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子どもは誰でもさずかるものだと思っていた 不妊と戦った5年間[体験談]
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子どもは誰でもさずかるものだと思っていた 不妊と戦った5年間[体験談]

2016-06-13 20:00

    <提供元サイトで全文を読む>




    「すぐに子供ができる」

    義両親や周りに言われてそう思い込み、私はその言葉を聞いて、子供を産んだら義両親の色や教育方針に染められて、子供が取られてしまいそうな不安に駆られていました。

    しばらくは作らないぞと思っていた程、当時は不妊に関して全くの無関心でした。

    30代を過ぎて

    結婚後続けていた仕事は派遣社員だったので、契約満了を迎えようとしていたのが32歳です。

    最後はおめでたで退社したいと思っていて、夫婦で子作りを解禁しました。

    「子供ができたら行けないね」

    と大きな旅行を計画しエジプトに行ったりしていました。

    退社の日が近づいては来ますが、全く妊娠する気配がなく、基礎体温ぐらいは測ろうかなと自分の体温を意識して妊活もしてみました。

    ですが、結局身籠ることのないまま仕事をやめる日になり、子なしの専業主婦になってしまいました。

    子なしの専業主婦は本当に暇で、こんな生活をしていたら一気におばさんになりそうと焦りながらも、化粧やファッションにも興味なくなり、ずっと部屋着で過ごすような日々が続いていました。

    新しい仕事を見つけても良かったのですが、その時は仕事を始めてもすぐに妊娠しちゃったら会社に迷惑かけちゃうし、子供を望んでいるんだから授かるまでしばらく待ってようと我慢。

    暇を持て余し、お料理教室やお菓子教室、ピラティスに行ったりとちょっと贅沢な日々を過ごしていました。

    婦人科の扉を開ける

    なかなか妊娠できず、33歳になった時に検査だけでもと思い、近くの不妊治療専門医に行ってみる事にしました。

    その病院は全国的にも有名な病院で、先生はよくメディアに登場していて、県外からの患者さんも多く見える最先端の病院でした。

    せっかく行くならしっかりとした所が良いし、近くにそんな有名な病院があるんだったらラッキーかなと思いその病院を選びました。

    一通りの検査を終えて特に問題はなく、妊娠できないのは卵の老化ぐらいしか原因がわかりませんでした。

    検査を終えてた翌月すぐに妊娠反応が出て、陽性=出産という安易な考えでいたので、もう出産できるぐらいにホッとしていました。

    嬉しくてたまらず有頂天になっていましたが、

    「赤ちゃんが見えない」

    と言われ陽性反応は出ましたが、自然に流れてしまいました。

    病院で流産の報告を受けた時は涙が止まらず、しばらく個室を借りて冷静になれるまで時間をもらうほど落ち込んでしまいました。

    夫にも付き添ってもらい、泣き崩れる私をただただ優しく包んでくれて、一人だったら真っ直ぐ家に帰れないぐらいの状態でした。

    検診後、美味しい物を食べて少しでも元気をつけようと、主人がオシャレなイタリアンに連れて行ってくれて何とか平常な気持ちになることができました。

    検診で先生に

    「1週間以内に赤ちゃんが入っていた袋が自然に流れてくるかもしれないです。流れてこなかったら手術が必要です。」

    と言われましたが、案の定翌週にトイレで袋のような物が流れてきて気付けました。

    これが赤ちゃんの袋かぁ・・・

    と何とも言えない感情になったのを今でも覚えています。

    不幸中の幸いが、流産の手術をすることなく自然に流れていったことです。

    立ち直れない程ショックを受けているのに、さらに痛くて怖い思いをする手術をするなんて耐えられません。

    流産後

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