あきらめること。できればしたくない。逃げたくない。自分に負けたような感じがする......。「あきらめる」って、どちらかというと後ろ向き=マイナスなことだと思っていました。がんばることがよいとされる風潮のなか、いつもがんばってきた私たちはあきらめることがすごく苦手です。 あきらめるには二つの意味があった

でも、もし前向きにあきらめることができるなら。そこに心が軽くなるヒントがあるようです。

もともと「あきらめる」には二つの意味があります。

一つは「諦める」。「投げ出す」「執着しない」という意味です。

もう一つは「明らめる」。あまりなじみのない書き方ですが、仏教の世界で誕生した言葉で、「物事を明らかにする」「真理に達する」「つまびらかにする」という意味です。

『聖なるあきらめ』が人を成熟させる」P.3~4より引用

著者の鈴木秀子さんは、「執着しない」「物事を明らかにする」この二つの意味のあきらめを、「聖なるあきらめ」と呼んでいます。

前向きにあきらめるのは、とてもかんたん

悩んだりつまずいたりしたとき、状況を把握するためにまずは明らめる。それが自分の力で変えられることか、変えられないことかを明らかにします。変えられることは潔く変えてみる。そして、変えられないことは、執着せずすっぱり諦めてみる。その行為を行うだけで、前向きにあきらめられるようになり、結果的に心が軽くなるというのです。

見返り、過度な期待をあきらめる

パートナー、子ども、友だち、上司に部下、さまざまな人間関係のなかにいると、つい自分の立ち位置や自己アイデンティティを見失いそうになります。

夫のために、子どものために、とがんばって、無意識のうちに「ほめられたい」「見返りがほしい」と思っているのに報われなくて、ストレスがたまってしまう。がんばっているのに、これでは悪循環です。だから、そうなる前にさっぱりあきらめる。求めなければ、その分どんなときでも状況を受け入れられる心のゆとりが生まれます。

最近、心がもやもやハッピーになれない! そんなときは現状を明らめて、諦めてみることで前向きになれるのかもしれません。

[「聖なるあきらめ」が人を成熟させる]

(丸山美沙)

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