その12 テラズアポレス……グレイシー一族の原風景の町。(前半)
ずーっと前、いつの間にかだいぶ時間が経った。今から15年以上も前の話。僕はアメリカからブラジルに向かった。一緒に行ったのはカーリー・グレイシー。いつものようにアメリカでグレイシー柔術を学んで、カーリーと話をしてたら、昔のグレイシー一族の話になった。懐かしそうに話をするカーリー。話が段々盛り上がる。そのうち白熱してくる。ラテン系は熱いのだ。
それで急にカーリーが僕に言ったのだ。「そうだ! ブラジルに一緒に行こう!」って。それは良いし、それは楽しい。僕も行きたいと言った。いつか一緒に行くんだなと当然思った。すると、カーリーはマネージャーに電話した。ブラジル行きのチケットは取れるのか、と……。
はっ……? いつかじゃないのか? 今なのか? 日本からわざわざサンフランシスコに練習に来たのに、なぜまた時間をかけてブラジルに行くのだ? カーリーは猪突猛進なのだ。猪がブラジルにいるかは定かではない。そのうちにマネージャーから連絡が来た。チケットはすぐに取れると……ありゃりゃ。ブラジルに行くのね。
次の日、サンフランシスコのブラジル大使館にカーリーと行く。ブラジルに入国するにはビザが必要になるのだ。なぜにサンフランシスコでビザを取るのだ? 全く訳が分からない。人生はネタの宝庫である。ネタは大げさなほうが人生は楽しいのだ。
実はブラジルに行くのはその時が2回目。1回目の時もサンフランシスコからブラジルに行った。その時もサンフランシスコのブラジル大使館でビザを取った。1回目の時もネタの宝庫の旅だったぞ。
日本で素手のバーリ・トゥードをやって勝った僕は、お気楽に試合後の休養を楽しんでいた。ある日、楽しんでる僕に電話が……ブラジルで試合がある、と。“ヒクソン・グレイシーチャレンジ”と銘打った大会。トーナメントでバーリ・トゥードを行い、その優勝者とヒクソン・グレイシーが試合をするといった大会だ。だけど、試合後の休養を取っていた僕へのオファーではなく、他の選手を出してみよう。試合で勝てそうか? そんな内容の電話だった。
素手のバーリ・トゥードをやってから1ヵ月、当時は素手のバーリ・トゥードを興行でやった時代。だからまだ試合で何が起こるのかが正確に分かってない時代。試合であって試合じゃないような状況。だって試合はきちんとルールがあるし、選手のケアもきちんとしてくれる。そんなことが期待出来ないという不思議な時代がホンの少しだけあったのだ。
初期のUFCも同じ格闘技であって格闘技ではないような試合が、観客の前で堂々と行われた時代がホンの少しの間あったのだ。そんな状況で試合に出るのを躊躇する選手を責めることは出来ない。なので、結局こうなった。
「僕が試合出てもいいですか?」
人生はネタの宝庫なのだ。ネタは向こうからやって来るだけではない。自分で見つけても良いのだ。とはいってもやっぱり怖い、相当怖かった。それで試合前にカーリーに練習を見てもらって、調整してからブラジルに行くことにした。