第2回:【科学・統計】ありがちな科学批判の読み方――島薗進を例として
通常医療に対する批判(もしくはバッシング)言説の特徴として、「西洋医学は病気をねじ伏せようとする医学だ」というものがあります(多くの場合、そのような言説の直後には、「それと比べて、東洋医学はあらゆるものとの共存を目指す」というものが続くことが多いです)。しかし、そのような認識は本当に正しいのでしょうか。
そもそも医学の世界においては、どんな治療法に対しても、EBM(Evidence-Based Medicine:根拠に基づいた医療)という立場に立ち、その正当性を検証されます。そして効果があると認められます。通常医療(いわゆる西洋医学)は東洋医学に対して閉鎖的と言われることはありますが、実際には、例えば漢方に対しては、寺澤捷年ほか編『EBM漢方』(医歯薬出版、2007年)で各種漢方薬の、EBMに基づいた効果が検証されているようです。また鍼灸に対しても、シンとエルンストの『代替医療のトリック』(青木薫:訳、新潮社、2010年)においてその効果を検証した論文が紹介されています(そして鍼灸を徒に否定することを諫めています)。
ホメオパシーが否定されたのも、多くの医学的な検証とメタ・アナリシスによって、その薬効がプラセボ以上の効果がないということが「科学的に」立証されたからでした。すなわち、科学というものは、(「水からの伝言」みたいに最初から検証に値しないものを除くとして)科学的な検証に開かれており、間違った議論に対しては極めて厳しく、その点で非常に保守的ですが、柔軟性も兼ね備えているものです。これは医学に限らず、科学全般に言えます。
さて、この点を踏まえて、近年、通常医療、そして科学に対するありがちな批判が、原発批判の文脈で現れたので、それについて見ていこうと思います。採り上げるのは、2012年10月22日毎日jp配信の、宗教学者である島薗進のインタビュー「特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 宗教学者・島薗進さん」(藤原章生署名記事)です。
特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 宗教学者・島薗進さん
http://mainichi.jp/feature/news/20121019dde012040010000c4.html
私はこの記事を読んで、通常医療や科学へのこのような典型的な批判が、今なお続けられているのかと思ってしまいました。しかもこの手の議論は、一部の人文系の論者によって繰り広げられている、近年の原発への不信に端を発する科学への(根拠のない)不信によってますます広がっているように見えるので、改めてここで検証してみたいと思います。
そもそも父の後をついて医師になるべく東京大学を受験した島薗は、受験競争への懐疑や東大闘争などを経て、科学への懐疑を募らせていきます。そしてそれが、昨今の原発に関する言説の原点となっているというのです。そして28歳のときの闘病も、科学への懐疑に関わっているというのですが…。
科学と人間の関係を直視するようになったのは、28歳の時の闘病も影響している。「胃腸を悪くし、病院で薬を飲み続けたがまったく治らず、最後はおきゅうで治したんです。病気をねじ伏せる西洋医学と違う方法、価値があるという考えがその時はっきり出てきました」
島薗のこのような姿勢に対する疑問として、第一に、薬を飲んでまったく治らなかったが、お灸によって治ったという一点だけをもってして、そこから《病気をねじ伏せる西洋医学と違う方法、価値》というところに飛んでしまうことが挙げられます(このような認識が後付けであるという可能性もありますが)。そもそも病気を「ねじ伏せる」というものが何を指すのかがわかりません。しかし島薗の問題のあるくだりは、ここではありません。
原発をどう見るかは「倫理の問題が関わる」と島薗さん。「人のいのちを脅かす可能性がある技術を経済的利益があるからと肯定したり、被害を軽く見ざるを得なくなるからです。現に、真実を隠しゆがめることに科学は関わってきた。どういう社会を望むかも倫理の問題と言えます。経済優先か、自然をむさぼらない暮らし方を求めるか。より幸せな生活のあり方は何かという価値観を問うのも広い意味で倫理的な問いですね」
原発の見方をめぐる倫理の問題は、例えば開沼博などによっていろいろな方面で指摘されてきましたが、島薗のこの指摘は極めて的外れなものです。そもそも《人のいのちを脅かす可能性がある技術を経済的利益があるからと肯定したり、被害を軽く見ざるを得なくなる》というのは、例えば自動車とかもそうでしょう。なぜ原発に対してのみそのような批判が持ち出されるのか不明瞭です。
さらに《現に、真実を隠しゆがめることに科学は関わってきた》ということに関しても、それは科学の問題なのか?と言わざるを得ません。島薗の想定する「科学」とは、人間の都合のいいように自然を支配するという、ある意味では通俗的な「キリスト教的」なものと認識されているのかもしれません(現に島薗は宗教学者です)。しかし、これについては結論で述べますが、それは科学とはまったく関係のないものです。
もう一つ、《経済優先か、自然をむさぼらない暮らし方を求めるか》というのは、意味のない二項対立です。現に自然環境保全などの技術もまた、科学によって生み出されているのですから。
結局のところ、島薗の科学に対する批判というのは、極めて的外れなものなのです。そしてその根源は何かというと、島薗がそもそも科学というものを誤解しているからに他なりません。科学というのはものの見方であり、また体系化された手法のことであって、決して特定のイデオロギー的に見られるべきものではないのです。
このような「反科学」的な見方というのは震災前からあったものですが、このような認識に対しては、それではあなたは手法としての科学のオルタナティブをどう提示するのか、と問わなければならないでしょう。仮にそこに、島薗が求めているような、《より幸せな生活のあり方は何かという価値観》が導入されるのであれば、自然への見方が「倫理的」な価値観によって歪められてしまうという可能性は大いにあるわけです。
少なくとも手法としての科学というものは、他者を拒絶するようなものではありませんし、また特定の不正に関わるようなものでは必ずしもない。このような「反科学」的な見方こそ、混乱をもたらすものであるということを認識すべきです。
【今後の掲載予定(原則として毎月5,15,20日更新予定)】
第3回:【思潮】若者特集を読む(第2回):『ウレぴあ』2012年秋号(2012年11月25日掲載予定)
第4回:【政策】雇用戦略対話を総括する(第1回)(2012年12月5日掲載予定)
第5回:【科学・統計】改めてニセ科学的な思考の危険性について考える(2012年12月15日掲載予定)
【近況】
・「第十五回文学フリマ」にサークル参加します。
開催日:2012年11月18日(日)
開催場所:東京流通センター(東京モノレール「流通センター」駅下車すぐ)
スペース:Fホール「オ」ブロック57。なお、「オ」ブロックの55には、私が「検証・格差論」を連載している『POSSE』誌の編集部も出展されます。
・「コミックマーケット83」(3日目)にサークル参加します。
開催日:2012年12月31日(月)
開催場所:東京ビッグサイト(ゆりかもめ「国際展示場正門」駅下車すぐ、りんかい線「国際展示場」駅下車徒歩5分程度)
スペース:東5ホール「パ」ブロック29b
・「コミックマーケット82」新刊の『現代学力調査概論――平成日本若者論史3』がCOMIC ZIN及びコミックとらのあなにて委託販売中です。
・「仙台コミケ204」新刊の『徹底批判 新日本国憲法ゲンロン草案』の冊子版がCOMIC ZIN及びコミックとらのあなで、電子書籍版がKindle及びブクログのパブーで販売しております。
・筆者が以前刊行した同人誌の電子書籍版、『「若者論」を狙え! Electronic Publication Version』がKindle及びブクログのパブーで販売中です。
(2012年11月15日)
奥付
後藤和智の若者論と統計学っぽいブロマガ・第2回「【科学・統計】ありがちな科学批判の読み方――島薗進を例として」
著者:後藤 和智(Goto, Kazutomo)
発行者:後藤和智事務所OffLine
発行日:2012(平成24)年11月15日
連絡先:kgoto1984@nifty.com
チャンネルURL:http://ch.nicovideo.jp/channel/kazugoto
著者ウェブサイト:http://www45.atwiki.jp/kazugoto/
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コメント
コメントを書くめんどくさくて五月蝿い理論で埋め尽くされた記事だなぁ・・・
別に科学批判はしないけど、この記事は俺みたいなバカにとってはつまらない。
少なくともこのクソ長い文章、最後の一行だけ読めば言いたい事分かるし。
理系でも判るおかしな文系の方の論舌を批判することの意味。みんなこの島薗進って人が言ってることがおかしい事くらい理解できるんじゃない?著者さん、普通に間違った批判を信じるなと言えばよかったのにねぇ…この人を槍玉に挙げたかっただけかい?
そもそも書き手の「科学」なるものの底が浅い。あと、科学と統計をごちゃまぜにするのもどうなの?
ホメオパシーが「科学的に効果が否定」されているのは、あくまで日本の話。
スイス政府が去年まとめたレポート読んでみてな。
つ「Homeopathy in Healthcare – Effectiveness, Appropriateness, Safety, Costs」
http://link.springer.com/book/10.1007/978-3-642-20638-2/page/1
島薗進がどういう人物で彼の言動が社会的にどういった悪影響があるのかといった説明が欠落している為
著者が「叩きたい」という感情先行で小難しい理屈を並べているようにしか見えない。
科学とは丁寧な分析の積み重ねである。科学批判をしている連中はその過程を知らずにメディアや雑誌に溢れている科学情報だけで判断している。大学で自然科学を専攻した人間ならその過程の過酷さ、辛さを知っている。科学を知って欲しいなら研究の過程についてもっと紹介すべきである?専門用語も統計処理も洗いざらい吐き出して科学に対する偏見を無くすべきである。
厳密に言えば人間の認識する、いやしようとする「事実」は当の人間の価値観が反映される。どの事実や事象を拾い上げ研究するか、という時点で価値判断的だ。「事実」を認識するとは「事実」に意味を持たせることだから、価値判断を含まない科学などない。地球温暖化の議論が、自然科学者の間で、人間の営為の所為か否か、そもそもしているのか、等の議論で結論を見いだせず政治的に争われるのはなぜか。あまり適切でないが、wikiで「事実」とそのリンクにある「観測問題」を検索するといい。
>>4
論理的に私は読めますね。感情先行はあなたでしょ、それとも読解力ないのかな。どのみちあはは活字を無理して読まなくていいよ