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遺言 その11 2016/2/1
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若者が大人を殺す、
外人が日本人を殺す、
精神障害者が健常人を殺す
……そのような事件がおこると、テレビや新聞やネットで多くの報道がなされ、「治安が悪くなった」と感じる人々が増加します。
しかし、殺人事件は戦後ずっと減少し続けています。1950年代の殺人事件検挙件数はおよそ2500~3000件でした。これは日本が経済成長すると共に減少し続けます。1990年代以降は1000~1500件の間で推移し、2009年以降は1000件以下となりました。
しかし近年、親子、兄弟、配偶者――親族間での殺人率が緩やかに増加しています。1980年から2003年まで、殺人での検挙件数における親族率は40%程度でした。ですが、翌年から上昇し続け、2010年には50%を越えました。
40%と50%、わずか10%にどんな違いがあるのかと思われる方もいるかもしれませんが、殺人の半分が家族間で行われているのは事実です
ちなみに、相手が(家族を含む)知り合いかどうかを表した面識率は、ずっと80%台後半を推移しています。「誰でもいいから殺したかった」は、10%ちょっとのレアケースを象徴する言葉だからこそ世の中に衝撃を与え、「体感治安」の悪化に貢献したわけです。
考えてみれば当たり前のことです。
よほどストレスや、鬱憤や、いわゆる「心の闇」を抱えている者でなければ、自分と全く関係の無い第三者を憎んだり、攻撃したり、殺そうとしたり思わないでしょう。普通の法治社会なら、殺人を犯せば必ずその責任を問われます。日本ならば、故意による殺人は刑法199条により死刑又は無期若しくは5年以上の懲役が科せられます。当然、遺族からこれとは別に民事で賠償請求されますし、解雇・実名報道・再就職の困難等々の社会的な制裁も受けます。
つまり、戦争状態や死刑執行といった例外を除いて、故意の殺人は、デメリットの大きい、割に合わない行為です。
にも関わらず「誰か」を憎んだり、攻撃したり、殺そうという発想が思い浮かぶのならば、それは日々の生活で接点があり、親しくつき合っている「誰か」であるのが自然です。
人間関係が密であればあるほど、親しくつき合っていればいるほど、殺したくなる。愛していればいるほど、それが裏返って、殺したくなる、愛の反対は憎しみではなく無関心であり、愛と憎は相半ばする――こうまとめると、つまらない結論になりますが、それが真実なのでしょう。
翻って、「誰でもいいから殺したかった」は「誰でもいいから愛されたかった」になるのかもしれません。
そう考えると、兄貴がA子さんの殺害についてすんなりと認めたのも理解できます。
東部伊勢崎線の小菅駅を降り、10分ほど住宅街を歩いたところに、その建物はあります。
住宅街に似つかわしくない巨大な建築物です。屋上にヘリポートまであります。何も知らない人がみれば、病院かなにかのように思ってしまうかもしれません。
兄貴の担当弁護士はその建物を「小菅」とか「東拘(トーコー)」とか呼んでいました。NASAの宇宙飛行士がジョンソン宇宙センターを「ヒューストン」と呼んだり、警視庁を「桜田門」と呼んだり、田中角栄元首相を「目白」と呼んだりするのと同じ理屈です。
一階の受付で面会申込書を書き、面会を申し込みます。まだ裁判中で、接見禁止が解除されている人間なら、本人が拒否しない限り誰でも面会できることになっています。
番号を記した紙を渡され、これまた病院のような待合室で待ちます。この建物に、松本智津夫や加藤智大や木嶋佳苗も収監されているのかと思うと、なんだか変な気分になってきます。そういえば宮﨑勤も永山則夫もここに収監され、極刑が執行されたのでした。まるで、ホリエモンのトークライブを聞くためにロフトプラスワンに初めて行き、混みあった店内で開演を待っている時のような気分です。そういえばホリエモンも田中角栄もここに収監されていたのでした。
自分の番号が放送で呼び出されました。御丁寧なことに、液晶モニターに番号も映し出されます。荷物をロッカーに預けて、空港のような金属探知機のゲートをくぐります。小銭入れをロッカーに預けるのを忘れていたので、職員から身体検査を受けることになりました。
廊下を奥まで進み、エレベーターに乗ります。上に七番と表示してあるドアを開けます。何かの映画で見覚えがあるような面会室がそこにはありました。椅子があり、特殊ガラスの仕切りがあり、その向こうには……椅子にすわった兄貴と職員がいました。
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