その26 “サムライメソッドやわらぎ”誕生。(前半)
「俺たちは兄弟団体だ」。そう言われても僕には施術の弟子はいない。変な感覚で僕は過ごした。その間にもどんどん学びが深くなる。“破”の時期が来るとどんどん発想が豊かになる。豊かな発想からは豊かな新しいものが生まれてくる。もちろん、柳生心眼流を学びながら……。
柳生心眼流を学ぶ時間も急速に増えていった。毎週金曜日は一日学ぶ。学んで頂いた口伝を6日間かけて重ねていく。そして、あっという間に次の金曜日が来る。できていなければ次の口伝は理解できない。そもそも見えないものを見るのが武術なのだから、6日間の過ごし方は動いて見せればすぐに見破られる。きちんと取り組まなければ次の教えはないのだ。
とても濃密で凝縮された豊かな日々を僕は過ごす。そうすると学んだことが自分の形となって勝手に出てくる。武術の学びとは言葉で教えてもらい、直接身体に術をかけてもらったら、それを日々繰り返す。武術は頭では理解できない。口伝に従い日々繰り返すと、勝手に身体が変わり、身体から答えが出てくる。身体が変わり、口伝の意味が身体から出てくる。そうやって口伝は自分のものとなる。
自分のものになった口伝は、自分の言葉となり、別の言葉になる。例えば、口伝がりんごだとしたら、言葉でりんごの味を想像するのは難しい。自分で歩いてりんごをとって食べるまでが、口伝に従った鍛錬。りんごの樹までの地図がもうひとつの口伝であり型。りんごを食べれば勝手に味が分かる。りんごは同じでも味わい方と感想は各自で異なる。だから口伝を手にすれば自分の言葉になり、師匠の言葉とは違う言葉になるのだ。
りんごの樹までの歩き方は型なのだ。型はだから絶対に変えてはいけないというのが流儀の教え。そうやって学びを深めると自分の言葉とやり方が出てきてまとまって来た。僕は誰もやらないようなことが好きなのだ。
“サムライメソッドやわらぎ”は誰の手法とも違ったやり方でできている。古流の武術の活法とは、現代とは異なる常識理論によって構成されている。皮膚は皮絡、骨格は骨絡、筋肉は筋絡と呼ばれ、それぞれがより細かい分析によって存在する。
筋肉は現代の医学でも筋繊維として存在することが分かっている。皮絡とは筋肉の動きの方向により、皮膚には動きやすい方向があるという理論。身体には動きやすい方向があるのだから、身体を動かす筋肉を包む皮膚にも同じように動きやすい方向と動きにくい方向があっても別に不思議ではない。むしろ全ての方向に皮膚が同じように伸びて動くほうが変な気がする。筋肉の動きの特性や方向性に合わせて皮膚には伸縮しやすい方向があるのだ。
骨絡とは骨格の動きの理論。人は身体を骨で支えている。支えている骨格と筋肉の動きがずれると動きに不具合が生じ、その結果身体にも不具合が生じる。少し考えてみれば理解できることは、言われなければ案外ずーっと気が付かなかったりするものだ。
筋繊維とは筋肉がただの塊ではなく、細かい繊維で構成されている。骨格で身体を支え、そこに非常に細かい筋繊維(筋)が不思議な形で絡みつくように張り付いている。筋を複雑に絡みつかせるように骨格には凸凹があり、山や谷のように隆起している。そして間にはまるで川のような窪みが流れるように存在する。筋の1本1本を確実に受けとめるように骨には小さな窪みがある。そこから筋がまるで生えるかのように始まり、人体の動きと構成に綺麗に合わせるかのように複雑に螺旋を描きながらあらゆる方向に伸びる。あらゆる方向に伸びる筋を支えるかのように骨の窪みや隆起が筋の流れる方向にそって存在する。人体とは不思議な筋の流れの集合体なのだ。
そして不思議な筋の流れを覆い守るかのように皮膚の流れも存在する。現代の解剖学、顕微鏡で見れば確かに人体はそういった構造になっている。生命を支える不思議で繊細な形がある。その形に従って生命は存在し活動をする。だから皮絡、骨絡、筋絡が乱れれば生命のエネルギーが乱れるのだ。
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