1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第12回 2005年 (前編) HERO'S誕生! 魔裟斗、KIDが中量級の時代を作る!
2004年の大晦日は、平均視聴率で夢の20%越えを果たし、大晦日イベントの怪物化にますます拍車がかかっていきました。20%も取ったんだから、当然、コンテンツ的にもいろんな渦が巻き起こってきます。
まず、2003年に衝撃的な転向を果たした曙は、「総合」という別のアプローチを試みましたが、相変わらず勝てずに苦労しました。これは2005年になっても、ずっと続きました。だからと言って、単純に「やっぱり素人をリングに上げるのはよくない」ということにはなりません。一方でボビー・オロゴンの登場は期待通りの結果が出て、モンスター路線に拍車がかかっていくのです。ボビーについては、試合に出る度にテレビ局の需要も高まり、本人もタレントとして一皮剥けていきました。その後、元阪神の4番打者・立川や、お笑いタレントとして大ブレイクするオードリーの春日、ボビーの実弟・アンディ・オロゴンなど、タレントが格闘技のリングへと上がって行ったのです。
このボビー効果は、「競技路線」を強調するPRIDEの磁場をも狂わせました。なんと2005年の大晦日では、あのPRIDEがタレントの金子賢をリングに上げたのです。聞くところによると、この提案は桜庭を始めとする有名格闘家と練習する金子賢の存在を知ったフジテレビが仕掛けたもので、バラさんたちは最後まで抵抗していたそうです。でも、僕らK-1チームとしては、PRIDEがモンスター路線に走れば走るほど思う壺です。この手の異種格闘技戦は、僕らの専売特許ですし、モンスター路線でK-1を批判できなくなりますからね。
また、総合の歴史は「プロレスラー vs グレイシー」が根幹にありましたが、それも吉田秀彦の参戦あたりから流れが変わり、時代は柔道やレスリングのオリンピック・メダリストの転向が大きな話題になるようになりました。2004年の大晦日に参戦した秋山成勲や中尾芳広も、まずまずのスタートを切り、期待は高まっていったと思います。2005年の大晦日には、レスリングの銀メダリスト永田克彦も、『Dynamite!』に参戦するようになりました。
しかし、そういった時代の流れの変化も去ることながら、一番大きく変わったところは、中量級にスポットライトが集まるようになったことです。もちろん、これは2002年から始まったK-1MAXのエース魔裟斗の存在が大きいことは言うまでもありません。しかし、魔裟斗も大晦日の舞台に登場したこと。そして、自分ではイージーファイトだと思っていたKIDと闘ったことが非常に大きい。大晦日は、それほど通常格闘技を見ない一般層が見ますからね。魔裟斗にとっては、K-1MAXの世界王者になることが自分の本分で、大晦日に出て、ヘビー級の脇役扱いされたらたまらないと思っていたのですが (これは極めて正しい!)、KIDとピカピカの対決をすることによって、そのヘビー級をも超えてしまったのです。本当に中量級の時代が来たのは、魔裟斗vsKID以降でしょう。