あざみと学ぼう。歴史ッ!!のコーナーで〜す♫
 
 
その129 朝日将軍
 
 
こんばんわあざみです。
この歴史をまなぼう☆では、魔界には欠かせないファクターである“歴史”を一緒に薊と学んでいこうではないか!!というブログです。
 
魔界での歴史上の武将たちのその生き様や、心意気、はたまたどうして死んだのかといういわゆる歴史を紹介し、魔界をさらに楽しんじゃおうという気持ちをもって筆をとらせていただいている次第です!
 
 
 
感動のご対面を果たした。義経とその兄 頼朝。
 
 
その後。
頼朝は、義経ともう一人の弟の範頼に遠征軍の指揮を委ねるようになり、本拠地の鎌倉に腰を据え東国の経営に専念することになります。
 
 
兄のもとで働けるうれしさはひと塩でありました。
義経感激ィ!!
 
 
 
 
そんな中、親戚である木曾義仲が平氏を追い込み京都に入ったとの報が入りました。
 
木曾義仲(kisoyosinaka)さんは源 義仲 (みなもと の よしなか)という名前で義経らとは従兄弟です。
 
そもそもなぜに平氏を追っているのかと言うと平清盛が強引に安徳天皇を即位させると、平氏の独裁に不満を抱く後白河法皇の皇子・以仁(もちひと)王が平氏打倒を全国に訴えた。
 
 
そもそもこれを受けて8月に伊豆で頼朝が、そして9月に義仲が信濃国で挙兵したのですよ。
 
 
そんでもって義仲のおかげで京都にのさぼる平家の人たちを追い出してくれたもんだから拍手喝采。
平家を追い出してくれた英雄として義仲軍を喝采で迎え、東方(木曽)から日の出の勢いで上洛した彼を“朝日将軍(旭将軍)”と呼び讃えたそうです。
 




気をよくした木曾義仲。
大軍を引き連れそのまま京都に入るわけですが、、、
この頃、京の都は飢饉で荒廃し尽くしていた。人口約15万人のうち、餓死者が4万人というまさに地獄絵図。
道ばたに死体がころがっているのは当たり前の状態でした。
 
 
つづく。
 
それではまた明日のこの時間にお会いしましょう。
今宵はここまでに致しとう御座います。
 
 
                                        あざみ