おはようございます。マクガイヤーです。
映画『闘争』を観たのですが、桐島聡Tシャツが欲しくなってしまいました。
勿論、あの指名手配ポスターの笑顔をあしらったTシャツです。
しかし、現状どこにも売っていません。
こうなったらおれが作るしかないのか……
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
〇4月7日(月)19時~ 「最近のマクガイヤー 2025年4月号」
・時事ネタ
・HERE 時を越えて
・BETTER MAN ベター・マン
・ミッキー17
・エミリア・ペレス
・ネムルバカ
・教皇選挙
・エレクトリック・ステイト
・ロングレッグス
・ノー・アザー・ランド 故郷は他にない
・映画ドラえもん のび太の絵世界物語
・おーい!どんちゃん
その他、いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
〇4月21日(月)19時~ 「『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』と濃爆おたくスタジオ カラーの野望(と富野由悠季の怒り)」
4/8深夜よりガンダムシリーズの新作『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』が放送されます。昨年の12/4に発表された時点では完全に謎のガンダムシリーズでしたが、1/17に公開された「劇場先行上映版」である映画『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』にてまさかの世界観――1st『ガンダム』の一年戦争でジオン側が勝利した世界――が判明し、サイバーコミックスや『濃爆おたく先生』や『ギレンの野望』が映像化を果たしたかのような映画の前半に大興奮したガンダムおじさんは自分だけではないはずです。一方で、映画の後半は『フリクリ』や『トップをねらえ2!』と同じような人物配置や同じようなテーマが垣間見え、『GQuuuuuuX』が庵野秀明ではなく鶴巻和哉の作品であることがはっきりと分かるものになっていました。
そこで放送開始にあたり、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』の見どころについて解説・予想するような番組を行います。
ゲストとしてお友達の虹野ういろうさん(https://x.com/Willow2nd)をお迎えしてお送り致します
〇藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄の作品評論・解説本の通販をしています
当ブロマガの連載をまとめた藤子不二雄Ⓐ作品評論・解説本『本当はFより面白い藤子不二雄Ⓐの話~~童貞と変身と文学青年~~』の通販をしております。
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また、売り切れになっていた『大長編ドラえもん』解説本『大長編ドラえもん徹底解説〜科学と冒険小説と創世記からよむ藤子・F・不二雄〜』ですが、この度電子書籍としてpdfファイルを販売することになりました。
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合わせてお楽しみ下さい。
さて、本日のブロマガですが、さて、本日のブロマガですが、先日の放送「『Flow』とどうぶつ映画のひみつ」のまとめのようなものを書かせて下さい。
●「どうぶつ映画」とは
まず自分が勝手に提唱している「どうぶつ映画」について改めて説明させて下さい。
動物が登場する映画「動物映画」は沢山ありますし、動物が人間のように知性を持ち、人間のように喋る――擬人化した動物が登場する映画も沢山あります。
しかし、たとえば『ズートピア』と『ベイブ』は明らかに異なるジャンルの映画ではないか、と自分は感じたのです。
『ズートピア』は様々な人間の個性や属性を様々な動物に当て嵌め、多様な動物の社会を描いています。しかし人間そのものは登場しません。
『ベイブ』は人間の存在する世界で、人間と動物の関係性を描いています。人間は人間同士、動物は動物同士で会話することができますが、人間と動物が会話することはできません(観客である我々は双方の言葉や事情を理解できます)。
つまり、大きく分けて2種類の「動物映画」があるわけです。
そして後者――『ベイブ』のようなタイプの映画では、動物たちは自分たちが人間より劣り、使役され、搾取される存在です。人間も動物であるのに、人間だけが特別なのです。そして観客である我々は、動物の視点からこの価値観や世界観を体験します。普段は当然と考えている価値観や世界観を揺るがされるわけです。ここに最大の面白さがあります。
『ズートピア』も『ベイブ』も動物が登場するという意味で「動物映画」ですが、自分は特に後者のタイプの映画に惹きつけられました。
西洋哲学では動物と人間を明確に区別します。しかし生物学的・医学的に人間はホモ・サピエンスという動物です。人間は動物であって動物でない――この矛盾の狭間に『ベイブ』のような映画が存在し、ここに面白さがある――と自分は考えたわけです。
そこで、後者のタイプの映画を仮に「どうぶつ映画」と呼ぶことにしました(他に良い呼び方があればそちらにします)。「どうぶつ映画」は「動物映画」に含まれますが、その逆ではありません。
上記した「どうぶつ映画」の説明を言い換えると、以下の定義になると思います。
① 内面のある動物が登場する
② 人間が存在する(した、するであろう)世界である
③ 二種以上の動物が登場する
「どうぶつ」と平仮名で表記したのは、物語の中では植物やキノコでも、怪物・怪獣・幻獣・獣人でも、ロボット・アンドロイド・レプリカント・AI等でも同様の役割を果たせるからです。そういえば「ロボット」を発明したカレル・チャペックは『山椒魚戦争』も描いていました。
現実に存在する人間以外の動物に人間と同じレベルでの思考力や言語力――内面や自由意志があるかというと、恐らくありません、というか認められません。一方で、個人としての人間は他人の内面を完全に把握できないし、内面が無い可能性すらあります(自由意志に関するベンジャミン・リベットの実験や「実在としての全人類哲学的ゾンビ」を参照)。翻って、人間も動物も同様に内面があると同時に無い存在である、といえます。
この上で、敢えて全ての動物キャラクターに人間と同様の内面を設定するのが「どうぶつ映画」である、ともえます。『バンビ』や『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』のように人間の内面が描かれない場合も多いです。
付記①として、敢えて動物の内面を描かず、空虚の中心として描く場合もあります。たとえば『戦火の馬』や『ハチ公物語』などです。
付記②として、『クマのプーさん』のように、喋るどうぶつキャラがイマジナリーフレンドである場合は除外します。ただし難しいのは、この二つのジャンルは混淆する場合があることです。たとえば『テッド』のテッドはどう考えても主人公にとってのイマジナリーフレンドですが、周囲から知性のある存在として認識されています(この映画の場合、『フラッシュ・ゴードン』のキャラクターがその他の動物に当て嵌まります)。
「どうぶつ映画」の原型は動物が喋り、人間と交流(時に婚姻)する神話や民話にあります。神話や民話を踏まえた上で現実の諸問題を反映したり風刺したりした『動物農場』『野生の呼び声』『黒馬物語』『坊つちやん』……といった文学史上の名作が誕生し、これらの映像化や翻案といった形で「どうぶつ映画」が誕生しました。
●『Flow』の擬人化は最小限だがやっていないわけではない
これを踏まえてギンツ・ジルバロディス監督の『Flow』をみてみると、様々なことに気づきます。
まず、『Flow』の動物たち――猫やカピバラやキツネザルたちは、二本足で立ったり、手でモノをつかんだりしません。姿かたちが擬人化されているわけではありません。
更に、『Flow』の動物たちは一言も喋りません。
実をいうと、当初自分は「どうぶつが喋る映画」とネーミングしていました。しかし今回番組で『Flow』を取り上げるにあたって「どうぶつ映画」と改めました。『Flow』は台詞が全くない映画だからです。『ロボット・ドリームズ』も同じく台詞の無い映画でしたが、新聞や看板といった形で文字情報が登場しました。『Flow』は完全に言葉のない、ノンバーバルな映画です。
動物たちは一言も喋りませんが、船の舵を動かし、他の動物とコミュニケーションをとるために鳴き声をあげます。時に独り言のような鳴き声を発することさえあります。現実の猫やカピバラやキツネザルに比べて高い知性があります。
つまり、姿かたちはほぼ現実の動物のままですが、知性は人間のそれに寄っている――物語を物語るための最小限の擬人化がされているのです。
この意味で、『Flow』は『バンビ』や『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』の系譜に属する作品といえるでしょう。
●どうぶつ映画の前にノンバーバルな台詞無し映画
それにしても『Flow』の凄さは、どうぶつ映画の前にノンバーバルな台詞無し映画としての完成度の高さです。
そもそも映画はサイレント映画から始まりました。映像と音声(台詞)が同期したトーキー誕生以降も、敢えて台詞の無い映画、言葉の無い映画が多数作られました。
ギンツ・ジルバロディス監督が影響を口にしているジャック・タチの『プレイタイム』や『カッツィ3部作』(『コヤニスカッツィ』、『ポワカッツィ』、『ナコイカッツィ』)などがノンバーバルな台詞無し映画の代表的作品になります。映像でなにがしかを伝えるのが映画の最大の魅力であり、ならば台詞無し・映像のみの映画こそ至高の映画であると多くの作り手が考えているからです。『WALL-E』や『あの夏、いちばん静かな海。』のように、作品の世界観や設定込みでこれを実現した映画も多いです。
●ゲーム的想像力と映画
ただ、監督が他の台詞なし映画からの影響を口にしながらも、『Flow』にはそれらと明確に異なる要素があります。具体的には、常に空中を動くカメラ、長すぎる1カット、トーンの統一による質感描写のオミット……等々です。『Flow』よりも前作『Away』の方が強いですが、『Flow』にもきっちりと残っています。一方で、『Flow』の原型である短編『Aqua』では、カメラが常に空中を動いたり、1カットがやけに長いということはありません。MayaやBlenderといったツールに依存した表現手法というよりも、これらの表現がしたくてツールを選んでいる――明らかに狙ってやっているのです。
これらは、映画的文脈と同じくらいの割合でゲーム的文脈、ゲーム的クリエイティビティが、監督の奥底にあるからなのではないでしょうか。
ギンツ・ジルバロディス監督は現在30歳、『Aqua』を作ったのは18歳、映画と同じくらい、もしくは映画以上にゲームに親しんでいる世代です。
『アウターワールド』や『レミングス』をプレイしていたかどうかは分かりませんが、上田文人の『ICO』から始まり『風ノ旅ビト』や『LIMBO』に繋がる「言葉のないゲーム」――シンプルなゲームデザインと最小限の言葉で物語を紡ぐゲームを普通にプレイし、普通に自分のクリエイティビティの源泉となっているのではないでしょうか。
『Flow』は第97回アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞し、映画作品として世界に認められましたが、まだまだゲームの文脈は残っています。
ゲームと映画は思ったよりも近かった、そういうことなのかもしれません。
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