昨日ニコニコ生放送の行きつけの生主のところで雑談の掛け合いをやっていました
そのとき以前感じていた熱を思い出したような気がしました
何を思い出したかというと全力で自分を出すことです
私はいつも50%くらいの力でしかニコ生ではコメントを打ちません
何故かと言うと100%出すと大体の場合生主と軋轢が生まれます
ニコ生は誰でもできる反面、精神が未熟と言うか世の中にはいろんな人がいるんですよと言うことがわからない人がたくさん生主をやっています
何でもかんでも自分のいったことが正しいと思っていることが多いわけです
だからちょっとでもその主と違う意見を言うと機嫌を崩してしまいます
そんな中、私はニコ生が好きで色んな過疎放送の雑談枠へ行っては盛り上げようとコメントを打ちまくっていました
何故過疎放送へ行くかと言うと、私の場合は大手など人数が多いとコミュニケーションが取れなくて見ているだけになってしまうからです
別に人数がたくさんいるから駄目と言っているのではありません
実際放送内容からしたら大抵は遥かに大手の方が面白い場合が多いです
でも私がやりたかったのは主とのコミュニケーションをして全く何もやっていない過疎放送を盛り上げることです
その場を作ると言う作業が上手くいくと、とても楽しいのです
上手くいった放送などはコミュ参加したりしてまた次にやりにいくのですが、生主によっては前述したような機嫌取りをしなければならない人もいるわけです
そして私は言い争いを避けるのが結構得意です
何故かと言うと、世の中には論理的に物事を考えるのが苦手な人がいて(ここで言う苦手というのは無知とかのことではなく思考が少しでも不安定になると論理的な答えが導き出せない人です)そういう人は感情でものを言って来るので次に何を言うのかだいたいわかってしまいます。
当然論理的に説明しても無駄で何故そのようなことを言ったかではなく
感情で言いくるめようとしてくるので、ただの言い争いになるだろう事に気づいてしまうのです
なのでそうなる前に大体私が折れるわけです
私はその生主のところでコメントを打っていて、その人がやりたいから生放送をやっているわけで、文句があるなら自分の放送でやれということになるわけです
だから私が折れるのです
実際の世界でも同じようにニコ生でもそういう人の方が多いと思います
そりゃ多少は誰でも感情的になることはあるでしょうけど、そういう人はその抑制できる範囲が狭いのです
誰も機嫌取りに放送を見に行きたい人なんていないわけですから、そういう放送は過疎になるわけです(過疎になる理由は色々あるわけだが)
私はそういう人がやっている可能性のある過疎放送にわざわざ好んで行っていた訳です
リスクが当たってたくさん色んな放送でそういう経験をしてきたのであまり最初は全力で行かないほうがいいなと思い始め50%ぐらいの力で行くようになったのです
しかし、これは結構罠だったのです
リアルでもそうですが始め半分くらい自分を隠して付き合いだした人に途中からテンションを変えて接するのはなかなか面倒くさいのです
最初遠慮してしまったらあとから大胆になるのって結構勇気がいると思います
そして私にはもう少し押しても大丈夫かなと探る癖がついているのでさらに躊躇します
そういう抑えた状態だとまあ確かに面白いけど行くとこまで行けなくてなんかもやもやしてる感じが残っているのです
閑話休題ですが、そこで昨日ニコ生で久しぶりの雑談生放送で掛け合いをやったのですが、面白くてちょっとときめきました
「あ、そういえば俺がやりたいことってこれだ」と言うことを思い出しました
いつも50%の力で接しているメンバーの中に一人100%の力でやってたときに接していたメンバーがいたから上手く行ったんだと思います
さすがに50%のメンバーにいきなり100%はぶつけませんでしたが80%くらい出せたと思います
何か今回の記事は50%だの100%だのよくわかんない抽象的なことたくさんでてきてますがこまけぇこたぁいいんだよ!!
要するに何がいいたいかというと、
ニコ生ってたのしいな!ってことです
もしかしたら普通とはちょっと違うニコ生の楽しみ方をしているのかもしれませんが、楽しみ方を自分で見つけるのもまたニコ生なんじゃないでしょうか?
最後にわが社も一応生放送してるのでよかったらみてください
おしまい