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ピンボール歴史シリーズはこれで最後にします。別途で書いたほうがわかりやすいと思いあえて触れていなかった「ギャンブル」について今回は書いていきます。
ピンボールの歴史においてギャンブルは密接な関係があります。始まりは1930年代。ピンボールがエレメカの技術が導入され始めるこの時代、プレイに対して金銭や物品が払われるタイプの機器「ペイアウト」が登場します。この頃からピンボールを製造していたBallyとGottliebを調べると特に1936年前後に集中的に作られていたようです。
このペイアウトが社会悪と見做されアメリカの各都市でピンボールの規制が始まりました。理由としては反社会的なイメージ。ギャングの資金源としてペイアウトが使われていたことやピンボールメーカーがシカゴ(1930年はアル・カポネの時代)に集中していたのが大きかったようです。規制撤廃が始まるのはそれから40年後の1970年代。エレメカとしてのピンボールが成熟しソリッドステート機が登場する時代なので、エレメカ時代はほぼ規制の中でピンボールは作られていたことになります。
現代では当たり前のようにプレイされているピンボールですが、ピンボールの歴史は社会の冷ややかな目の中で紡がれてきたわけです。ゲームとかゲーセンとかも今日ではだいぶマシになりましたが、冷ややかな目で見られる時代はありましたね。どの国でもどの時代でも娯楽はそういうもんなんですねぇ、と調べていてしみじみと思うハゲでございました。