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ニキビやニキビ痕のクレーターにお悩みの皆さん、はじめまして。

私は目も当てられないような大量のニキビと格闘し、その果てに残ったクレーター肌との闘いに力を使い果たしました。

これからみなさんに、私の闘いの記憶と、クレーターと向き合わざるを得なくなった日々についてお話していこうと思います。

そして、この絶望の底からどんな希望をつかんだのか、是非お読みください。

悲劇の始まりと、壮絶なに生い立ち

始まりは中学生の時です。

母親譲りの「きめ細かな肌」と父親譲りの「オイリー肌」を持った私の額に、ある日から小さな赤いニキビができはじめました。

ニキビは下へ下へと移動をはじめるようになりました。

「ニキビは、とにかく洗顔をすることが大事」

そんな情報を、確か中学生向けの女の子の雑誌から得たような気がします。

周りの女の子たちと同じように、私も学校へ洗顔料とタオルを持参するようになりました。

そして、体育の後や、休み時間の合間などに顔を洗っていました。

それでも、ニキビは減らないどころか、ますます増殖していきます。

いよいよ治療したほうが良いのでは、と心配した家族の勧めのもと、街中の古い皮膚科へ行きました。

処方されたのは、硫黄の入った塗り薬でした。

温泉タマゴのような、独特のにおいがする薬です。

お風呂上がりの清潔な状態のお肌に塗布してから寝ると、枕カバーや布団カバーに硫黄のにおいがしみ込むようになりました。

それで良くなったのかどうかは、永遠の謎です。

さらに高校生の時、「クロロフィル」という植物を使用したニキビ治療のサロンに通いました。

植物を原料としている化粧品のため、抹茶もびっくりの緑色尽くしのテクスチャーと、なんとも言えないにおいです。

「植物天然由来」というと、現代ではアロマオイル配合のリッチな気分になれるものがイメージされますが、約25年前の世界には、そうしたリラクゼーションスキンケア用品はまだ一般的ではありませんでした。

自宅でのホームケアも行いましたが、硫黄と同じく、タオルが徐々に緑色に染まっていきます。

驚異の荒療治、そしてクレーター野原の誕生


それ以降、「アロエはニキビに効く」という情報を真に受けて、ベランダで栽培していたアロエの果肉をそのまま患部に乗せてしまっては、真っ赤に腫れ上がってしまったり、

デパートの化粧品カウンターのお姉さんの「これさえ使えば、どんなニキビ痕でも魔法のように消えて、きれいになります!」というミラクルマジックな商法に乗ってしまっては、「出ていくのはお金ばかり」という、努力の方向性を疑ってしまうような戦いぶりが続きました。

そして、極めつけは大学3年生の時です。

「またできたの」

そういう身内の声に耐えられなくなった私は、家族に内緒でエステサロンに入会してしまいました。

当時、エステサロンというのは20代女性の画期的な憧れの存在でした。

魅力的なCMに導かれて、私は夢のようなひと時を過ごしました。

しかし、そのサロンのお姉さんもまた「これを飲んで、体の中からきれいになりましょう!」とミラクルマジックな商法で美容ドリンクを提供してくださいました。

すっかり乗ってしまった私ですが、エステに通っていることの嬉しさから隙を作ってしまったのでしょう、家族にばれてしまったのです。

「そんな怪しいドリンク、やめなさい!」

そう母親に一喝されて、私はエステサロンを解約せざるを得ませんでした。

その後、最寄駅のショッピングモールにある美容室が「フランス・パリからの美容方法を導入したフェイシャルエステ」を行っているということで、母親の勧めのもと、行くことになりました。

その「フランス・パリ発のエステ」とは、パラフィンパックでした。

エステティシャンの先生の腕は確かで、本当に気持ち良いのですが、溶けたパラフィンろうを顔に塗るときが熱いのです。

熱くなければろうは溶けないので仕方ないのですが、それを顔に乗せるときだけが、私が唯一忍耐を必要とするときだったのです。

「これでニキビが治って、きれいなお肌を手に入れられるなら……!」

すべては、それだけのためでしかありませんでした。

しかし、待っていたのはニキビ治療どころか、悲惨な光景でした。

何度かエステに通っているうちに、私の顔全体、いえ、顎の下までもがニキビのかたまりでいっぱいになってしまったのです……。

細かいニキビたちが、やがて炎症を起こしては、いたみとかゆみを同時に引き起こします。

そして、化膿して、赤く腫れ上がります。

もう、どんなにメイクで隠そうとしても無理です。

私は絶望でいっぱいになりました。

アルバイトにも行きたくないのに、その時は出身母校での教育実習がありました。

行かざるを得ません。

私にとって、これ以上つらいものはないというほどに、生き地獄を体感したのです。

「どうして、私ははこんなにニキビができてしまうのだろう」

「どうして、ほかの人はニキビすらできずにきれいな肌でいられるのだろう」

どうして……、考えたところで永遠にその苦しみは消えてくれません。

もう、笑ってカバーするしかないのです。

たとえ、その笑顔が醜いものであっても、です。

顔で笑って、心で泣いて……まさにそんな日々が続きました。

やがて、赤ニキビたちとの戦いは終息を迎えました。

そのかわり、私の顔中には壮絶な戦いの痕が一面に残りました。

それが、クレーターです。

左右のこめかみから頬、口元にかけて、私の顔はまるでお月様になってしまったのです。

真の敵との戦い、性懲りもなく新たなエステへ

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