど。ノノウも覡も、みんな本気で舞奏競に出られるかもしれないと期待しているみたいだから」
「…………俺は」
「夢見る一夜を長引かせると、目覚めの朝がどんどん恐ろしくなるよ」
 それだけ言うと、鵺雲はさっさと部屋を出て行ってしまった。
 何だか全部やる気が無くなって、ベッドの上にコントローラーを放る。
 比鷺は鵺雲にも三言にも劣る才能しかない。周りに散々言われてきたことだし、そんなことは自分でも分かっている。けれど、化身がある。実力の面でも、他の頑張っている化身の無い覡やノノウ達を追い落とせるくらいの力はある。そのことが苦しい。
 全部が嫌になって、自分もベッドに潜り込んだ。そして、最近出来たもう一人の友人のことを思い浮かべる。
 寝るのが好きな遠流は、嫌なことがあったらすぐに寝る。眠っている間は無敵だから、というのが彼の言い分だ。それは本当に正しい。賢い友人に習って、比鷺も目を閉じる。明日学校に行ったら、遠流にお礼を言うことにしよう。本人は不思議そうな顔をするだろうけれど。


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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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