燃やしたのは嘘じゃねえか?
山口 周さんの両親は広東省の出身で、周さん自身は華僑。1943年、横浜中華街の生まれで、3歳の時に戦争が終わったんですよね。
周 はい。
柴田 (小声で)や、や、山口さん、生まれた時から話を始めたらまた時間がなくなっちゃいますよ。
山口 ああ、そうか。じゃあ、話題を一気に変えて(笑)、『料理の鉄人』でライバルだった道場六三郎さんが80歳を迎えて、いままで溜めてきた自分の料理のレシピを燃やしたという逸話があるんですよ。
周 自分のレシピを燃やした?
山口 既成の概念や年齢に囚われず、さらに新しい物を作っていきたいという思いなんでしょうけどね。
周 一回みんなで食べに行ったことがあるんだよ。服部(幸應)先生と石鍋(裕)さんと僕とどっかの雑誌のおじさんと。
山口 どっかの雑誌のおじさん!(笑)。
周 道場さんが招待してくれて、お客さんとして食べに行ったことがあるよ。
山口 道場さんはお元気ですか?
周 最近、会ってない。でも元気だろ。昨日、新聞を開いたら梅干しのコマーシャルをやってたよ。
山口 周さんはいま70歳ですよね。
周 70歳。
山口 道場さんが80歳を迎えてなお、レシピを燃やしたことをどう思いますか?
周 本当に燃やしたって?
山口 本当のところはわからないですけど、テレビで見ました。
周 ……燃やすことはねえだろう。
山口 あ、燃やすことはない。
周 新しい物を考える時に昔のレシピが参考になるだろう。……燃やしたのは嘘じゃねえか?
山口 そうですかねえ。僕はこの話にちょっと感動したんですけどね。破壊と創造!それが80歳を迎えてできるなんて、じつに素晴らしいじゃないですか!
周 あ、そう。
山口 あら。周さんは子供の頃は貧乏だったんですか?
周 食い物がないっての貧乏ではなかったけど。あれ買って、これ買ってという贅沢はできなかった。
山口 子供の頃は、野山を走り回ってヘビを獲ったりカエルを捕まえたり。
周 捕まえた。
山口 そうやって食べ物を追い求めたりしてたんですか。
周 カエルなんか怖くて食えないけど。芋とかいろいろやったね。
山口 柿泥棒をよくやってたらしいですね。
周 柿もやった。おいしかった。
山口 あ、おいしいですか(笑)。
周 たまに渋柿に当たって「うえ〜」ってひどい目にあったり。
山口 野山を駆け巡ってた頃。つまり子供のころに、「おいしい物を食べさせると人は幸せになるんだなあ」ということに気付いたそうですが。
周 それに気付いたのはコックになってからだよ。
山口 あ、コックになってから。
周 そんなこと子供の頃に考えないよ。
山口 はれ?……そう周さんの本に書いてあったんですけど(笑)。
周 でも、おいしい物を食わすと幸せになるのは確かだよ。
山口 それに気付いたのは子供の頃ではなかった?
周 子供の頃なんか物がないよ。
山口 お父さんもコックだったんですよね。
周 コック。
山口 子供のころ、そのお父さんが作ってくれたチャーハンが、周さんの料理の原点だとか。
周 目が開いた。
山口 「柿もやった」「コック」「目が開いた」。周さん、答え方がじつにシンプルですよね(笑)。あ、すいません、続けてどうぞ。
周 焼飯、おいしかった。「うめー」って。だからいまでも俺は………あ、そうだ! チャーハン食う?
柴田 (元気よく)ぜひ、お願いします!
山口 お前、なんでこういう時だけハキハキ応えるんだよ!ふだんは藤波辰爾より滑舌が悪いくせに!
周 あとで作ってやるよ。
柴田 (さらに元気よく)お願いします!
山口 京王プラザホテルの試験を受けた時に、他のコックさんたちはみんな制限時間いっぱい使って、あの手この手の料理を作った。
でも周さんだけは残り5分になってから作り始めて、ササッとシンプルで熱々なチャーハンを作って出して合格したという逸話がありますよね。
周 ある。
山口 それは本当ですか?