1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第30回 2010年(前編)10年目の大晦日、最後の大晦日
魔裟斗の引退、石井慧のデビュー、戦極との全面対抗戦など、いろんな意味で話題を作れた2009年の大晦日。しかし、そのドタバタ劇もあって、僕にはどこかスッキリしない疲労感しか残りませんでした。青木君の腕折りもあって、その後戦極と継続的にドラマを作っていくこともできず、戦極は新体制で細々とイベントを続けていきましたが、そこにDREAMが絡むことはありませんでした。でも、主催者同士の信頼関係があれば、いろいろ作れたんですけどね。
結局、大晦日のイベントも、K-1軍vs猪木軍に始まり、K-1vs猪木軍vsPRIDEの興行戦争に発展してしまいました。成功した分だけテレビ局が食指を伸ばし、テレビ局に踊らされるように格闘技界が分裂してしまったのです。そして、K-1vsPRIDEの仁義なき戦いが起こりファイトマネーが高騰、熾烈な引き抜き合戦も起こりました。しかし、PRIDEがなくなったことでそれも終焉を迎え、旧PRIDEスタッフとは電撃合体。そこで生まれたのがDREAMですが、PRIDEの残党として戦極という一派も生まれ、その戦極とも対抗戦という形で同じリングに立つことができたのが2009年の大晦日でした。
10年経ってTBSと始めた大晦日イベントは、結局TBSと始めた僕らしか残らず、2010年に10周年を迎えたのです。しかし正直、やるべきことはほとんど残っていません。ある意味、魔裟斗の引退と石井慧のデビュー戦は時代の区切りを象徴していました。しいていえば、当時絶頂を迎えていたUFCとの戦いでしたが、UFCが日本人にとって知名度があるかといえばそうでもありません。それ以前として、UFCと戦っていく体力がもう僕らには残っていなかったのです。
石井館長が戻ってきた2008年の時点で、すでにK-1にも自力でやっていく体力は残っていませんでした。その前年にPRIDEは60億〜70億円でUFCに身売りしています。K-1もその選択に迫られていたのです。話はすぐに進みそうでした。最初に名乗りを上げてくれたのがK-1の大スポンサーだったパチンコ・パチスロ製造販売会社のフィールズ。しかし、この話は契約まで行きながら、2009年5月に流れてしまいました。次にサニーサイドアップの次原社長の紹介でシンガポールのスポーツエージェント会社のTSAが登場し、まさに2009年の大晦日の試合やオールKOで決まったK-1の決勝大会を見て大興奮していたのですが、その話も契約まで行きながら2010年の3月に流れてしまったのです。ちなみにこのTSAこそ、のちにGLORYを始める人たちです。
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