第19回 リングス実験リーグ~1994年。
膝を痛めつつも、僕は試合をこなしていた。当時はまだ総合格闘技という言葉はあっても、実際に総合的に使える選手はそれ程いなかった。だから騙し騙しでも充分通用した。
総合格闘技の試合で僕は負けていないし、危ない目にもあっていない。憧れた総合格闘技のプロの試合ではライバルがいなかった。僕にとって新しい世界はなんとも緩い世界だった。総合格闘技が認知され出した時期と、正道会館のプロ化の時期は重なる。そして僕にもう1つ変化の時期が重なった。
その頃、僕はゼンショーという会社に入社した。ゼンショーという会社は牛丼の「すきや」を主体とした会社で、当時はまだ横浜を中心にして店舗展開をしている小規模な会社だった。やがて日本一の規模の会社となったゼンショー。当時から「日本一になる!」と語っていたのがゼンショーの社長。それを現実にした社長。懐かしい思い出がゼンショーにはあったりする。
僕はゼンショーでとても良くしてもらい、可愛がって頂いた。社長が格闘技好きで、リングスを後援していた縁で、会社所属の格闘家を育ててみたいという社長の夢と僕の存在が上手く合致した。僕は企業所属の格闘家として試合をすることになったのだ。
他の実業団のスポーツ選手と比べても待遇は悪くない。アルバイトをしながらシュートボクシングのメインをやっていた頃に比べると、だいぶ生活にも余裕がうまれた。試合も定期的に組まれ、シュートボクシングの興行よりもたくさんの観客の前で試合をして、ファイトマネーもずいぶん上がった。試合は有給休暇でやって、給料とボーナスを貰いファイトマネーも別にもらえる生活。僕は何となくその余裕の中でのんびりし始めていた。そして、それ以上に不思議な感覚があった。