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わたしが貧乳をコンプレックスに感じるようになったのは、中学3年生のころでした。
それまでは、胸の成長や体毛が生えてくるという変化が嫌で、ブラを着けない生活をしていたほど。貧乳を気にしたことなんてまったくありませんでした。
ある夏の日、プールの授業で水着に着替えたとき、周りの友達にふと目が行きました。そのとき、自分の胸だけが、ほとんど真っ平なことに衝撃を受けました。
その瞬間から、みんなが私の身体を見て笑っているように感じて、恥ずかしくて恥ずかしくて、その場から逃げ出したくなりました。
それ以来、体育の授業がプールのときは、発熱や生理など何かと理由をつけては見学するようになりました。
また、田舎に帰省した際、仲のいい小学生のいとこと一緒にお風呂に入る機会があったのですが、「なんで〇〇ちゃんのおっぱいはこんなに小さいの?」と言われ、何も言い返せずとても恥ずかしい思いをしたこともあります。
相手は子供ですし、純粋に疑問に思っただけだと分かってはいたものの、そこに追い討ちをかけるかのように、祖母からは「あんたは本当に貧相な身体だねえ」と言われました。
さらに、仲のよかった母からでさえ「こないだテレビで見た拒食症のポスターみたい」という心無い一言を言われ、冗談だったとしてもさすがにショックでした。
それ以来、裸で隠れる場所もない温泉の大浴場は私にとって地獄になりました。たとえ仲のいい友人と旅行にいったときでも、何かと理由を作っては、ひとりでホテルの部屋のお風呂に入り、大浴場には絶対に行かないようになりました。
高校に進学したものの……
その後も、平らな胸が成長することはなく、思春期真っただ中のわたしは、母のブラを内緒で借りて、中にティッシュを詰めたり、厚手のパッドを大量に入れたりして、おっぱいが大きかったらどんなにいいだろうと悲しい想像をしたこともありました。
こんな経験から、高校はプールがないことを条件に進学先の高校を決めたほどでした。
おかげで、高校生活の3年間は、貧乳をさらけ出す機会はなかったのですが、密かにバストアップサプリやバストアップ体操、マッサージなどを試していました。まったく効果はなかったのですが……。
高校二年生のとき、初めて彼氏ができました。
彼は胸の大きさにさほど興味がない様子でしたが、何気ない会話で好きな芸能人が巨乳のグラビアアイドルだったと知ったときは、あーやっぱりおっぱいか、とマイナスにとらえていました。
制服で過ごす日常生活でも、さまざまな工夫をしていました。
周りの友達はスタイルのいい子が多かったので、いつも貧乳が目立たないように分厚いパッドの入った下着をつけたり、冬場は寒いふりをして絶対にコートを脱がなかったりなど、自分なりにかなり努力していたつもりです。
おっぱいがないのに、太っているのが嫌で、高校3年間は積極的にダイエットをしました。
わたしは遺伝的に、上半身には肉が付きづらく、下半身ががっちりした体型です。
家族からは「20歳になったら嫌でも痩せるんだからたくさん食べなさい」「別に太ってないんだから、ダイエットする必要なんてないよ」と言われていましたが、他人からみた自分がどうであれ、わたし自身が気になってしょうがありませんでした。
脚の肉がブルンブルンして、大根足だと思っていたんです。
わたしが高校生の頃、絶大な人気があったのは歌手の倖田來未さんでした。
大きなおっぱいを強調したセクシーな衣装で、エロかっこいい抜群スタイルの倖田來未さんはわたしの憧れでした。
テレビで「18時以降食べないダイエット」を継続することで、あのスタイルを維持しているという話を聞いてから、わたしもその体型を目指して18時以降食べないダイエットを始めました。
すると努力の甲斐あって、体重を5キロほど落とすことに成功しました!
しかし、悲しいことに落ちたのは、おっぱいにあったはずの大事なわずかな脂肪でした...。
ブラのサイズはA65にダウン。
もともと貧相な身体と言われていたのに、ダイエットをしたことで、見るも無残な状態になってしまったのです。
卒業後にわかったことでしたが、高校の同級生だった男友達と飲みに行った際、「貧乳だよねってみんな言ってたよ」
と暴露をされたときはただただ笑うしかなかったです。
貧乳のせいで不幸続き! 私のおっぱいトラブル[体験談][体験談](2)へ続きます。