第19回 実録・ミッキーが躊躇なく戸籍を売った理由!
1983年、秋、9月。
オレは、毒入りお笑いミニコミ雑誌『カジノフォーリー』創刊号を発売し、雑誌は全国の大型書店に並んだ。
地方の書店は苦戦したが、都内の大型書店の売り上げは、想像以上だった。
紀伊国屋書店新宿店は100部が完売、池袋の芳林堂が50部を突破。
一番驚いたのが、六本木の「青山ブックセンター」で100部を完売したことだった。
この書店は、出版界では「通(つう)の読者」が来る書店として有名で、そこで支持されたことは、本当に嬉しかった。
しかし、経営的には「赤字」であった。
なぜなら、そもそもが2500部完売しても、赤字なのである。
定価が380円、直の書店では7掛け(定価の70%で納品すること)、取次(本の流通をする会社)の地方小出版センターの扱いは、たしか65%だった。
計算がしやすいので、仮にすべて7掛けとして、いくらの売り上げになるかを計算すると、定価380円×0.7×2500部=66万5000円。
一方、支出は印刷費が約60万円。原稿料(普通のミニコミは無料。有名人に書いてもらうときには例外的に支払うが、一般の出版社の半分以下。カジノの場合、安いが原稿料を必ず払うことを原則にしていた)が約25万円。
経費が20万円。
トータルすると105万円(実際は細々とした経費がかかるのでこれ以上。105万円は最低の支出)になる。
支出が105万円なのに収入が66万5000円。
よって、赤字が38万5000円。
だが、取次からの支払いは半年後。
全額がそのときに支払われることがないので、運転資金がないオレは創刊号を出した時点で、貯金の100万円しかないので、2号を出す資金はゼロに近かった。
しょうがなくなったオレは、片っ端から「借金」することにした。
ノートの左側に名前と借金できる予想金額、右側に実際の借金額を書き込む「借金ノート」を作り、電話攻勢の毎日。
いまでも当時のことを思い出すと胃が痛くなる。
実際、この頃からオレは「睡眠障害」になった。
でも、このとき貴重な体験ができたのもたしかだった。
この人なら必ず貸してくれるだろうと予想した人から断られる。
かと思うと、一方ではダメだろうと期待していなかった人から予想額の倍以上を快く貸してくれたり、他人や人生は「ままならない」ということを本当に知らされたものだ。
そうやって借金をしても、30万円ほどしか集まらず、オレは途方に暮れていた。
そんなときに、ある友人が「偽装結婚」の話をもってきたのだ。
「竹本、そんなにカネが必要いうんやったら、偽装結婚したらええがな。オレの知り合いで斡旋しとるヤツがおるから、紹介したるわ」と。
オレはなーーにもチュウチョすることなく、この話に乗った。
なぜなら、その当時のオレは国家や役所なんちゅうものを鼻っから信用しておらず、「戸籍」などというものも全くどうでもよかったからだ。
《※編集部注:個人の感想です。》
紹介されたヒトは、元全共闘だったというが、その面影どころかチン毛1本に至るまで怪しいムードがむんむんムレムレの40歳前後のオッサンだった。
うさんくさいヒトとは思ったが、「溺れる者はワラをも掴む」と同じで「ノドからカネが欲しい物は陰毛でも売っぱらう」ってなもので、カネのためなら「うさんくささ」なんちゅうものはどうでもよかったといえる。