「ミクヴェ」という入浴儀式をおこなう女性たちを描いた16世紀の絵画。中世初期のヨーロッパでは、月経が終わった日から7日後に「ミクヴェ」をおこない、それを済ませると、再び夫との性生活に入る。『図説 不潔の歴史』67ページより

毎日のシャワーやお風呂はマナー。夏はデオドラント剤も常備して、できるだけ「ニオわない」自分でいたい……。清潔へのこだわりは、私たちにとって日常の風景になっています。

でも、このような衛生観念が“ふつう”になったのは、じつはごく近年のこと。人類の長い歴史に目を向ければ、「体を水で洗うなんて、とんでもない!」と忌避された時代もあったのです。

400年も続いた「風呂のない時代」

世界最古として知られる、テラコッタの装飾を施された浴槽、紀元前1700年頃。クレタ島のクノッソス宮殿にある女王の居室内で発見された。『図説 不潔の歴史』20ページより

体表の孔を塞いでおけば、感染を閉め出せる」──これは、14世紀にヨーロッパでペストが大流行したときの“常識”です。当時、今でいうクラスターの発生源とされたのは浴場。熱と水が皮膚の毛穴その他を開いてしまうことで、ペストが全身に侵入するとされ、400年にわたり「風呂のない時代」が続くことになりました。

こんな驚きのエピソードが満載なのが、主に西欧の衛生の通史を紐解く『図説 不潔の歴史』(原書房)です。著者のキャスリン・アシェンバーグが語るのは、入浴が欠かせなかった古代ギリシャ・ローマ時代から、今日の清潔至上主義がアメリカで花開くまで。なにを「不潔」とするのかという概念そのものが、時代によって大きく変化してきたことがよくわかります。

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女性が「ワインとお風呂」を禁じられたワケ

交際を楽しめるギリシャの共同浴場。1人用のヒップ・バスが円状にしつらえてある。『図説 不潔の歴史』24ページより

本書の冒頭で引用されるのは、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』です。この物語の人々はじつによく風呂に入り、熱い湯につかったあとは見違えるほど美しく、神々しく変貌します。入浴は古代ギリシャ人にとって、健康のために欠かせない習慣でした。

紀元前3世紀、古代ローマ時代になると集団向けの温水風呂(テルマエ)が誕生し、紀元前2世紀までに普及したといいます。

しかし、人類とお風呂の蜜月は紀元1世紀ごろまで。キリスト教が広まると、浴場は禁欲的な教えに反する場所として否定されるようになったのです。

ヒエロニムスは、野菜とおだやかなハーブを中心とした質素な食事をし、刺激の少ない暮らしをするよう力説した。熱は性欲を亢進すると考えられたため、貞淑な女性はぶどう酒(血液を温める)と湯浴みを禁じられた。

(『図説 不潔の歴史』58ページより引用)

こうしてローマの入浴文化は廃れていき、「体の清潔は魂の不潔」という意識が人々の間で共有されていったと著者のアシェンバーグ氏。十字軍の遠征により、ハマーム(公衆浴場)がアラブ諸国の“贅沢品”として伝えられるまで、入浴が復権することはありませんでした。

ペストで広がった水への恐怖

ペスト(黒死病)にかかった人たち。リンパ腺が冒され、脚の付け根やわきの下、首筋に瘤(こぶ)ができた。『図説 不潔の歴史』89ページより

十字軍以降、浴場はヨーロッパで再び人気を博すようになりますが、ここでペストが人々を襲います。

アジアで発生したペストは、ノミがネズミからペスト菌を運ぶことで人間に感染し、ヨーロッパで拡大したといわれます。14世紀半ばの4年間で、じつにヨーロッパ人の3人に1人が死亡。最初のペスト禍がおさまるまでに2500万人が命を落としたのです。

このときに人々の間で広まったのが、湯浴み(入浴)をすると体の毛穴が開き、そこからペストに感染するという説です。「浴場も入浴も、頼むから避けろ。さもないと死ぬぞ」と噂され、フランス王シャルル7世の侍従医もパリの浴場の閉鎖を呼びかけたそう。ペストの脅威は18世紀まで続き、入浴だけでなく「水に対する恐怖」が人々に広まっていきました。

水は手を洗うとき以外はことごとく避けられ、顔は乾いた布で拭くのがふつう。は洗うよりも、寝る前にふすまや粉などをまぶし、翌朝クシで落とすことが推奨されていたといいます。

ドレスの下はノミとシラミがいっぱい

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール画「蚤(のみ)をつかまえる婦人」、1638年頃。『図説 不潔の歴史』95ページより

体を洗わず、肌を極力濡らさないようにしていたのは、優美なイメージのある王侯貴族も同じです。豪奢な衣服の下にはノミやシラミがいるのが当たり前。体を洗わなくても、清潔な亜麻布の下着を身につければ、下着が垢を吸い取ってくれると信じられていました。

当時の人々の「クサかった」エピソードも、本書にはいろいろと紹介されています。

ルイ一四世の宮廷にいる者なら誰でも、この〈太陽王〉の口臭は知っていた。王の愛人モンテスパン夫人は、しょっちゅうこのことで文句を言っており、自己防衛のために大量の香水をつけていた。王のほうはといえば、夫人の香水を忌み嫌っていた。

(『図説 不潔の歴史』101ページより引用)

「豊かだろうが貧しかろうが、男だろうが女だろうが、おたがいの垢や排泄物や悪臭が常につきまとう暮らしをしていた」とは、アシェンバーグ氏の言。現代とはかなり、ニオイに対する感覚が異なっていたことがうかがえます。

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「明晩パリに戻る。洗わぬように」

ビデにまたがった18世紀の女性。ルイ=レオポル・ボワイの版画より。『図説 不潔の歴史』147ページより

とはいえ強い体臭は、こと恋愛においてはスパイスとして働く場合もあったようです。

古代のたいていの社会の人々は、まともに生々しい体臭は、ふさわしい状況でさえあれば強い催淫効果をもたらしうることを、事実として知っていた。ナポレオンと妃のジョゼフィーヌはどちらも、熱い湯で長風呂する時間をとることに毎日こだわった。ところがナポレオンは、遠征先からジョゼフィーヌにこう書き送っている。「明晩パリに戻る。洗わぬように」。

(『図説 不潔の歴史』10ページより引用)

「少なくともわかっている範囲では、セックスと無臭潔癖でいることを関連づけるものはまったくない」とアシェンバーグ氏。デオドラント業界からすると、ちょっと受け入れがたい見解かもしれませんね。

「自分のニオイが怖い」私たち

ボゼリアンのシャワー風呂、1878年。清潔になるとともに運動にもなる。このイギリスの発明品は、ペダルを踏めば水が出る。『図説 不潔の歴史』157ページより

18世紀半ば以降「体を洗う」という習慣がヨーロッパで見直されてくると、人々は「清潔」を手に入れるためにさまざまな努力をするようになりました。

現在の「不潔恐怖症」の流れを決定づけたのは、19世紀以降のアメリカ人。石けん、マウスウオッシュ、デオドラントスプレーなど、「ニオわない」自分を手に入れるための商品が次々に登場し、巧みな広告によって世界を変えていったのです。

本書に登場する香りのアーティスト、シセル・トロースが指摘するように、私たちの衛生観念は「自分自身のニオイが怖い」という感覚を持つまでにいたっています。清潔の定義は常に変わり続けるもの。現在のコロナ禍を経て、また大きな変化が訪れるかもしれません。

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図説 不潔の歴史

文/田邉愛理、企画・構成/寺田佳織(マイロハス編集部)、image via shutterstock

RSS情報:https://www.mylohas.net/2020/06/213950the_dirt_on_clean.html