後藤和智の若者論と統計学っぽいブロマガ
第1回:【思潮】若者特集を読む(第1回):『調査情報』506号

 今回は、TBSテレビのTBSメディア総合研究所が発行している雑誌『調査情報』第506号(2012年5・6月号)の記事「いいじゃないの幸せならば?~当世「若者」論の虚実」について見ていきます。言うまでもなく、この特集は、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社、2011年)の認識を基底としており、古市もこの特集に登場しております。

 その特集の中で古市は次のように述べております。
 僕も出版社も誰も、この本が話題になるとは思っていなかった。「若者論」というのは、現代日本にはそぐわない「時代遅れ」のものであると思っていたからだ。(『調査情報』第506号p.3、以下断りがなければ同誌からの引用)

 なぜ古市は「若者論」が「時代遅れ」だと考えるのか。それは、現在のような若者論が成立したのは、1960年代から1970年代にかけて、「一億総中流」が達成される中で、「階級」に対するリアリティが消滅した後に「世代」が新たなリアリティを持ったのだとしております。しかし1990年代終わり頃~2000年代にかけての「中流崩壊」及び高齢層の増加を経て、本来であれば「一億総中流」を背景とした「若者論」は消え去るべきだったという認識を示しております。

 しかしなぜ古市の言説が話題になったのか。その理由として古市は、第一に《人々が「若者論社会を語る」というモードに慣れ》(p.4)たこと、第二にモラル・パニック、そして第三に古市の主張する「幸福な若者」が「社会化されていない」故にインパクトを持ったこと、と述べています。

 そして今の日本や若者は歴史上もっとも豊かだとして、でもそれも長くは続かないし、日本も以前のような高度経済成長を迎えることはないだろうとしています(《そもそも「一億総中流」みたいな時代が再び訪れる可能性は、ない。日本が1960年代にような高度成長をする可能性も、ない。「頑張らなくて、そこそこの人生が送れる」なんて時代は、もう来ない》p.7)。

 さて先に私見を示しておくと、古市のこのような「シニカルな」社会観は極めて危険なものだと思います。第一に、古市は「今の若者世代」がどのように考え、生きていくか、ないし生きていくべきか、という視点しかなく、経済や社会保障についての提案ができないということです。第二に、古市の若者論は、かつての若者論(ロスジェネ言説)が「かわいそうな若者」に焦点を当てたことへの反発ないしアイロニーとして提示されたものと見られますが、古市の言説もまた、現代の若年層について「幸福な若者」という像に頼りすぎている、と言わざるを得ません。第三に、古市もまた「若者論で社会を語る」というスタイルにとらわれており、そのような枠組みを批判的に捉える視座に極めて乏しいのです。第四に、古市は経済をあまりに狭く捉えすぎている。「1960年代的な高度成長か、2000年代的な低成長か」という二項対立でしか捉えておらず、その中間がない。

 古市のような言説は、現代の20代の「幸福な若者」がどのように生きるか、ということについて提示することはできても、社会をサステナブルに運用していくために何が必要かということを考えるにはまったく役に立たないと思います。

 また、実を言うと、古市の言説が受け入れられる前史として、2000年代終わり頃より、時期で言うと2008年の秋葉原での連続殺傷事件以降でしょうか、現代の若年層(それは主にロスジェネ世代を指す)の「幸福感」が取り沙汰された時期があります。2000年代半ば頃の「ニート」言説に対する反発などでロスジェネ系の論者が林立したあと、ロスジェネ系の論客は「非モテ」などといった幸福感の問題にそのテーマをシフトしていきました。そして、ロスジェネ系の論客が労働問題、経済問題から撤退し、「幸福論」の方面に撤退していく中で、古市の「いや、今の若者は幸福なのだ」という言説が「受けた」。要するに、若手=ロスジェネ系の論客が、経済や労働法規という社会にとってクリティカルな問題から撤退していった中で、古市はその「第二極」として迎え入れられたに過ぎないと私は見ています。

 ところでこの特集には、古市の立ち位置に反発する2人の論客(高橋秀実と斎藤環)の論考も掲載されています。高橋秀実の論考は、論考と言うよりはエッセイなのですが、自分の体験から古市の「幸福な若者」論に対する違和感を述べただけの代物になっているため、あまり参考にならないでしょう。

 斎藤環のほうはどうでしょうか。斎藤も古市が受け入れられた理由として、《私を含む古市よりも上の世代の認識は、一貫して「不幸な若者」に照準し続けてきたからだ。いや、私たちばかりではない。当事者に近い世代の若者たちの間からも「ロスジェネ論壇」と一括して呼ばれるような議論がわき起こっていたはずだった》(p.26)とし、古市の受け入れられ方もそれと似通ったものとしております(《若者論の基調となりつつあった赤木(筆者注:赤木智弘)のような主張が、震災を契機に反転したようにすらみえるのだ》p.27)。

 そして斎藤は古市の言説に対していくつかの疑問を挟みます。その指摘には当を得ているものもあれば、ちょっと違うんじゃないかというものもあるのですが、その中でも古市に強く突きつけられるべきなのは《「不幸」と感じている若者へのリサーチの不足》(p.28)です。この点ばかりは古市の言説の決定的な欠落として捉えられて然るべきでしょう。また斎藤は古市の立ち位置についても、フリーター出身の論客である赤木智弘と比較して《「勝ち組」最右翼》(p.29)としており、結局変わったのは論者と視点だけ、と結論づけています(p.30)。これ自体はそうとしか言いようがないでしょう。この論考の結論も、基本的には同意しうるものです。
 古市の主張は、言ってみれば「“リア充”側からの若者論」という新鮮さもあり、その補完的意義を認めるにはやぶさかではない。しかし、その主張があまりにもベタに受け止められることで、彼自身の意図とは無関係に「弱者化する若者」(宮本みち子)への支援ニーズを曖昧化させる恐れがあり、安易に鵜呑みにするのは危険である。政策は常に「不幸な少数者」に照準すべきものであると考えるなら、赤木らをはじめとするロスジェネ論壇が展開してきた主張もあっさり忘却されるべきではないと私は考える。その上で「不幸な若者」論者と「幸福な若者」論者が対立することなく補完し合うことを期待したい。(p.32)

 しかし斎藤の若年層に対する認識も疑問を持たざるを得ないものが多いです。例えば《あえて印象論で押し切るが、現代の若者の特徴のひとつが「自分を語る言葉の乏しさ」だ。これは、状況や関係性、あるいは他者をキャラとして語る言葉がかつてないほど豊富であることと対になっている》(p.28)とありますが、「印象論」なら断りがあっても語るべきではないと思いますし(若者論の世界では「印象論」でも上の世代と「決定的に違う」もしくは「劣っている」ということを示すものであれば容易に受け入れられます)、さらに《状況や関係性、あるいは他者をキャラとして語る言葉がかつてないほど豊富であること》がいったい何を指すのかわかりません。

 さらに斎藤はp.30についても、若年層の《「変わらなさ」に対する確信》(p.30)なるものについて《共感的に理解できない》(p.30)ものとしており、それについて問題視しておりますが、そこで若年層の「理解できない」点を述べるのはいささか唐突ではないかと思います。

 そもそも古市の言説の問題点とはいったいどこにあるのでしょうか。そもそも古市の言説は、上の世代は若い世代を「不幸な若者」と決めつけているけど、それは「若者不在」の議論であり、自分たちは自分たちの生き方のスタイルを見つけるんだ、という、ある種の形を変えた世代間闘争論に基づいています。この特集における田原総一朗のインタビューにおいても、このようなくだりがあります。
 僕は古市さんに、なんで本のタイトルに「絶望の国」なんてマンネリの言葉を使ったんだ。この国を絶望と思っているのは頭の悪い年寄りたちだ。彼らの言葉を持ってくるのはおかしいじゃないかと言ったんですよ。そしたら、「あれは、僕たちは『絶望の国』だなどと言ってる年寄りたちを相手にしないよという宣言の本なのだ」と、こう言ってました。大人たちがみんな不幸、不幸と言っているから「いや、幸せなんだ」と言ってるんです。つまりアイデンティティーですよね。僕はそれ、わかりますよ。(p.38)

 これは極めて危険な認識だと思います。そもそも「日本は絶望の国だと言っているのは頭の悪い年寄り」と言うのは事実に反しており、少なくとも(斎藤環も示しているとおり)多くのロスジェネ論客にもそのような認識は見られます。もっとも日本を「絶望の国」と決めつけるのはよくない、というのはその通りです。

 ただし古市が危険なのは、「自分たちは自分たちの生き方や幸福感を探す」という方向に持っていっているという点です。そもそもそれは現在の社会をさらに下の世代に継承させるときにどうすべきかという視座を欠いており、さらに「幸福感」を満たせる条件に置かれていない同世代についても置き去りにしているという点です。

 ただ、古市の言説は、ひとり古市にのみその責任が帰されるべきものではないとも思います。第一に、そもそも社会学系の若者論においては、若い世代について、様々な異議申し立てなどで社会を変えていく存在として捉えているという背景があります。

 ここまでの議論から、若者をある社会的問題の系として捉えるための重要な視座が見いだせる。それはすなわち「世代間での価値ギャップの問題系としての若者」という見方だ。若者とは、既存の社会の価値観や制度を世代を超えて受容していく存在であると同時に、次世代の社会を作る主体でもある。そのため、新しい価値を創造し、前の世代とは異なる社会を生きたいという欲求を持つこともある一方、社会から受け渡された価値に同調し、彼らと同じような生き方をすることで、既存の社会の再生産に寄与することもある。あるいは、再生産するべき社会の基盤が失われたので、仕方なしに新しい価値を生み出さねばならないという場合もあるだろう。いずれにせよそこには、ある部分では前世代の価値を継承しつつ、ある部分では反発するという複合的な世代間関係が認められるのである。(鈴木謙介[2012]p.129)

 このようなスタンスで古市の言説を捉えると、古市の直前の世代、すなわち「ロスジェネ」世代の論客が、社会に対して過剰な「異議申し立て」をしてきたのに対し、古市がその「異議申し立て」をシニカルに捉えていることが、かえって「新しさ」として捉えられたであろうことはそれなりに想像がつきます。しかしそのような社会変動論的な若者観には、経済政策や社会保障などをどのように捉えるかという点での発言力に乏しいこと、またこのような研究が若手論客や若者文化の後追いとなりがちなことという限界があり、特にこのような言説が若年層自身によって行われることによってこの問題点は顕著になります。

 第二に、やはりロスジェネ論客が経済や具体的な就労の問題から撤退したことが挙げられると思います。雑誌『ロスジェネ』の刊行あたりから顕著になってきたと思いますが、1970年代生まれの、非学者系で、なおかつ「格差社会」論で活躍した論客の多くは、それまで主戦場としていた労働問題からほとんど撤退して、大文字の「格差」論を唱えるようになりました。その方向性を決定づけたのが、2008年の麻生太郎首相(当時)の家を「見学」するという「リアリティツアー」だったでしょうか。当時の私ははっきり言ってそれがいったい社会問題の解決に役に立つのか全然わかりませんでした。そしてその論客が、東北地方太平洋沖地震以降は、「反原発」にシフトしてしまっている。そして「格差社会」論の主要論客であるロスジェネ系の論客が労働・経済問題から撤退したことで、若年層の就労の問題が取り沙汰されなくなった(これを疑う人は、2008年~2010年頃に猖獗を極めた「ゆとり世代」新入社員バッシングに対して、この世代からほとんど発言がなかったことを見よ)。

 そのような2重の歪みが極致に達したのが、古市の言説が受け入れられた理由だと思います。そしてその大きな背景としては、若者論が科学的に解明されることが忌避されたこと、そして世代内の幸福論と言った「毒にも薬にもならない」言説がここ3年ほどの間で巻き返したことに他なりません。田原総一朗が古市を支持するのも、結局そのような「毒にも薬にもならない」言説を求めていたということなのでしょう。私はそこに危険性を感じるわけです。

特集以外の引用文献
・鈴木謙介[2012]「若者のアイデンティティ」、小谷敏、土井隆義、芳賀徹、浅野智彦(編)『〈若者の現在〉文化』日本図書センター、pp.107-137、2012年3月


【今後の掲載予定(原則として毎月5,20日更新予定)】
第2回:【科学・統計】科学は「権威主義」的か?(2012年11月15日掲載予定)
第3回:【思潮】若者特集を読む(第2回):『ウレぴあ』2012年秋号(2012年11月25日掲載予定)
第4回:【政策】雇用戦略対話を総括する(第1回)(2012年12月5日掲載予定)

【近況】
・「第十五回文学フリマ」にサークル参加します。
開催日:2012年11月18日(日)
開催場所:東京流通センター(東京モノレール「流通センター」駅下車すぐ)
スペース:未定

・「コミックマーケット83」(3日目)にサークル参加します。
開催日:2012年12月31日(月)
開催場所:東京ビッグサイト(ゆりかもめ「国際展示場正門」駅下車すぐ、りんかい線「国際展示場」駅下車徒歩5分程度)

・「コミックマーケット82」新刊の『現代学力調査概論――平成日本若者論史3』がCOMIC ZIN及びコミックとらのあなにて委託販売中です。

・「仙台コミケ204」新刊の『徹底批判 新日本国憲法ゲンロン草案』がCOMIC ZIN及びコミックとらのあなにてまもなく委託開始予定です。同書はKindle及びブクログのパブーで電子書籍としても販売しております。

(2012年11月5日)

奥付
後藤和智の若者論と統計学っぽいブロマガ・第1回「【思潮】若者特集を読む(第1回):『調査情報』506号」
著者:後藤 和智(Goto, Kazutomo)
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