本の著者って10冊くらい本もらえるんですよ。だからここに飾ってある増殖する戦争の話は自分で買ったわけではないんです。
あ、ちなみにこちら、早速増刷になりました。どうもありがとうございます。
さて、昨日アップした動画なんですけど、早速反響がありました。
素読についての動画ですね。まだ見ていない方はそちらからご覧ください。
例えば意見として考えられない人間になるのでは?というものがありました。
つまり詰め込むだけでは意味がないだろうということでしょうか。
江戸時代とかは古典の素読がどこでも行われていたわけですよ。
そうして学んだ人々が激動の明治を作り上げていくわけですね。
じゃあ彼らは考えられない大人たちだったでしょうか?そんなことはないですよね。
考えてみると掛け算の九九も素読みたいなものですよ。
なんども読んで覚えるじゃないですか。数字にしても言語にしても、考えるツールだと思うんですよね。
そもそもそうしたツールすらなければ、考えたくても幅が狭まるでしょう。
別の例えをすると絵の具ね。絵の具って色々な色がありますよね。
単体でも使えるし、複数を混ぜると新しい色にもなります。
絵の具はツールでそこからは個人の表現です。
ただ手持ちが白の絵の具しかなかったら、幅も何もなくなってしまうでしょう。
今の例えを置き換えてみると、素読っていうのは絵の具の種類を増やすことだと思うんです。
そうして増えた絵の具でどう表現するかっていうのが考える力ですね。
その表現の前提条件であるツールはやはり必要でしょう。
結構ハードな、ドSな要求をされる方もいらっしゃました。
素読で言っていることの意味はわかっているんですかと。
しかし素読って意味を理解させることより、まずは読むこと、慣れることですよね。
意味って基本的に後からじゃないですか。
例えば生まれたての赤さん。かわいいですよね。
当然大人たちが喋る言葉なんて理解できません。
ただ真似して発音して覚えていくでしょう。
そんな赤ちゃんにお父さんだよお父さんだよって言っている時に
あんたそれ意味理解しているのかなんて突っ込まないでしょう。
まずはね、慣れることですよ。
そうして思考のツールを得ることによって徐々に考える力も養えると思うんです。
そのツールを増やすために素読はいいんじゃないかと僕は考えています。
小さい子は吸収が早いし吸収量も多い日用なみにあるわけです。
そこで古典の名著、名言に触れるのは実に有意義じゃないですか。
だって古典っていい物から残っているわけでしょう。
ちなみに昨日の幼稚園も別に素読だけやってるわけじゃないですからね。
もちろんたくさん遊びの時間もあるわけです。
まぁとりあえず一回素読教室来たらわかるよ。まじで。
素読の最終目標は血肉化ですね。
究極になれば暗記できるんですが、
素読によって暗記したものは強烈に残るのだと思います。
あくまで、思います。
科学的根拠を調べたことはありません。
ただ、江戸時代の寺子屋はじめ多くの教育現場では
素読をやっていたと聞きました。
教材も少なかったので意味だけ解釈すればいいなら
すぐ終わっちゃいますよね。
明治の日本人が開国してすぐ欧米に追いついたのは、
素読にあり。
なんて言いすぎでしょうか?
( 和 田 )