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おつかれさまです。ハゲです。
ピンボールの歴史ということで前回はご先祖様のバガデルの話をしましたので、その続きからです。
ヨーロッパ起源のバガデルですが、ピンボールの本場はアメリカなのでここから話はアメリカへ移します。どうやってアメリカに渡ったのか具体的な事まではわかりませんでしたが、1871年にアメリカで特許取得されたバガデルがあります。
卓上で遊べる程に小型化されプランジャーでボールを打ちフィールドに金属ピンが施された物です。これにより少なくとも19世紀後半にはアメリカにバガデルが渡っている事を確認出来ます。そして時を少し進ませ1931年。ゴットリーブが「バッフルボール」の名で出したバガデルがヒット作品となりました。5万台製造したと言われています。
こちらは1932年の発行されたバッフルボールのカタログです。昨今はネット上でこういうのがデータとしてあるのが素晴らしいですね。文明の利器。このカタログはまさにメーカーがオペレーターにマシンを売るための物ですね。コイン投入口もあるのでバガデルがアミューズメントマシンとして存在し商業製品としてバガテルが流通されていた事がわかります。後々のピンボール普及の下地になる時代だったのではないでしょうか。まさに黎明期ですね。ここから技術革新を経てピンボールとなっていきますがその辺は次回に。
ここからは余談ですが、バガテルはこの頃日本にやってきたようです。最初に普及させたのが小林脳行の「コリントゲーム」と言われており具体的な年代はわかりませんが、1933年に創業した花山ゲーム研究所(現株式会社ハナヤマ)が創業期に「プーレー」という名で販売をしていたことと当時の雑誌にもバガテルが掲載されているので30年代には日本で普及されていたのは間違いなさそうです。こちらは後々スマートボールに派生していく話かと思われますが脱線するのでここまでで。
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