大学進学や就職を機に実家を出たアラサーともあれば、自分の城を築きあげて約10年。

ひとつのことを10年も続けたら、もはやプロといっても過言ではありません。

「ひとり暮らしのプロ」たる女たちは、ちょっとの寂しさと引き換えに「自分の城」という名のひきこもり空間を手に入れて、のびのび自由を謳歌してきました。

私は"自分の城"の女王

深夜にハーゲンダッツを食べても、テレビを見ながらごろごろしていても怒られない。真夜中まで深酒しようが昼まで寝ていようが誰も気にしない。

なぜなら自分の城の女王だからです。イエス私がマジェスティ!

ひとり暮らしライフを満喫するアラサー女たちは、口ぐちにこう語ります。

「誰かと一緒に生活するなんて考えられない」

「ひとりの時間が楽しすぎて、ラクすぎて手放せない」

「私の家を散らかして許せるのはペットだけ」

「だよねー私もひとり時間が大好きだからわかるー」

と共感bot化して聞いていると、彼女たちは少し暗い顔をしてこう続けます。

「でも、結婚したいから、そんなことも言ってられないよね」

「だけど、ずっとひとりで独身でいたいわけじゃないから婚活しなきゃ」

「一緒に過ごさない結婚なんてありえないよね。我慢しなきゃ」

生活のすべてを「自分用」にカスタマイズした結果、他者の入る隙間がすっかりなくなっているという現実にブチ当たり、彼女たちは自分の生活を変えなきゃと苦心します。

自分ひとりの自由な楽しさを手放せる気がしない、でもいまのままでは結婚できないのもわかる...という葛藤シーソーゲームで女たちは悩みます。

「結婚」が脳裏にチラついたとき、女の歯切れは悪くなる

なぜ葛藤するかというと、「おひとりさま上等! 私は生涯自由にいたいの☆」と言い切る豪傑は超少数派で、結婚というイベントを発生させたいと願うアラサー女子が大多数を占めるから。

「ひとりでいたい、でも結婚したい」「他人と一緒は面倒、でも結婚したい」という相反する主張に、自分自身もどう折り合いをつけていいかワカラナイと七転八倒するのはお約束。

でも、うっかりそんな自分の不安を口にするとターゲットロックオン! とばかりに一斉射撃で"うんコメント"(うんこめいたコメントの意)が打ち込まれます。

「そうやって自分のことばっかりだから結婚できないんだよ」

「合わせるとか折れるとか考えないの? だからアラサーって面倒なんだよね」

「そんなになんでもひとりでできたら結婚できないよ」

「ひとりの生活が充実しすぎると、結婚が遠のくよね」

うんこなら流せばよいのですが、流せないのがアラサー女子。

「そんなことわかってるよ。自分でもどうしていいかわからないんだよ...」と、涙目でうなだれ、「男をたてて、料理をつくって、旦那さまをサポート☆」といった、古生代の「お嫁さん像」にハマらない自分たちを責めて自信を失っていく、ところまでがワンセット。

世間の圧力はとかく厳しい

彼女たちは「女は仕事なんてしなくてもいい」「少し馬鹿なくらいのほうがかわいいよ」「あまり年収が高いと男はひいちゃうよ」という価値観を「馬鹿じゃないの?」「稼ぐの楽しいし」「やりたいことやるし」とブチ壊しながら進んできた実績のあるカッコイイ女性たちです。

そんな彼女たちでも、結婚問題の前には心が揺れて折られます。

なぜなら世間は容赦なく「結婚できない女はダメ」とラベルを貼り、「少子化を解消するために子どもを産め」と国家への貢献を要求し、「自分の生き方を優先する女はワガママ」「男は強い女に委縮する。プライドを立てろ」「仕事ばっかりの女って怖い」と、ふるぼっこにしてきます。

自分の望む生活をしている独身女というだけで、これだけ「わがまま」と言われたら、「やっぱり私が悪いのでは...」「もっと女らしくするべきなのでは...」と迷って悩むのは当然っちゃ当然。

同棲で失敗した経験談問題

さらに、邪魔をするのは世間のうんコメントだけではありません。心強い女友だちや自分の経験もまた邪魔をしてきます。

そう、同棲したものの別れた人たちが語る「作業負荷が全部自分にかかってくる問題」です。

お互い働いているのになぜか自分にばかり押し付けられる家事全般。いつも言われる「今日のごはんはなにー?」「家事はやって当然」と言わんばかりの態度の数々...。

そういう話を聞く、あるいは自分で経験してしまうと「結婚のメリットってなに?」となるのは宇宙の理です。

「女らしく」した結果が「自分の仕事が増えるだけの不平等条約」ということに絶望し、「そこまでして結婚しなくていいや...」「必死になるほどじゃないよね...」と、婚活戦線からリタイアする人はめっちゃいます。

なんでひとりが好きって、疲れてるからだよね

ぶっちゃけ、毎日沖縄、ハワイ、タヒチあたりのリゾート地でゆるりと過ごしていたら「ひとりの時間がないと死ぬ」なんていうシュプレヒコールをあげる必要はありません。毎日が夏休みなら、夏休みは特別ではなく日常です。

でも、高層ビルまみれの東京でバリバリ働いて、日々PCモニタを見つめながらブルーライトのシャワーを浴びる生活をしていたら、気分転換の時間は死活問題です。

平日はもとより、下手をすれば週末も仕事に追われる女たちが仕事スイッチをオフにして「自分の時間」を楽しんで、それを大切に思うのは当然のこと。

結局のところ、「自分の時間」を求めるのは、日常が「誰かのための時間」で埋まりつくしているから。

クライアントの無理難題を解決するべく奔走し、「なんでこんなこともできないの?」「これだから女は」なんてクソリプを上司から頂戴しつつ、お局化しないように気を使って新人教育もする...とめまぐるしく走っていると、「もうこれ以上、誰かに気をつかうリソースなんて割けません!」と白旗をあげたくなる気持ちもわかります。

せめて自分の城、自分の時間は死守したい。だから誰かとの生活によって「新しい負荷」がかかる結婚生活に及び腰になるのです。

ひとりでゆっくりしたい。でも、結婚したい。

帰ってほっとできない空間はイヤ。自分のペースを誰かに乱されるのは耐えられない。余裕がない生活のなかで帰ってきてからも「やること」があったら死んじゃう。

でも、結婚したい。

こんな風に思うのは私がわがままだから? 自分の主張ばっかりで相手に寄り添わないのが悪いの? 「女らしく」相手を立てることにストレスを感じない女だったらよかったの?

でも、結婚して安心したい。

ストレスから解放されたい。

ひとりで死ぬのはやだ。

「自分の自由を選んでの孤独」か「我慢を受け入れての安心」か。そんな二者択一の間で女たちは揺れ動きます。

固定観念は捨てて、自分の理想をはっきりさせよ

ですが、そもそも結婚は自由か孤独のどちらかを選ぶゲームではありません。

普段は多様なデータから詳細にロジックを積み上げるバリキャリ勢も、自分のことになると客観性を失うようです。

確率が高くなくても、「お互いの自由を尊重して安心して過ごせるパートナーを探す」という道はあります。「結婚するなら自分の自由を手放さなくちゃ」と思い込んで自分を苦しめているのは自分です。

たしかに同棲で失敗したエピソードはまわりにあふれています。しかし同棲でうまくいくケース、「別居婚」というかたちで「どうしても自分ひとりの時間が欲しい」という欲求を確保しつつ結婚しているケースだってあります。

「ひとりの時間は絶対必要。でも一緒にいるパートナーは欲しい。だから衝突が起きない人を選びたい」。

これはわがままではありません。少数派かもしれないけれどニッチで立派なニーズです。

そのニーズを満たすためにやるべきは、他者と衝突する原因を自分で分析して、合う人、合わない人を判別すること。ニッチでマジョリティとは違っても、合う人は存在します。

オーダーメイドな関係をつくるためにも、自分の理想の把握は絶対必要! と今日も女子会でプロパガンダを打ちまくってます。

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撮影/田所瑞穂



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