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川原 礫チャンネルフォロアー、(レ)ッキーズのみなさま、こんにちは!
先日放送した「川原 礫チャンネル第37回生放送」でもご紹介させていただいた、『ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジー』の一部を試し読みとして公開いたします!
●そもそも『ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジー』とは?
“もしも”をテーマに『SAO』の世界を自由に描く、公式アンソロジー小説!
『ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン』や『ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット』だけじゃない。
グルメありゾンビありの完全IFな一冊!
書籍情報は【こちら】から!
今回は『月とライカと吸血姫』(小学館「ガガガ文庫」刊)でおなじみの、牧野圭祐×かれいペアによる
「この呪いをどう解いたらいいの ―シリカと幽霊少女―」
こちらの一部を試し読みとして公開します!
「この呪いをどう解いたらいいの ―シリカと幽霊少女―」
こちらの一部を試し読みとして公開します!
1
清流沿いの暗い木陰から、音もなく少女が飛び出してきた。
「わああっ!?」
小走りしていたシリカは避けられず、少女とぶつかった――はずが、衝撃はない。その代わり、凍りつくような悪寒が身体を貫き、次の瞬間、背後に異様な気配を感じた。何が起きたのかわからず、動転しながら振り向く。
「ひっ……!」
それを見たシリカは、とっさに一歩飛び退き、短剣を握りしめる。
半透明のアンデツド幽霊少女が、ゆらゆらと浮遊している。見た目は一三歳のシリカよりも少し幼く、小学生くらい。顔立ちは整っていて人形のように美しいが、茶色の瞳に生気はなく、頬と首に深い傷がある。質素な薄桃色のワンピースは土で汚れ、袖から突き出す棒のような腕は青白い。ぼさぼさの黒髪には、木の葉や蜘蛛の糸が絡みついている。そして、足はない。
これが自分の身体を通り抜けたのかと思うとゾッと怖気立ち、そそくさと逃げようとしたところ、カラー・カーソルが敵を表す赤色ではなく、黄色だと気づいた。
イベントMob? 表示名は【Momo:Ghost Girl】。《ゴーストガール》は低レベルのモンスターだが、これには《モモ》という固有名があり、見た目が少し違う気がする。頭上には、クエストの進展を知らせる《?》マークが点滅している。
いつのまにか、イベントが始まっていた。受注した記憶はなく、ひょっとして、さっきの接触がきっかけだろうか。
あれこれ考えていると、モモは両手を前に突き出して、ふわふわと接近してくる。
「こ、こっち来ないでぇぇぇ!」
たまらず短剣を振り回すと、モモはビクッと震えて身を縮め、眉をハの字に下げて両手をひらひらと振る。
「戦う気がないの……?」
モモは何やら口をパクパクと動かすが、声は聞こえない。
いずれにしても、アンデッドのクエストなど受けたくない。気持ち悪いものが苦手で、アンデッドはエンカウントすら避けていたほどだった。
逃げるが勝ち。シリカはイベントを放棄し、踵を返して森の遊歩道を駆ける。
森を抜けたところで、草むらに腰を下ろす。
「はぁ、びっくりしたぁ……」
ひと息吐いたとき、首筋をひんやりとした冷気が舐めた。ふっと顔を上げると、ツヤのない黒髪が視界に入る。その髪と髪の隙間から、くりくりとした子どもの瞳が覗いている。
「ぎゃあああああ!」
シリカは再び駆け出す。全力で走っても全然モモを振り切れない。追いかけられるうちに、モモの頭上にあった《?》マークが消滅し、視界の左側に新たなHPバーが表示された。なんと、モモが勝手にパーティーインしてきた。
「やだやだやだやだぁ! あたしクエスト受けないですぅ!」
いくらわめいても、モモは寂しげな表情をして接近してくる。わけのわからない混乱の中、ひとまず近場の街に戻ることにした。
最寄りの街に着く頃には、シリカはすっかり疲れ果てていた。一方、隣には、疲れなど微塵も見せない幽霊が憑いている。
「まさか、街の中までついてこないよねぇ……」
嫌な予感をいだきながら街の門をくぐろうとすると、門番の衛兵に道を塞がれる。
「待て。アンデッドは通せない」
「え、コレは、あたしとは関係ないんですけど……」
衛兵は聞く耳を持たず、怖い顔でにらんでくる。
「アンデッドは通せない。立ち去れ」
するとモモはぷるぷるとリスのように怯えて、シリカに半身を重ねる。
「ちょ、離れてよぉっ……!」
「立ち去れ。《呪われし少女》よ!」
「呪われっ!?」
「立ち去れ!」
押し問答をつづけていると、街を出入りする冒険者たちに訝しまれる。
「おわっ、なんやあの子、幽霊がくっついとるやないけ!」
「幽霊を使い魔にしてるのか?」
「まさか。そんなの聞いたことないぞ。取り憑かれてるんだろう」
プレイヤーがモンスターを使い魔にする《ビーストテイマー》ならシリカは知っている。テイミングはとても珍しいらしく、みんなに羨ましがられるそうだ。
それだったらよかったのに……どうして。
シリカは心の中で叫ぶ。
どうしてあたしはアンデッドなのぉ!
騒ぎの輪は徐々に広がり、町人NPCまでもが野次馬になる。「きゃああああオバケ!」「呪いじゃ……呪いじゃあ!」「近づくな!」
もはや針のむしろで、シリカはいたたまれない気持ちになる。
「あ、あたしは、そんな……」
「立ち去らぬのならば、連行する!」
ついに衛兵は武器を向けてきた。
「ごめんなさいぃぃ!」
慌てて門を離れ、近くの林に身を隠す。もちろん、モモもついてくる。このままでは、ホームにしている第八層の主街区《フリーベン》にも帰れない。どうしたものかとウィンドウを開き、クエストの内容を確認する。
【クエスト名《幽霊少女》:タスク《共に行動する》】
クエストを破棄したくても、なぜかキャンセル不可能。
「完全に呪われてる……」
何の予備知識もなく、気まぐれで降り立った層の理由もなく踏み込んだ森の中で、呪われてしまうなんて……途方もなく不幸だ。
「森で倒しちゃえばよかった……」
泣き言をこぼした瞬間、シリカは気づいた。
倒せばいいんじゃない?
気味が悪くて逃げ回っていたけれど、ゴーストガールは低レベルの雑魚だ。
よしやるぞ、と心の中で気合いを入れ、短剣を構える。すると、モモは命乞いをするようにあわあわと手を振る。
「な、なんなの……」
モモは今にも泣きそうに表情を歪める。その哀れな姿を見たとき、現実世界で自分の身に起きた《あのこと》を思い出し、胸がキュッと痛んだ。目の前にいるのはアンデッドだというのに、他人事ではなく感じてしまい、心が縮こまる。
戦意を喪失して短剣をおさめると、木にもたれかかるようにして座り込み、重いため息を吐く。
こういうときに相談できるパートナーがいればいいのに、そんな相手はいない。この世界には女性プレイヤーが少ないせいで、男性プレイヤーによく声をかけられたが、欲望が透けて見えて怖かった。そして、女性プレイヤーとも関わりを避けていた。その理由は、SAOを始めるきっかけとなった《あのこと》が尾を引いているから。あのつらい出来事のせいで現実世界の《綾野珪子》に居場所はなくなり、《シリカ》として救いを求めたのに、ここでも行き場を失ってしまった。
自分が何をしたのだというやるせない気分で、モモのワンピースの裾がひらひら揺れるのを見ていると、何者かが近づく足音がした。
「――君が《呪われし少女》か」
不本意な名を呼ばれてじろりと見上げると、黒いコートを纏った男性プレイヤーが立っている。その男性はシリカには目もくれず、モモを興味深そうに観察する。
シリカは警戒心を露わにして問いかける。
「何の用ですか……」
すると男性は少し焦った様子で振り向く。
「あっ、いや、すまない。《アンデッドに取り憑かれたプレイヤー》って初めて聞いたから、どんなものかと思って」
事実だが認めたくない噂の拡散に絶望を覚える一方で、彼は呪いを気にせず、ふつうに接してくれるので、ほんの少しだけ心が和らぐ。
「困ってるんです。勝手にクエストが始まって……」
思いが、口をついて出た。すると彼はシリカとモモを交互に見て、腕組みをする。
「くわしく教えてくれたら、手伝ってやれるかもしれない」
他の男性プレイヤーとは違って不思議と下心を感じず、純粋にクエストに興味がありそうな雰囲気の彼を信じて、シリカは事情を話そうと決める。
「えっと、その前に、あたしは《呪われし少女》じゃなくて、《シリカ》って名前がありますから」
黒ずくめの男性はフッと微苦笑し、後頭部を掻く。
「それは悪かった。俺は《キリト》だ」
キリトと名乗ったプレイヤーに、シリカは取り憑かれた経緯を事細かに伝える。すると彼はすぐに答えを出す。
「自分の手で倒すのが嫌なら、《除霊》はどうだ? 《圏外》にも教会はある」
解決の糸口が見つかったかのように思えたが、隣で話を聞いていたモモはスーッと上昇して、手の届かない空中に浮く。明らかに拒絶している。このまま離れてくれることを願うも、シリカが歩き出すと、浮いたままついてくる。
「どうしたらいいんでしょう……」
「クエストをクリアするしかないかな」
「でも、《共に行動する》としか表示がなくて、意味不明なんです」
キリトは顎に手を当てて小考する。
「SAOに限らず、幽霊系クエストのパターンとして《生前に叶えられなかった思いを成就させる》という方法がある。つまり《成仏》だ」
「成仏……」
言い終えるや否や、モモは空中から降りてきて、切実な視線でシリカを射貫く。生気のない瞳に見つめられるのは少し怖くて、シリカは顔を逸らし、キリトに目を向ける。
「叶えてほしいんでしょうか……?」
「だろうな。まずは幽霊になった理由を調べよう」
「そうは言っても、会話ができないんです……」
「うーん、それなら……」と、キリトはウィンドウを何やら操作して、無料配布されていたという《アルゴの攻略本》をオブジェクト化した。
「言葉の通じない相手とコミュニケーションする方法を試してみる。幸い、モモはこっちの会話を単語レベルでは判断できるみたいだし、NPCなら《YES》か《NO》で答えてくれるはずだ」
そう言うとキリトは攻略本をモモに向けて開き、項目を指す。
「このページは、モモに関係があるか?」
指差し会話の問いかけに、モモはわずかに首を横に振る。
「《NO》だな。じゃあ、次」
面倒な作業を、キリトは地道に、延々とつづける。次第に、シリカは彼に対して疑問が湧いてくる。クエストへの興味だけとは思えない。本当は下心があったり、高額の報酬を請求されたりするのではないか。
「なんで……ここまでしてくれるんですか……?」
慎重に訊ねると、キリトは返答に困ったように頭を掻き、視線を逸らすと、小声で呟く。
「……マンガじゃあるまいしなぁ。……笑わないって約束するなら言う」
「笑いません」
「君が……妹に、似てるから」
「ぷふっ」
思わず吹き出してしまった。
「わ、笑わないって言ったのに……」
いじけたように俯くキリト。悪い人ではないようだ。知識も豊富で心強い。ひとりだったら、ただただ呪われたことに落ち込んでいただろう。考えてみれば、人との会話で自然に笑えたのは久しぶりだ。プレイヤーとはずっと距離を置いていたので、話す相手はNPCばかりになっていた。
その後もページをめくって質問を重ね、指差しの動作に疲れてきた頃、モモは初めて大きな反応を示した。《桃色貝の首飾り》――輪状の細い革紐に一枚の小さな貝殻がついているアクセサリーで、三〇〇コルの安物だ。さしたる効果はなく、価値は低い。
「これを買えばいいの?」
シリカが問うと、モモは何か言いたげに首を横に振る。
「違う……?」
「モモは森を彷徨ってたんだよな? だったら、森で落として、捜してたのかもしれない」
キリトの推測に、モモはこくりと頷く。シリカは感心してしまう。
「よくわかりましたね」
「一般的に、幽霊は思いが強い場所に出る傾向があるからな。さあ、もうちょっと情報を入手しよう」
モモの情報を探った結果、悲しい事情が見えてきた。
どうやら、生前の彼女は森の小川に首飾りを落とした。首飾りは素材が軽く、川下に流されてしまい、拾おうとしているところを、自走捕食植物のモンスター《ロットン・ネペント》に襲われ、死んでしまったようだ。
成仏できない理由がわかり、攻略に一歩前進した――かと思いきや、なぜかキリトは納得いかない様子で首をかしげて、攻略本に載っているゴーストガールとモモを見比べる。
「どうしました?」
「いや、何が元になって、モモの色に統一感があるんだろうと思ってさ」
キリトはそう言って、モモを指す。
「ワンピースの色が、通常のゴーストガールは白なのに、この個体は薄桃色なんだ。それに加えて固有名が《モモ》で、捜し物が《桃色貝の首飾り》だろ? こういう設定がクエストのイベントMobっぽくないんだよな。こだわり方が、まるでプレイヤーっていうか……」
シリカはハッと気づいた。現実世界のクラスメイトに、同じような女の子がいたのだ。その子は《さくら》という名前だったが、服やアクセサリーに桜色をよく取り入れていた。
つまり、モモはもしかして――
キリトも同様の推測をしたらしく、半信半疑といった顔つきで言う。
「クエストの生成に、死んだプレイヤーのデータが利用された……とか」
「そんなこと、あるんですか?」
キリトは肩をすくめる。
「ただの想像だ。でも、俺や君と幽霊の存在は、この世界に限っては大きく違わない。俺たちに身体はあるように見えるけど、《衝突判定》のあるデジタルなデータでしかない。記憶も記録も、電気信号にすぎない」
そう考えると、シリカは急に自分という存在が希薄で不確かなものに思えてくる。同時に、モモがプレイヤーを元に作られたというのなら、彼女の願いは、死んでも死にきれないほど切実なものだ。そう気づいた途端、モモの半透明な身体に、輪郭が生まれたように感じる。
「とにかく、モモを成仏させるには、《桃色貝の首飾り》を見つければいいんですよね」
キリトは頷きつつ、渋い顔をする。
「それは首飾りが《クエスト用のイベントアイテム》だった場合だ。クエストのタスクは《共に行動する》で、《落とし物を見つけろ》とは明示されていない。もしプレイヤーの記憶が《失くした首飾り》を求めてるなら、それはとっくに消滅してる」
確かに、彼の言うとおりだ。捜索が徒労に終わるかもしれないなら、この場でモモを倒して、クエストを強制的に終了させるのが賢い。そうすれば街の衛兵に追い払われず、呪われる前と同じ生活が送れる。
しかし、モモの寂しそうな瞳を見ていると、やはり倒せない。首飾りがないとしても、《共に行動する》というタスクを遂行したい。なぜならシリカは昔、同じように、落とし物を捜してもらい、助けられたことがあるから。
小学校二年生の冬。塾から帰ろうとしたとき、カバンにつけていた猫のキーホルダーがなくなっていた。お祭りの露店で買った一〇〇円の安物だけれど、飼い猫のピナに似ていて、大切な宝物だった。それをどこかで落としてしまい、いくら捜しても見つからなくて道ばたで泣いていると、たまたま通りかかったクラスメイトの女の子が「どうしたの?」と声をかけてきて、捜索を手伝ってくれた。
雪の舞う夜、寒さで歯の根が震えて、お腹が空いて倒れそうで、もういいよと言おうとしたとき――
「あったよ!」
彼女がキーホルダーを見つけてくれた。本当にうれしかった。ひとりでは絶対に諦めていただろうし、いっしょに親に怒られてくれた彼女に心から感謝した。あのときから、彼女と親友になれたと思っていた。
シリカにとって一〇〇円のキーホルダーが宝物だったように、モモの首飾りもきっと、金額では計れない価値があるものなのだろう。死後も孤独に森を彷徨い、見知らぬプレイヤーに頼ってまで捜したいほどの思い出が詰まっているはずだ。
それで助けを求められていたのなら、この世界で初めて誰かの役に立てるのなら、応えたい。だから、決意し、キリトに告げる。
「あたし、捜します。ひとりで」
「え、ひとりで?」
オウム返しして目を丸くする彼に対し、シリカは硬い微笑みを作る。
「この層のモンスターはそんなに強くないですし、モモも戦ってくれるはずなので」
それは嘘。正直、恐ろしい。低レベルのモモは戦力にならないかもしれない。捜すといっても、首飾りが流れたと思われる川下には行ったことがなく、未知の冒険になる。それでも、取り憑かれたのは自分だし、彼をこれ以上巻き込むのは違うと思った。
「俺的には、NPCだろうと、人間と変わりないと考えてる。だから、君の気持ちはわかるし、行くというなら止めないけど……危険だぞ」
キリトに、真剣な眼差しで警告される。その心配はもっともだ。
ただ、もし死んだら、それが運命だとシリカは考える。自ら死を選ぶつもりはないけれど、SAOを始めたのは現実逃避で、生還してもつらいだけなのだから、いつゲームオーバーになってもいい。現実と違い、死んだときに傍にいるのが幽霊だけなら、誰にも迷惑をかけずに済む。フレンドがいない自分は、人知れず、この世界から消えるだけ。
そんな仄暗い気持ちを見透かしたのか、キリトは攻略本をシリカに差し出してきた。
「ロットン・ネペントとエンカウントしたときのために、データを頭に叩き込んでおいたらどうだ。君なら、身体の小ささを活かせるはずだ。戦うにしても、腐蝕作用のある粘液には注意しろよ」
素っ気ない口ぶりながら、彼なりの気遣いを感じる。そのアドバイスを素直に受け止め、攻略本を熟読する。
データによるとロットン・ネペントは、第一層に出現する《リトル・ネペント》よりも一回り大きく、身の丈は二メートル超。ロツトン腐敗の冠が示すように、特徴的な腐臭を放ち、粘液は毒性を持つ。通常のリトル・ネペントでも逃げ出したくなるほど気持ち悪いが、毒々しさが増し、ゾンビのようにおどろおどろしい。こんな敵に殺されるなど、モモはさぞかし怖かっただろう。自分だったら絶対に嫌だし、戦闘は避けたい。
「――いろいろと、ありがとうございました」
シリカは攻略本をキリトに返し、感謝を告げると、モモと共に、最初に出会った森へ向かう。
「なあ、シリカさん」
歩き出すとすぐに、キリトが声をかけてきた。まだ何か用があるのだろうか。
「……シリカでいいですよ」
そう言って振り向くと、彼は目を逸らし、ぶっきらぼうに右手を差し出してくる。
「またどこかで会おう、シリカ」
黒いコートの袖口から伸びる少年の手を、シリカは戸惑いながら、無言でそっと握る。握り返してくる強い力は、生きて戻れと伝えているようだった。
2
濃緑の木々の下を、清らかな小川がゆるやかに流れる。川幅は二メートルほど。水位は腰の高さくらいで、透明度が高く、水底がはっきりと見える。
川沿いには石畳の遊歩道が整備されていて、モンスターの気配はない。だからあのとき、シリカは何も警戒せずに可愛い小鳥を追いかけて走っていたのだが、油断の結果、幽霊と衝突して呪われた旅をするハメになってしまった。
「それじゃ行こ」
ひと声かけ、首飾り捜索に出発する。丈の短い草が繁茂している川縁に目を配りながら、木漏れ日がまだら模様を描く石畳を歩く。首飾りがすでに消滅している可能性も踏まえ、とりあえず《共に行動する》というタスクをこなしながら、川の終着点である湖を目指す。湖まで行ってタスクに変化がなければ、またそのとき考える。
さらさらと絹が擦れるようなせせらぎや、そよそよと風に揺れる葉音がシリカを包む。時折、鳥がけたたましく鳴き、ドキッとさせられる。
後ろをついてくるモモはまったく音を発しないので、たまに存在を忘れかける。遭遇したときは悲鳴をあげてしまうほど不気味だったけれど、アンデッド系のMobだというのにまったく害意がなく、いつしか慣れてしまった。むしろ頼られていて、変な気分になる。
それでも、事情を知らないプレイヤーが見たら、哀れな《呪われし少女》が街を追放されて彷徨っていると誤解するのだろう。
「――見つからないね……」
成果をあげられないまま数時間が過ぎた。首飾りを捜しながらなので進みが遅く、木々は夕陽の色に染まってきた。
いまだにモンスターにはエンカウントしていない。運が良いのではなく、モモのおかげだ。彼女には《索敵》の能力があるようで、モンスターの気配を敏感に察知すると、音もなく偵察に飛び、危険を教えてくれる。
ありがたい能力である一方で、逆にとらえれば、シリカとの衝突は故意だったのではないかと思えてくる。確かに、件の《ビーストテイマー》がモンスターを使役する条件のひとつに《同種のモンスターを倒しすぎていないこと》があるらしく、それとは性質が異なるとはいえ、不気味なアンデッドとの戦闘を避けてきたシリカが《幽霊少女》クエストの発生条件に当てはまっていた可能性はある。
なんにせよ、うれしくはない。
世界に夜の帳が降りる。
空は紫から群青に色調を変え、白銀の満月が顔を覗かせる。遊歩道は途切れ、未舗装の砂利道になった。鳥の声は聞こえなくなり、姿の見えない小動物がガサガサと茂みを揺らす。
ここで一度探索を切り上げるべきかと考えたけれど、街に戻っても追い払われることは目に見えており、モモの《索敵》の性能が良いので、冒険の続行を決め、左手に松明を持つ。
松明の効果で周囲は明るく照らされても、月光は木々に遮られてしまい、進行方向は墨を塗ったような漆黒が支配している。人里離れた暗闇の中、背後の幽霊を心強く感じるという、信じがたい状況での夜行軍だ。
「モモ、敵はいないよねぇ……」
いくら戦闘を回避できても神経はすり減るし、昼から歩き通しで、さすがに疲れてきた。
「お腹空いた……」
視界右下の時刻表示は午後一〇時を回っている。どこか休憩できるところはないかと河原を見渡すと、ちょうど腰かけられそうな平たい岩を見つけた。
「ちょっと休んでいい?」
一応、モモに訊ねると、彼女は「はい」という代わりに岩に向かってスーッと飛び、安全を確かめた。
シリカは岩に腰かけるとウィンドウを開き、夜営用のランタンをオブジェクト化する。地面に置いて火を灯すと、柔らかな暖色の光がふわっと広がる。
ランタンの熱を利用して携帯食の黒パンを焼き、道中に採取した赤い果実をジャムにして食べる。甘酸っぱくて、疲れがとれる。
「食べる……?」
と、傍らにたたずむモモに差し出してから、幽霊がこんなものを口にするわけがないと気づき、シリカはひとりで苦笑する。モモは温かなランタンの光に照らされて、わずかに顔色がよく見える。こうして真っ暗な夜に灯りを囲んで食事をしていると、小学校の林間学校を思い出す。あの頃は楽しかったという記憶が脳裏をかすめ、胸の奥がチクリと痛んだ。
空腹感が拭われると、眠くなってくる。しかし、ここは《圏外》であり、モンスターが闇に潜んでいる危険な場所だ。仮眠を取れば、寝ているあいだに殺されるかもしれない。ただ、心の底には、眠ったまま死ねたら苦しまずに済むという暗い願望もある。でも、死ぬのは怖いので、死にたくはない。だからといって、積極的に生きる気持ちもない。プレイヤーと交流せず、攻略もせず、目的もなく彷徨い、ただ世界に存在しているだけ。
ある意味、幽霊と変わらない。
いや、目的があるだけ、モモの方が人間らしいのかもしれない。
「ねえ、モモ」
返答がないのを承知で、シリカは話しかける。
「……あたしは、化けて出るほど生きることに執着はないの。生還したいとも思わない」
モモはとくに反応しない。いや、反応を求めてはいないので、それでいい。ただ話を聞いてほしい。
「あたし、現実から逃げるために、SAOにダイブしたんだ。学校でいじめられてて、居場所がなかったから……」
誰にも話していない《あのこと》を、気づいたら口にしていた。
「一番の親友だと思ってた子に将来の夢を話したら、なぜか次の日から、急にみんなからいじめられるようになった。原因も理由もわからない。たぶん、自分にも悪いところがあったんだろうけど……ただ、裏切られたと感じた……」
次々に、言葉や思いが溢れてくる。
その子が猫のキーホルダーをいっしょに捜してくれたことは、今は悲しい思い出。
つらい気持ちを誰にも話せず、ずっと心に抱えていたこと。
誰かに聞いてほしかったけれど、信頼して話せる人はいなかったこと。
だから、飼い猫のピナに、一方的に話しかけていたこと。
溜まりに溜まった思いを、モモに向けて吐き出す。話し相手が人間のプレイヤーだったら嫌がるに違いないし、言う気もない。モモは口を一文字に結んだまま、じっと聞いている。彼女の瞳にはランタンの灯火が映り込み、ゆらゆらと揺れている。その表情に少しばかり哀れみを感じるのは、《いじめ》や《裏切り》などのネガティブな単語に、プログラムが反応しているだけだろう。
隠していた苦悩を吐露するうちに、不思議と心が軽くなっていく。現実にいた頃、SNSの匿名アカウントで悩みを打ち明けたときは、解決方法を提案されたり応援されたりして、逆に追い詰められた。それに比べてモモは肯定も否定もなく、気が楽だ。もしかしたら、傍にいる相手としては猫のピナに――いや、ペット型ロボットに近いのかもしれない。
自分の話ばかりしていると、今度はモモのことが知りたくなってくる。いや、知るも何も、相手はモンスター扱いのNPCなのだけれど、キリトの《あの推測》が、もし本当だとしたら……?
思い切って、訊ねてみる。
「モモは、《プレイヤーの幽霊》なの……?」
YESかNOで答えられる質問なら、NPCは答えてくれる。モモは単語も理解もしているはずだ。
しばらく反応を待つも、モモは微動だにしない。聞き方が悪かったのか、答えられない質問なのかと考えていると、モモはゆっくりと首を動かし始めたので、シリカは固唾を呑んで注目する。
ところが、彼女はピタリと動きを止め、顔をふっと闇の方に向けた。
どうしたのだろうとシリカもそちらを向いたところ、ひんやりとした夜気に乗って、鼻をつく腐臭が漂ってくる。
「……ん? この匂いって……」
――ジュヴヴヴヴヴヴ――
闇の奥から、モンスターらしき咆吼が聞こえた。モモがひゅっと身体を縮めて、小刻みに震える。この怯え方と、異様な匂いからすると、おそらく《モモの仇》が近くにいる。シリカは急いでランタンを消し、短剣を握る。
恐ろしいけれど、ひとまず、咆吼の正体を確かめる。
シリカは極度に緊張しながら忍び足で臭気をたどり、不安そうに揺れるモモと共に、咆吼のするあたりを覗く。暗くて視界不良だが、木と木のあいだに、不気味な巨大植物が朧気ながら見える。
間違いない、ロットン・ネペントだ。
カーソルを確認すると、色は赤よりもわずかに濃い。つまり、シリカよりもレベルは少し上。戦うなら苦戦が予想される。しかし、カーソルの周囲に黄色の縁取りはないので、クエストのターゲットではない。ようするに《ただのMob》だから、戦わずに迂回しても攻略には何ら影響はない。
でも、それでいいの?
シリカは自問自答する。モモの怯え方からして、タスクやパラメータには表示されない《モモの気持ち》があるように感じる。この気持ちを昇華しなければ、彼女の思いは遂げられない。キリトはそれを見越して、戦闘のアドバイスをしてくれたのかもしれない。
すべて勝手な想像だけれど、戦いを避けて進んだせいでクエスト失敗になったら、絶対に後悔する。ここは退いてはダメなところだ。
そう決意しても、戦闘に自信があるわけではないので、おどおどと提案する。
「た、倒しちゃわない?」
モモはピクッと震え、まさかとでも言いたげに目をまん丸くする。
「きょ、強敵のフィールドボスじゃないし、二人ならやれるよ……! たぶん」
心を強くもち、戸惑うモモに再度「いっしょに戦おう」と硬い笑顔で訴え、くりくりとした瞳をまっすぐ見つめる。すると、思いが伝わったのか、彼女は小さく頷いた。
(つづきは11月10日刊行予定の文庫をチェック!)
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