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家族に対してのラベルは、自分が育つ過程で子どもの頃から長年かけて作り上げていくのでしょう。だから、家族や恋人など、親しい間柄では、そのラベルがあることがとても分かりにくく、しかも強固です。それゆえに、相手や自分に対して無意識にいろいろなことを期待してしまうし、その期待から外れたときのショックも大きいのです。だって「当然」と思っていることが当然ではない、と知らされるのですから。
たとえば、自分、夫、子どもの3人家族だったとします。夫が子どもをお風呂に入れたり、寝かしつけたりすることは当然でしょうか? あるいは自分がそれをすることは当然のことでしょうか? では、「夫」ではなく例えば「ただの男の人」がそれらをすることはどうでしょう? 育った過程だけでなく、現代ではいろいろな情報が入ってきます。いろいろな人の子育て論や家族論、夫婦論があります。そして自分なりの家族論を作り上げていくのでしょう。でも、相手をラベル越しに見ているがゆえにわき起こる悲しみや怒りがあります。
また、ラベル越しに自分や相手を見ていると、誰かの人生を輝かせるような素晴らしいことをしたとき、あるいは、してもらったとき(それは一杯のお茶をいれるというような、些細に感じることかもしれません)、それがどれだけ素晴らしいことなのかを見逃してしまいがちです。「いつも朝ごはんを作ってくれてありがとう」「いえいえ、妻なんだから当然よ」というふうに、相手の感謝を受け入れることも難しくなってしまいます。
紙とペンを用意して、良い妻とは〇〇だ、悪い妻とは〇〇だ、良い家族とは〇〇だ、良い夫婦とは〇〇だ、のように、母親や父親、夫や子どもなどについて書いてみます。家族やそれぞれの役割を、自分がどんなふうに考えているかを知るのはおもしろいものです。それに、自分が無意識的に持っている考えを知っていることは、自分自身や家族と親密な関係を築く役にも立ちます。
今日の1枚:
フィリピンに旅行したときに出会ったマングローブの森。静かな水面は、鏡のように、空やマングローブをそのままに映していました。
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