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ゲストさん のコメント

No.14
55ヶ月前
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「ミクヴェ」という入浴儀式をおこなう女性たちを描いた16世紀の絵画。中世初期のヨーロッパでは、月経が終わった日から7日後に「ミクヴェ」をおこない、それを済ませると、再び夫との性生活に入る。『図説 不潔の歴史』67ページより 毎日のシャワーやお風呂はマナー。夏はデオドラント剤も常備して、できるだけ「ニオわない」自分でいたい……。清潔へのこだわりは、私たちにとって日常の風景になっています。 でも、このような衛生観念が“ふつう”になったのは、じつはごく近年のこと。人類の長い歴史に目を向ければ、 「体を水で洗うなんて、とんでもない!」と忌避された時代もあった のです。 400年も続いた「風呂のない時代」 世界最古として知られる、テラコッタの装飾を施された浴槽、紀元前1700年頃。クレタ島のクノッソス宮殿にある女王の居室内で発見された。『図説 不潔の歴史』20ページより 「 体表の孔を塞いでおけば、感染を閉め出せる 」──これは、14世紀にヨーロッパで ペストが大流行したときの“常識” です。当時、今でいうクラスターの発生源とされたのは浴場。熱と水が皮膚の毛穴その他を開いてしまうことで、ペストが全身に侵入するとされ、 400年にわたり「風呂のない時代」が続く ことになりました。 こんな驚きのエピソードが満載なのが、主に西欧の衛生の通史を紐解く『図説 不潔の歴史』(原書房)です。著者のキャスリン・アシェンバーグが語るのは、入浴が欠かせなかった古代ギリシャ・ローマ時代から、今日の清潔至上主義がアメリカで花開くまで。なにを「不潔」とするのかという概念そのものが、時代によって大きく変化してきたことがよくわかります。 図説 不潔の歴史 5,980円 購入する 女性が「ワインとお風呂」を禁じられたワケ 交際を楽しめるギリシャの共同浴場。1人用のヒップ・バスが円状にしつらえてある。『図説 不潔の歴史』24ページより 本書の冒頭で引用されるのは、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』です。この物語の人々はじつによく風呂に入り、熱い湯につかったあとは見違えるほど美しく、神々しく変貌します。 入浴は古代ギリシャ人にとって、健康のために欠かせない習慣 でした。 紀元前3世紀、古代ローマ時代になると集団向けの温水風呂(テルマエ)が誕生し、紀元前2世紀までに普及したといいます。 しかし、人類とお風呂の蜜月は紀元1世紀ごろまで。 キリスト教が広まると、浴場は禁欲的な教えに反する場所として否定されるようになった のです。 ヒエロニムスは、野菜とおだやかなハーブを中心とした質素な食事をし、刺激の少ない暮らしをするよう力説した。 熱は性欲を亢進すると考えられた ため、貞淑な女性はぶどう酒(血液を温める)と湯浴みを禁じられた。 (『図説 不潔の歴史』58ページより引用) こうしてローマの入浴文化は廃れていき、「 体の清潔は魂の不潔 」という意識が人々の間で共有されていったと著者のアシェンバーグ氏。十字軍の遠征により、ハマーム(公衆浴場)がアラブ諸国の“贅沢品”として伝えられるまで、入浴が復権することはありませんでした。 ペストで広がった水への恐怖 ペスト(黒死病)にかかった人たち。リンパ腺が冒され、脚の付け根やわきの下、首筋に瘤(こぶ)ができた。『図説 不潔の歴史』89ページより 十字軍以降、浴場はヨーロッパで再び人気を博すようになりますが、ここで ペスト が人々を襲います。 アジアで発生したペストは、ノミがネズミからペスト菌を運ぶことで人間に感染し、ヨーロッパで拡大したといわれます。14世紀半ばの4年間で、じつにヨーロッパ人の3人に1人が死亡。最初のペスト禍がおさまるまでに2500万人が命を落としたのです。 このときに人々の間で広まったのが、 湯浴み(入浴)をすると体の毛穴が開き、そこからペストに感染する という説です。「浴場も入浴も、頼むから避けろ。さもないと死ぬぞ」と噂され、フランス王シャルル7世の侍従医もパリの浴場の閉鎖を呼びかけたそう。ペストの脅威は18世紀まで続き、入浴だけでなく「水に対する恐怖」が人々に広まっていきました。 水は手を洗うとき以外はことごとく避けられ、 顔は乾いた布で拭く のがふつう。 髪 は洗うよりも、 寝る前にふすまや粉などをまぶし、翌朝クシで落とす ことが推奨されていたといいます。 ドレスの下はノミとシラミがいっぱい ジョルジュ・ド・ラ・トゥール画「蚤(のみ)をつかまえる婦人」、1638年頃。『図説 不潔の歴史』95ページより 体を洗わず、肌を極力濡らさないようにしていたのは、優美なイメージのある王侯貴族も同じです。 豪奢な衣服の下にはノミやシラミがいるのが当たり前 。体を洗わなくても、清潔な亜麻布の下着を身につければ、下着が垢を吸い取ってくれると信じられていました。 当時の人々の 「クサかった」エピソード も、本書にはいろいろと紹介されています。 ルイ一四世 の宮廷にいる者なら誰でも、この〈太陽王〉の 口臭 は知っていた。 王の愛人 モンテスパン夫人は、しょっちゅうこのことで文句を言っており、 自己防衛のために大量の香水 をつけていた。王のほうはといえば、夫人の香水を忌み嫌っていた。 (『図説 不潔の歴史』101ページより引用) 「豊かだろうが貧しかろうが、男だろうが女だろうが、 おたがいの垢や排泄物や悪臭が常につきまとう暮らしをしていた 」とは、アシェンバーグ氏の言。現代とはかなり、ニオイに対する感覚が異なっていたことがうかがえます。 コニカミノルタ KONICA MINOLTA 世界初ニオイ見える化チェッカー Kunkun body(クンクン ボディ) 本体 31,000円 購入する 「明晩パリに戻る。洗わぬように」 ビデにまたがった18世紀の女性。ルイ=レオポル・ボワイの版画より。『図説 不潔の歴史』147ページより とはいえ強い体臭は、こと恋愛においてはスパイスとして働く場合もあったようです。 古代のたいていの社会の人々は、まともに 生々しい体臭 は、ふさわしい状況でさえあれば 強い催淫効果をもたらしうる ことを、事実として知っていた。ナポレオンと妃のジョゼフィーヌはどちらも、熱い湯で長風呂する時間をとることに毎日こだわった。ところが ナポレオンは、遠征先からジョゼフィーヌにこう書き送っている 。「 明晩パリに戻る。洗わぬように 」。 (『図説 不潔の歴史』10ページより引用) 「少なくともわかっている範囲では、セックスと無臭潔癖でいることを関連づけるものはまったくない」とアシェンバーグ氏。デオドラント業界からすると、ちょっと受け入れがたい見解かもしれませんね。 「自分のニオイが怖い」私たち ボゼリアンのシャワー風呂、1878年。清潔になるとともに運動にもなる。このイギリスの発明品は、ペダルを踏めば水が出る。『図説 不潔の歴史』157ページより 18世紀半ば以降「体を洗う」という習慣がヨーロッパで見直されてくると、人々は「清潔」を手に入れるためにさまざまな努力をするようになりました。 現在の 「不潔恐怖症」の流れを決定づけたのは、19世紀以降のアメリカ人 。石けん、マウスウオッシュ、デオドラントスプレーなど、「ニオわない」自分を手に入れるための商品が次々に登場し、巧みな広告によって世界を変えていったのです。 本書に登場する香りのアーティスト、シセル・トロースが指摘するように、私たちの衛生観念は「 自分自身のニオイが怖い 」という感覚を持つまでにいたっています。清潔の定義は常に変わり続けるもの。現在のコロナ禍を経て、また大きな変化が訪れるかもしれません。 クサくない人になるヒント 体臭、口臭、加齢臭、汗のニオイ……「クサくない人になる方法」6つ 体組成計、口臭、体臭、アルコールチェッカーまで! 身体測定ツール9つ [ 図説 不潔の歴史 ] 文/田邉愛理、企画・構成/寺田佳織(マイロハス編集部)、image via shutterstock
MYLOHASちゃんねる
「生き方キレイ」をコーディネート「マイロハス(MYLOHAS)」。

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