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小説『神神化身』第二部 第十九話 「星離雨散リファレンス」
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小説『神神化身』第二部 第十九話 「星離雨散リファレンス」

2021-09-03 19:00

    小説『神神化身』第二部 
    第十九話

    星離雨散リファレンス

     自分達は特別なんだと、八谷戸遠流(やつやどとおる)は無意識に信じていた。
     遠流は、自分達に四人目の幼馴染みがいることを知っている。その彼のことを、遠流はずっと探し続けてきた。
     もし幼馴染の彼が本願を成就させようとするのなら、きっと舞奏競(まいかなずくらべ)の最中に出会うだろう。たとえ離ればなれになってしまっても、自分達の間には何かしら特別な縁や絆があって、一目見れば通じるものがある。だから、自分達はきっと出会える。思い出せる。
     でも、そうじゃなかった。
     水鵠衆(みずまとしゅう)にいる『七生千慧(ななみちさと)』の顔を見ても、遠流は何一つ感じるものがなかった。彼を知っている、という確信も、ようやく会えたという感慨も、何も得られなかった。
     水鵠衆は──そんなことを言うなら闇夜衆(くらやみしゅう)も、御斯葉衆(みしばしゅう)もそうなのだが──遠流の知らない新たな舞奏衆(まいかなずしゅう)だった。そして、その衆のリーダーは、三言(みこと)の隣の家に住んでいる住人と同じ『七生』の名字を持っている。
     新たに生まれた御斯葉衆が浪磯を離れた九条鵺雲(くじょうやくも)の率いる舞奏衆であるのならば、新たに生まれた水鵠衆のリーダーこそが、遠流の探している、自分が忘れてしまっていた幼馴染なんじゃないだろうか。──そう思ったのに。
     この目で確認した七生千慧は、まるで知らない人間だった。戸惑ってしまう程に何も感じない。隣に移っている拝島去記(はいじまいぬき)や、阿城木入彦(あしろぎいりひこ)を見た時と変わらない。ただの知らない誰かでしかない。
     むしろ阿城木入彦を見た時の方がまだ感じるものがあった。彼は驚くほど三言に似ていた。雰囲気というか、佇まいというか、そういうものがとても近い。自分達は──遠流も含めて、どこかみんなが三言に憧れている節があった。三言を理想として、彼のようになろうと標(しるべ)にしてきた。
     なら、こちらが探し求めている相手だろうか? そうゆらゆらと揺れ動いてしまうほどに、何の確信も無かった。
     本当は水鵠衆の中に幼馴染なんかいないのかもしれない。そう思ってしまった方がしっくりときてしまいそうな有様だ。よしんば七生千慧が遠流の求めている幼馴染だったとして、彼のことを他人のように思っている自分が、果たして何を言えばいいのだろう?
     思い出なんか何一つ覚えていない。微かに残っているのは、ベンチに座っていた時の朧気な記憶や、遠流がもたれ掛かった時の温かな体温だけだ。
     あれだけを頼りに探すのは心許なさ過ぎる。そのぬくもりに触れてすら何も思い出せなかったら、遠流はどうすればいいのだろう。
     それに、七生千慧の顔を見た三言も比鷺(ひさぎ)も、何の反応も示さなかった。彼らの中には、何も残ってはいないのだ。
     もう、何一つ取り戻せない。
     三言の号令と共に稽古が始まっても、遠流は酷く怯えきっていた。
     自分が想像しているよりも、事態は悪くなっている。

    「八谷戸くんってば、さっきからどうしちゃったの? ライバル相手に震えるネコチャンじゃないでしょ?」
     稽古が終わるなり、比鷺がそう言ってきたのがなお腹立たしく、それでいて安心するので救えない。察しが今日もよろしいことだ。自分の中に比鷺への甘えを感じる。なので、今日はそれにとことんまで抗わないことにした。
    「……お前、水鵠衆について、どう思う?」
    「水鵠衆? 御斯葉じゃなくて? え、どうって言われても……まあ普通? 化身(けしん)持ちじゃない覡(げき)と化身持ちが混ざってるのは珍しいと思うけど」
     やはり、いくら比鷺でもそれ以上の感想は出なさそうだった。がっかりする方がお門違いだろう。だが、遠流の浮かない顔を見て不安になったのか、比鷺がこう言い添えた。
    「大丈夫だって。俺達だってそこそこ実力ある方だし、負けたりしないって。水鵠衆にも……み、御斯葉衆にも。だからそんな不安がらなくていいでしょ」
     どうやら、遠流の不安の元凶は自分達の実力不足にあると考えているようだった。確かに、遠流の状況を知らなければそう思うのかもしれない。……そう思って貰える方が、確かに楽だった。差し当たって、そちらに話を合わせておく。
    「御斯葉の方はどうなんだ。お前的には」
    「え? うーん……クソ兄貴の話以外になると、栄柴(さかしば)の家がよく復活したなあと思うけど。こういうところって戎矢(えびすや)とか荒清(あらきよ)みたいに消えてくばっかりだと思ってたのに」
    「戎矢の舞奏は有名だったよな。もうやらなくなってしまったのか?」
     舞奏の話題を耳聡く聞きつけたのか、汗を拭いていた三言がそう尋ねてきた。
    「うーん、みたいね。戎矢は昔、ウチと揉めたこともあるし」
    「揉めたのか?」
    「まあ、クソ兄貴は結構恨み買うタイプだしね。んで、その頃にクソ兄貴が崖から落ちたってんで、大怪我負ったことがあんの。その時もすわ戎矢がやったんじゃないかって疑われたレベル。有力な覡の命が狙われるなんて冗談にもならないけど」
     その話は初耳だった。自分達がまだ小さい頃の話だろうか。鵺雲は敢えてそういうことを自分からは言わないだろうから、こんな機会が無ければ聞くこともなかったかもしれない。
    「……大丈夫だったのか、あの人」
    「まー、大丈夫だったよ。でも……」
     比鷺が急に何とも言えない表情を見せた。
    「遠流はさ、右手が使えなくなるかもしれないけど命だけは絶対助かる受け身と、失敗したら命まで取られるけど、助かる時は五体満足で助かる受け身、どっち取る?」
     そんなもの決まっている。命まで懸けて死んでしまったら意味が無い。なら、右手を犠牲にした方がまだマシだ。
    「あの人はさ、舞えなくなる可能性があるなら命まで捨てる。舞える自分を残せるなら、その魂を懸けてみせる。だって、自分が死んだら俺がいると思ってるから」
     いつもへらへらしている比鷺の表情に影が差している。
    「結局、散々疑われた戎矢はシロだったんだけどね。なんか、他の……舞奏とは全然関係無い誰かに突き落とされたみたいで。やった人間はちゃんと申し出て、和解になったらしいんだけど。事故だったし、相手は通ってた私立中学、退学処分になったらしいから……、大ごとにならなかったんだよね」
    「……そんなことがあったのか。鵺雲さんも大変だったんだな」
     三言が悲しそうな顔をする。かつて舞奏の先輩として慕っていた人間がそんな目に遭っていたことを悲しんでいるようだ。
    「三言はそんな顔しないでってば。こんなヤバ案件ってそうそう無いもん。だーいじょうぶ! この俺が極まったFPSスキルで三言のことを守ってあげるからね!」
    「お前のそれはゲームの中だけしか役に立たないだろうが」
    「遠流ってば冷たーい! 昔は俺がゲーム上手くなる度に褒めてくれたじゃん!」
    「昔はな。お前まさかこの年になってゲームが上手くなったっていうので褒めて貰おうとしてるのか?」
    「大人になったというだけで昔褒められたことで褒められなくなる。俺はそれが大変悲しい。俺はたとえおっきくなったとしても、ご飯を食べてすくすく育っていることで褒められたいの! コントローラーの正しい持ち方を知っただけで遠流に褒められた日々よ、カムバック!!」
    「最初はお前の入ったチームは負けるって構図が出来てたから、多少マシになった時に褒めてやらないと、格差が広がるばかりだと思ったんだよ」
    「そうそう。だから俺、本当は自分が入っていいのかなって……──」
     そこまで言って、比鷺が不意に言葉を止めた。
    「あれ?」
    「どうした。急に呆けるな」
    「いや、なんかおかしいような……」
    「何がおかしいんだ?」
     三言が不思議そうに首を傾げる。それに対し、比鷺が続けた。
    「うーん、上手く言えないんだけど、妙に違和感があるっていうか……だって、そうじゃない? 俺と、ゲームしてくれてたのって遠流と三言で……」
    「そうだ。俺もあの頃はゲームをよくしていたな」
    「だからだよ。俺らってどうやって分かれてたの?」
     比鷺が何気なく尋ねたことで、遠流もようやくその意図していることに気がついた。
     昔、比鷺はゲームがそんなに得意じゃなかった。比鷺が入ったチームは負けるとまで言われていたのだ。けれど、三人組である自分達は綺麗に分かれられない。ゲームをやっている時の思い出は、否応なく四人目を思い起こさせる。
     そのことに、今まで比鷺は引っかかりを覚えなかった。なのに今になってそうやって言い出したということは──何か、喚起されるものがあるんだろうか? 遠流の中に、微かな期待が生まれる。それと同時に恐れも覚えた。比鷺が全てを思い出してしまったら、その原因について考えるようになるのでは?
     恐怖と希望を綯い交ぜにしながら、遠流が次の言葉を探していた隙に、三言が口を開いた。
    「俺が誰かを連れてきていたのかもしれないな」
    「え?」
    「俺に声を掛けてくれるクラスメイトは沢山いたからな。もしかしたら誰かと四人でやっていたのかもしれないな!」
     三言が眩しい笑顔で言ってくるのに合わせて、すとんと比鷺も納得がいったような顔をする。
    「そっかー、そうだったかも。ちゃんと覚えてようって思うのに、こういうところから結局抜けてくんだよねえ。俺もそこそこ熱中したゲームのエンディング覚えてなかったりするし」
    「でも、比鷺はどのダンジョンに何があるかを全部把握しているし、アイテムのドロップ率も小数点まで覚えてるじゃないか!」
    「ち、小さい頃の思い出じゃなくてそっちを覚えてるのは何かそれはそれで俺が不実みたいな……」
     駄目だ、と遠流は思う。これでは上手く繋がらない。三言に悪気は無いんだろうが、タイミングが悪かった。確かに三言の友達は多かったし、たまに遊びに混ざることもあった。でも、そうじゃないはずだ。自分達はちゃんと幼馴染としてずっと一緒にいたのだ。
     
     意を決して、遠流はあることを口にした。
    「友情の石碑は?」
    「友情の石碑?」
    「あ! 覚えてる! 俺と三言と遠流とで、四隅に名前書いたやつ。覚えてない?」
     懐かしさに沸き立ったのか、比鷺が笑顔で言った。
    「それは……覚えてるぞ。俺が──大切な二人に、秘密の場所を教えようと思ったんだ。アオバトが沢山やってくる、秘密の場所を……」
    「そこに名前を書いたのは、僕達だけだった?」
     三言のことを見つめながら、はっきりとそう尋ねる。もしかしたら、そこには七生千慧の──いいや、彼の名前じゃなくてもいい。誰かもう一人の名前があったんじゃないだろうか。比鷺が違和感を覚えたように、三言にも感じるものがあるんじゃないか。
    「い、いやだって、それは流石に幼馴染だけのものでしょ。流石にそこにポッと出の奴は入れたりしないって」
     戸惑ったように口を挟んできたのは比鷺だった。
    「でも、四隅に名前を書いた覚えはお前にもあるだろ? なら、もう一人くらい……誰かいたんじゃないのか?」
     遠流は縋るような声で言う。どんな人間だったかすらももう定かじゃない彼の名前が、そこにはあったんじゃないのか。それを思うと、泣きそうになった。自分ですら確信出来ないことを、相手に託そうとしているなんて浅ましい。比鷺の目が、訝しげに細められる。遠流の言っていることを精査しているのだろう。昔から、比鷺にはそういった聡明さがあった。
     だが、今度も三言が先に答えた。
    「それじゃあ、俺達全員が記憶喪失っていうことか? 遠流は面白いことを言うな」
    「いや、その……三言の事情を考えないで、変なことを言ってるわけじゃなくて」
    「でも、いくら俺でも大切な幼馴染との思い出は忘れないぞ。遠流と比鷺にしかあの場所は教えない」
     三言の表情は依然として笑顔だった。だが、その声は穏やかながらも、どこか言い聞かせるような──あるいは、牽制するような、声だった。
     そこでようやく気づく。
     三言はタイミングが悪かったわけじゃない。むしろ彼のタイミングは完璧だったのだ。
    「……そう、かもしれないけど」
    「そうだぞ。俺は遠流にだから、あの場所を教えたんだ」
     三言の笑顔を見ていると、それに抗えなくなりそうだった。このまま何にも触れなければ、自分の傷が掘り返されることもなくなる。変に漣(さざなみ)を立てたところで、四人目の影を追えるのは自分だけだ。遠流が俯きかけた瞬間、不意に比鷺が言った。
    「まあ、俺達全員が記憶喪失になってるんだったら、確かに誰かの名前があるかもしれないけど」
    「え?」
    「えって何、えって」
    「お前、記憶喪失なんか本気であると思ってるのか?」
    「ひっでー! それっぽいこと仄めかしたの遠流じゃん!」
     尤もなことを言いながら比鷺が喚く。そのまま、比鷺は不満げに言った。
    「完全に否定出来る根拠が無いなら、頭ごなしに否定するのも違うでしょ。でもまあ、俺達が揃って~とかは無いと思うけどさ。ゲームじゃあるまいし」
     心臓が痛いほど鳴っている。それと同時に、這い寄るような嫌な予感も覚える。三言は今、何を考えているんだろうか。
    「でも、俺達の友情の石碑、どっか行っちゃったんだよね」
    「そうなのか?」
    「うん。俺、昔見に行ったんだけど……全然見つからなくて。あれって、二人と探したらちゃんと見つかったりするのかな」
    「見つかるといいな。今度探しに行こうか」
     そう言う三言は、いつもと変わらない笑顔だった。遠流のよく知っている、大切な六原三言だ。


      *

    「水鵠衆で稽古をしないか?」
     阿城木がそう提案すると、七生はクリームパンをめいっぱいに頬張りながらきょとんとした顔をした。
    「拝島のやつを今日ならウチの稽古場に連れてこれるし、一回くらいお互いの舞奏を観ておいた方がいいだろ」
    「ほういうことも……そういうこともあるかもね。うん、一理ある」
     口の中のクリームパンを呑み込むと、七生は訳知り顔で頷いた。蔵で化身を見せられてはいたものの、実際に七生の舞奏を観たことはない。
    「午後には拝島を連れてくるからさ、まずはお前の舞を見せて欲しいんだけど……」
    「いいよ」
     秘密主義な七生のことだ。一旦は渋られるかと思ったのだが、意外にもあっさりと頷かれた。遅かれ早かれ観せることになるからかもしれないが、何となく戸惑ってしまう。
    「い、いいのか?」
    「何でそんな意外な感じで言うのさ。別にいいよ。これでも覡なんだから。……っと、でも、阿城木こそいいの?」
    「何がだよ」
    「だって、僕の舞奏なんか見ちゃった日には、きっともっと僕のこと好きになっちゃうよ?」
    「好きって前提はどっから来たんだっつーの」
     すると、七生は冗談とも真面目とも似つかない奇妙な表情で言った。
    「あんま好きになっても駄目だよ。僕なんかさ」
     その意味を尋ねるより先に、七生が立ち上がる。
    「稽古場に行こうよ。観せてあげる」

     化身持ちの舞奏を目の前で観るのは、これが初めてだった。
     化身偏重の上野國舞奏社(こうずけのくにまいかなずのやしろ)であろうとも、実際に覡として所属する化身持ちを擁していたことはない。他國においても、化身を持っている人間は貴重だ。何年か前の舞奏披(まいかなずひらき)で、九条家の長男が舞っていたのを遠巻きに観たことはある。
     あの時に阿城木が受けた衝撃は凄かった。化身とは正しく才能の証なのだと、言外に言われているかのようだった。
     だから、本当は七生千慧の舞奏を観ることも恐ろしかった。
     もし七生の舞奏が並外れて素晴らしかったら、化身の無い自分の舞奏に自信が持てなくなるんではないかと。そう思ってしまうような──本当は、誰よりも化身にこだわっているような自分が嫌だった。
     こんな自分を、七生に捻じ伏せてほしい。そう思いながら稽古場の中央に立つ。
     そして、七生千慧は舞い始めた。
     彼が選んだのはどこの舞奏社にも伝わっていそうな伝統曲で、簡単すぎも難しすぎもしないものだった。それを七生が選んだことも、何だか意外に思うような曲だ。七生は音楽に合わせ、よく通る声で歌い始める。
     そう長い曲ではないので、舞い終えるまで四分もかからなかった。それでも七生は肩で息をして、小さな身体を揺らしている。その目はやや不安げだった。そのまま、七生が小さく尋ねる。
    「ど、どうだった……?」
    「や、うん……上手かったと思うぞ」
    「ちょっ……な、何! その歯切れの悪さは!」
     七生が小さい身体を跳ね回らせて抗議する。それに対し、阿城木は真面目な顔で言った。
    「普通に上手かったんだよ」
     言葉にした通り、七生の舞奏は普通に上手かった。基本の動きはしっかり出来ているし、綺麗だった。
     だが、七生の舞奏は天性の才能を感じさせるものというよりは、むしろたゆまぬ努力を感じさせるような──阿城木と似たような臭いを感じる、そんな舞奏だった。必死に何度も何度も練習して、ようやく高みへと指を掛けられたような、懸命な舞奏だ。一体、七生はどうやってこの舞奏を会得したのだろうと思うほどに。
     そして何より気になるのは、何も持たずに舞っている七生の手に、何か奇妙な癖のようなものがついていることだ。七生の舞奏は、明らかに手で何かを振るような動作が入っている。
     まるで、それが身体に染みついているかのように。
    「お前、どこで舞奏の稽古を受けたんだ?」
     そんな癖がつく理由は一つしかない。七生が舞奏を覚えた舞奏社が、そういった振りをつけるところだったのだ。
    「……それは別に、関係無いでしょ。どこにだって舞奏社はあるんだし──」
     相変わらず、こういうところにおける七生の口は重かった。
    「どこか知っている舞奏を参照している部分はあるのかもしれないけど、今は上野國の舞奏に合わせようと思ってるから。どこか変だったら言って」
    「いや、変っていうか……そうじゃねえよ」
    「だって僕は、水鵠衆の覡なんだから」
     ともすれば意固地にも聞こえる声で、七生が言う。こういう時の七生の瞳は、内面の動揺を反映するかのように揺れるのだ。その頬を掴んで、ぐいっとこちらを向かせる。相変わらず体温の感じられない頬だったが、不快ではなかった。
    「わっ、な、何!」
    「だったらその目ぇやめろって。別に変じゃねえっつの」
    「なぁにが目だよ! 僕の目に何か書いてありますかー!? 不服だっていう訴状が何行にも渡って書かれてるんですかぁー!?」
    「それは無いけど、…………不思議な色合いしてるよなぁ、お前の目」
    「それ絶対今言うことじゃない!」
     ばたばたと手を振り回して、七生が頬の拘束から脱する。そうして、七生はぽつりと言った。
    「……綺麗な目でしょ」
    「あ?」
    「……きっとこの目はね、ずっと見てたからなんだよ。あの時のことを忘れたくなくて、特別な場所の前で、日が沈むその瞬間まで目に焼き付けようとしてたから」
     阿城木には意味の取れない言葉だった。だが、七生が懐かしげに語る言葉が優しくて、彼が誇っている目の色が綺麗で、思わず黙り込んでしまう。そして、思った。七生の目は、海に似ていた。日が沈む寸前の、美しい夕暮れを永遠に留めた海だ。その目を見つめる阿城木の耳に、微かに鈴の音が聞こえた。






    著:斜線堂有紀

    この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。





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    ©神神化身/ⅡⅤ

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