小さいときから「ババア固まってねえか?」とか、そういうことを言うのが日常だったから
毒蝮 どうぞいろいろ訊いてください。『AERA』さんね?
山口 いや、『AERA』ではないです。
毒蝮 『週刊平凡』?
山口 それはもうないです。
毒蝮 ああ、『主婦の友』か?
山口 はい、それにしときます!(笑)。いや、じつはインターネットで見れる『かみぷろ』というWEBマガジンなんですよ。毒蝮さんはいま現在、なんとお呼びするのが一番いいんでしょうか。先生? 師匠?
毒蝮 教授だね。
山口 そっちだ!
毒蝮 師匠って呼ぶ人も多いし、先生って呼ぶ人も多いし。長嶋茂雄さんは俺のことを三太夫さんって呼んだことがあるけど、そう呼ぶ人はほとんどいないよね。
「ドクマムシ」っていうのは言いにくいよな。だから、マムちゃんとかマムシさんって呼ぶ人が多いかな。
山口 そのマムシさんは品川生まれの浅草育ちということで、言ってみれば、リアルに「おせっかい」と「諧謔=ユーモア」の中で育ってきたわけですよね。
毒蝮 下町育ちなんだけど、神田とか芝とか人形町とか水天宮とか日本橋、上野もチラッとそうだけど、あっちのほうは非常にプライドが高いわけよ。
山口 下町界でもエリート。
毒蝮 そう。俺の家は龍泉寺っていう、下町でも外郭団体なんだよ、言ってみれば。吉原っていう遊郭のもっと先だから。樋口一葉が『たけくらべ』を書いたっていうね。
樋口一葉がなんで小石川の家からそこに行ったかっていうと、掛け取りが来ないから行ったっていうふうに書いてあるよね。要するに借金取りが来ない。
山口 借金取り!その言葉を聞くだけで身体の震えが止まりません!
毒蝮 ということは、借金取りが来ないほど貧乏長屋だった。俺も下町育ちで悪ガキなのは違いないんだけど、俺んとこと日本橋とでは品が違う。
要するに日本橋とかは自分の土地で、商店街でも大きな店持ってたりなんかするから。生活にあくせくしてなくて、みんな優雅なんだよね。だけど俺ん家のほうは昔でいうと貧民窟だよな、長屋で。
天ぷら揚げたら隣の家に持ってかなきゃいけない、匂いが移ってっちゃうから。その代わり向こうで天ぷら揚げたら、こっちは何も作らないで待ってる。
山口 メシだけ炊いて(笑)。
毒蝮 そう。来ないとえらい目に遭う。そんなので、構ったり構われたりしながら諧謔を磨くっていうのは、俺たちの場所がそうしたようなもん。神田とか日本橋のいい商店街とか、そこで育ったガキどもとは違うんだよ。
下町でもそういうカーストでいえば上・中・下があって、下のほうだから。そこは「構わない」と生きていけないんだ。要するにお裾分けとかお相伴とかね、そういうふうにしないと生きていけない。
だから米がなかったら「借りてきな」とか、おかずがなかったら、「あそこ行ってもらっといで」とかね。ちょっと寝込むと卵酒が届いたり、「構う」のよ。
そういう中で育ったから、ある意味では愛想はいいんだ、構われたいから。構われるためには、そいつに魅力がないといけない。みんな金や財産はないけれども、「構われたい」し「構いたい」の。「構う」から「構ってくれる」わけ。
山口 ぶっきらぼうじゃ成り立たないけども、あからさまに愛想がいいっていうのも恥ずかしいもんだから、諧謔が生きてくる。
毒蝮 そうそうそう。ホントにそっくり返ってたら生きていけない。ものがないんだから。ひとつのものを半分ずつ分けて食うわけだから。俺ん家も親父が大工で、お袋が芝で生まれて神田で育った狸ババアだから、下町に馴染んじゃうわけ。それで小さいときから「ババア固まってねえか?」とか、そういうことを言うのが日常だったから。
山口 「ババア、動いてるか?」と(笑)。
毒蝮 そうそう、元気かどうかを確かめる。それは日本橋やなんかではあんまり言わないんだよ。俺たちは「構う」。
その「構う」ことが、いまの俺のタレント生活というひとつの生業になっちゃったわけ。「構う」ことが嫌じゃないし、慣れてるんだよ。
山口 長屋的なつきあいがネットの世界にはあるなんて言われたりもしますけど、昔はリアルに醤油の貸し借りとかもあったわけですよね。
毒蝮 そんなの当たり前だよ。だから何もなくたって生活はできた。着るもんだってお下がりを隣の家からもらったりね。
そういう点では、今は携帯電話とかインターネットとかなんとかっていうことで「構わなくなった」のと、人の顔を見て話をしないことが当たり前になっちゃった。
その欠陥が出てるんだよね、イジメであったり、隣近所に付き合いがないから孤独死になったり。そういう欠陥、文明の欠陥だよ。