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  • 【銃魔のレザネーション】第六章『従容たる王佐の賢人』

    2016-03-17 17:00
    ニコニコゲームマガジンで配信中の
    「銃魔のレザネーション」のシナリオを担当した
    カルロ・ゼン自らがノベライズ!
    ゲームでは描ききれなかった戦争と政争の裏側が明らかに。
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     第六章 『従容たる王佐の賢人』
     
     南で勝ったヤーナ率いるコモンウェルス主軍は、その後、直ちに西方へ転戦。
     勝利の余勢に駆られた無謀な攻勢を装い、シュヴァーベン革命軍を会戦へ誘引。戦略次元での大規模機動戦により見事に包囲殲滅戦の好例を戦史に刻んだ。
     号して、第二次ロスバッハ会戦。
     嘗ての敗者であるコモンウェルスは、嘗ての勝者であるシュヴァーベン革命軍を屈服させしめ、講和を勝ち取るに至っていた。
     今や、ロスバッハと聞けばコモンウェルスの勇者たちは誇らしげに胸を張ることだろう。それは、誇りと名誉にまみれた武勇伝の一幕だ。
     ロスバッハとは、汚辱にまみれた敗北の地ではなくなった。いや、無論のこと、過去は偽れない。敗北の苦い記憶が途絶えることもなし。
     コモンウェルスの中において、それは格段の響きを持ち続ける。コモンウェルスが地上にある限りにおいて、忌々し気に語り継がれることだろう。
     しかして、地に落ちた名声は因縁の戦場において羽ばたいた。
     敗北からの、復活。
     強勢を誇ったコモンウェルスは、滅びざることを文字通り鉄血でもって世界に誇示してみせた。
     勝利の美酒は美味しいだろう。屈辱を晴らした勝利の杯ともなれば天上のそれ。なればこそ、ヤーナ・ソブェスキの武威はコモンウェルス史において燦然と輝く。
     勝利者、軍神、コモンウェルスの守護者。
     だが、勝利の当事者であるヤーナ・ソブェスキはシュヴァーベン革命軍を屈服させしめた瞬間に、やる気下げに頷いただけであった。
     従軍していた諸将を代表し、宰相として戦勝祝いを述べたモーリスに対する返事は酷くそっけない。
     真意は、と言えば単純だろう。
    「さて、政治の季節ね。暫時、片手間で物事を進めていくわよ」
    「……いまだ、諸問題は残っておりますがそのような余裕が?」
    「残っているといえば残っているけれども。……勝利の焦らない活用こそが、肝要じゃなくて?」
    「違いありません」
     戦勝にあって、喜びに浸らないことは限りなく難しい。なにしろ、勝利とは魔物じみた魅力に富んでいるのだから。
     その点、一仕事終えたとばかりに肩の力を抜いて見せるヤーナ・ソブェスキ摂政は意欲と能力が決定的に反比例している好例だった。
     内面を忖度するのであれば、とモーリスは苦笑する。
     『これで、さぼれる』
     辺りだろうか?
     事実、というべきだろう。
     モーリス・オトラント辺境伯語って曰く、『南方会戦』以降のコモンウェルス政治はヤーナ色である。砕けた場では、怠け者の、怠け者による、怠け者のための政治、とまで語ってしまう程だった。
     ある時、それを咎めるように窘めてきたバルターやコストカあたりへモーリスは苦笑して次の様に言い返したものである。
    「つまるところ、ヤーナ摂政殿下は『二度と問題に直面しないこと』を至上命題に設定されておいでだ。いうなれば、問題の発生阻止を目的としての諸改革」
     それは、どこまでも消極的な動機による改革だ。極端に言えば、アカデミーの学生に類型を見出しうるだろう。
    「対処を要する問題を未然に防ぐ。こうすれば、有能な怠け者であらせられるヤーナ摂政殿下は麗しい隠遁生活を満喫できるとお考えなのでしょう」
     怠け者が追試や補講で夏休みを潰されないようにするべく、ほどほどにやる気を出して赤点を回避するのと本質的にはかなり近い。銃兵改革にせよ、学校制度と市民権拡大にせよ、緩やかな王家とセイムの近代化にせよ同じだ。
    「ヤーナ摂政殿下を恐れながら消防士に例えますと、大変な怠け者です。だからこそ、火事を防ぐことには人一倍熱心であらせられる。……まさに、怠け者らしい独特の感性をお持ちではありませんか」
     とはいえ、ここまで語ったところでモーリスは相手の反応も予想できている。大体は否定できないなとばかりに苦笑しつつ、一応は不敬ではありませんか、と苦言を呈してくるものだ。
     『摂政殿下はそういったことに目くじらを立てる狭量な方ではないでしょう』 
     『それは確かに』
     というようなやり取りを経て、モーリスは指摘するのだ。『可燃性』の体制を『難燃性』の体制に再構築するヤーナ体制は、存外に機能するだろう、と。
     往々にして、改革の失敗は『改革主義者』が急進になりすぎるからだ。
     モーリスの見るところ、『自分が正しい』と信じる御仁らの改革運動ほど危ういものはない。極端なことを言えば、辺境伯仲間のロヨナ女史のような理想主義者が政権を握っていれば、即日離反することを決意していただろう。
     或は、アカデミー神秘学教理部のエドウィージュ・コンスタン教授のようなバリバリの研究バカの下でも同じことだ。
     やる気のある改革主義者というのは、摩擦を生み出す。最高速度で走る船が水面をかき分けて大波を招くのと同じ理屈だろう。そうなれば、小波が大荒れの元になる。
     ……けれども、やる気のないヤーナ摂政殿下であれば。
     そもそも、トラブルを引き起こすまいという視点で改革に手を付けているのだ。傍から見れば、戦争によるゴタゴタに紛れて『改革の種が蒔かれている』という事実にすら気づき得ないという狡さだ。
    「それだけであれば……『酷く退屈』なのですけれどもね」
     退屈であれば、火遊びの一つも考えたことだろう。
     モーリスは自身の気質をよく理解している。遊びの為に我慢することは苦にならないにしても、我慢の為の我慢に耐えられる性質ではない。
     馬鹿どもが活気づく平和で退屈な日常の復活ともなれば、早速戯れ始めるものだ思い込んでいたほどである。けれども、そうはならなかった。それどころか、モーリス・オトラントにとって、戦後とは思いもよらぬ驚きの連続であった。
     最大の誤算であったのは、ヤーナ摂政の下で進められると踏んでいた戦後の再編を全て『押し付けられた』ということだろう。
     その瞬間には、愕然としたものだ。
     ヤーナ・ソブェスキ摂政殿下におかれては、権を潔く放棄され遊ばした……などと世間が賞賛する傍ら、『後事を託された』と祭り上げられる身としてみれば最悪だった。
     面白味のない厄介事を全てこちらに押し付け、スタコラサッサと楽隠居。
     元より、ある程度は承知してはいた。ヤーナという個人の気質は、おおよそ政治向きでないのだ。モーリスの見るところ、ヤーナ・ソブェスキの気質は有能な怠け者。
     だからこそ、ある程度段取りを整えたところで勇退を謀るだろうと踏んでいたのだが……見切りの良さは想像以上だった。
    「やれやれ、逃げそびれてしまいましたからねぇ……」
     愕然としたモーリスが気付けば、国政改革の大半は『モーリス・オトラント宰相』名義で推進するためになっていた。指示を出したのはヤーナ摂政であるにしても、実働はモーリス‐ブルーノというコモンウェルスの正式な官僚組織を通じてのそれなのだ。
     故に、ある程度のところでヤーナ摂政殿下はお逃げ遊ばしても差し支えないわけである。
    「あの瞬間は、本当にしてやられたものです」
     投げ出すか、と一瞬は考えるも……その後のゴタゴタを思えばとても割に合わない。
     往々にして誤解されがちなのだが、モーリス自身は、遊ぶのが好きなのだ。壊すことが好きなわけでもない。
     となると……精々、所与の前提環境が中で懸命に働くまでだった。
     彼は、世間をあっと言わせる勤勉さですべてに取り組み、短期間のうちに諸問題を解決。大宰相とほめたたえられる瞬間に職を辞すべく手配りを行う。
     ありていに言えば、本当に慎まやかな意趣返しを試みたのである。
     私心のない善良な一臣下として、名誉ある地位を敬愛するヤーナ元摂政殿下にご用意したい、と引退直前に零して見せたのだ。
     元より、ヤーナ・ソブェスキの巨大な名声は莫大な求心力を持っている。
     『身を慎んで隠遁されているとしても、名誉ある地位だけならば』と囁き、引退する前のささやかな恩返しを考えておりますとモーリスがヤーナに察知されえないように工夫すれば工作はおのずと動き出す。
     なればこそ、モーリス・オトラント辺境伯は宰相位から退く際にヤーナの元を訪れて白々しく嘆いて見せるのだ。
     隠居先の閑静な別荘にいるヤーナを訪ね、書斎に通されてみれば元摂政殿下におかれては優雅な自由を満喫しておいでなのだろう。高々と積み上げられた書物に混じり、何か考え事を続けていたらしいヤーナ殿下は上機嫌に紅茶とスコーンを供してくれるほど。
     拘っているのか、紅茶の茶葉と香りはモーリスをして味わい深さがわかる代物だ。隠居後、かき集めた茶葉をブランディングしたのよ、と告げられれば多趣味ですなと笑うほかない。
     そして、モーリスは何食わぬ顔で頷いていた。
    「私も、殿下と同じくこれで隠居暮らしです。……さて、中央官界で遊ぶこともないかと思えば、今少し残念ではありますね、趣味でも見つけてみようかと」
    「あら、そうなの?」
    「ええ、フランツ陛下をはじめとして人も育っています。私も、一貴族として王家を引き続き支えてまいろうかとは思うのですが」
     とはいえ、故郷に戻って少しばかり羽根を伸ばしてみたい気持ちもあります。今から、楽しみでなりませんね、などと白々しく呟いて見せるほどだ。
     本心としてみれば、ゆっくりと過ごすことはあまり楽しみでもなし。とはいえ、ヤーナ殿下が口惜しがるであろう『余暇』を満喫するためにならば、派手に有閑生活を楽しんで見せるつもりだった。
     我ながら、というべきだろうか。モーリス・オトラント辺境伯にしては、というべきかもしれない。まったく、迂闊だった。
    「……しっぽ、掴んでいないとでも?」
    「はて?」
    「セイムの議長予定者、あなたにしておいてあげたわよ?」
     ぽかん、と思わず度肝を抜かれたまま、モーリスはしどろもどろになりそうな口を辛うじて動かし、体制の立て直しを図る。
    「……おかしいですね。確か、ヤーナ殿下が再び中央の政治へと誰かから聞いていたのですが」
    「ふふふ、変な勘違いをする人々もいらっしゃるのね」
     またしても、とモーリスは微苦笑する仮面の裏で臍を噛む。
     してやられた。
     この自分ともあろうものが、裏をかかれていたのだ、と。
    「……全くでありますな。しかし、一つだけお伺いしたいのですが」
    「何かしら」
    「どこで、お気づきに?」
    「さっぱり、なんのことかわからないわね」
    「………さようにございますれば、臣もまたセイムで王家との橋渡し役を『喜んで』務めさせていただきます」
    「ええ、励んで」
     騙し、騙され、そして、意趣返し。
     結局のところ、勝敗はほぼほぼ五分五分であった。
     もっとも、怠けようとするヤーナ・ソブェスキの純粋意思に対しては、熟達した策士であるモーリス・オトラントの努力も空しく決定打を与えるには至らなかった、と付記しよう。
     そんな具合のまま、奇妙な緊張関係をはらみつつもヤーナ‐モーリスというラインは同時代のコモンウェルス、ひいては大陸の政治情勢を主導していく。
     コモンウェルス政界の重鎮、風見鶏、陰謀家、はたまた輔弼の臣。毀誉褒貶が激しい人物ながら、しかし、モーリス・オトラントは同時代にあって稀代の政治家として評価されていた。そして、というべきだろうか。
     歴史家からは、黄金の共和国にまかれた種をセイムにおいて孵化させしめるに一役かった政治家の一人、と高く評価されている。
     
           ◇
     
     かくして、そこからはコモンウェルスにおいて長らく語られる神話となっていく。
     常に自身の好奇心と趣味だけを追い求めつつも、ヤーナ・ソブェスキはあちらこちらへと顔を出している。ヤーナ殿下、フランツ陛下は、しばしば王城を抜け出してはコモンウェルスを散策していたなどと……ほほえましく語れる神話にも、原型はあったのだろう。
     神話の原型、と語られるそれ。しかし、俯瞰(ふかん)した視座でみれば……それはまいた種を見守る目でもあったのだ。
     まかれた種は、かくして見守られつつ育っていた。
     驚くべきことに、同時代人のうち、モーリス・オトラントのみが気づいたヤーナ・ソブェスキの種は……彼女の死後、花開く。
     他の封建諸国では流血なしでは為せなかった国民国家への移行はコモンウェルスにおいてのみは、移行という言葉すらはばかられるうちに完了していた。
     だからこそ、歴史家はヤーナ・ソブェスキはなすベきを終えた政治家として、『権力に干渉しない』という先例を残したのだと絶賛されている。
     王族にして、勝利者にして、王姉である彼女すらも、権においては一の市民として規範を超えることはありえなかった、と。
     行動において清廉であり、国家の有事において果敢。
     そして極めて有能な救国の軍神ですら、正統な政治権力に対しては常に従順であったという前例は、コモンウェルスの歴史において絶大な統制力を発揮する。
     コモンウェルスにおいて、彼女の前例が以後の比較対象として、権力者らに一定の制約を及ぼしたのは間違いない。
     権力に拘泥せず、軍務に優秀であり、それでいて戦争直後に隠遁する清廉さ。)
     世界において、見ているものが違いすぎると、同時代人ですら語るほどに彼女は異質であった。
     だからこそ、一部の歴史書は彼女のことを『異邦人』と表現する程だ。
     ヤーナ・ソブェスキ。その名前は、軍神として、異邦人というあだ名とともに、コモンウェルス第一の英雄として語り継がれている。
     同時に、と小さく専門家が付け加えている部分も語り継ごう。
     モーリス・オトラント。功臣にして、策士、はたまた、共犯者。謀略を心より愛した希代の風見鶏は、しかし、結果的にヤーナという一大の為政者が蒔いた種を悉く萌芽させしめる最大の補佐役であった。
     奇妙な緊張関係を含みつつも、稀有な両者の関係を基軸とするヤーナ体制は、フランツ・ソブェスキの治世が花開く基盤を完璧に整えて見せる。
     コモンウェルス青史が語って曰く、それはまさしく『怠謀連理』の時代であった。
       
    <完>

     


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  • 【銃魔のレザネーション】第五章『来た、見た、勝った』

    2016-03-17 17:00
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     第五章 『来た、見た、勝った』
     
     結論から言うならば、やはりこの目で見たかった。
     それが、ヴァヴェル攻略成功とセイム反乱軍が蹴り飛ばされたという戦勝報告を自身の手のものから受け取った際のモーリス・オトラント辺境伯の本心だ。
     手配りによって戦場の詳報を掴んだにしても、適うことならば馬鹿面がペガサスの蹄に怯えて逃げる醜態は直に目撃してみたいものではないか、と。
    「とはいえ……ないものねだりもできませんからね。ヤーナ摂政殿下ばりの電撃戦で、お株を頂戴することで我慢しますか」
     故に、度肝を抜くべく公式な知らせの訪れを待つことなくモーリスは行動の準備を始める。どうせ、戦勝報告と同時にヴァヴェルへ『宰相』である自分は復帰せざるを得ないのだ。
     かくして、わずかな時間で支度を整えるや、モーリスは南方の所領よりヴァヴェルへはせ参じるべくペガサスを長躯させる。
     その道中にあっても、手配している間諜の類から飛び込んでくる報告に眼を通し続ける様は沁みついてしまった策謀家の習性だ。
     そして、知れば知るほどに感嘆せざるを得ないと痛感する。
    「……やれやれ、これだから戦争上手は恐ろしい」
     敵の性質を理解している指揮官に率いられる軍隊というのは、強い。
     ヤーナ・ソブェスキ摂政は、政治家としては三流かもしれないが、軍人としては悪辣さで相当にえげつない。モーリスのように心から陰謀を解する人間だから断言できる。
    「あの方が策謀家でないことを、心から嬉しく思いつつ、心から残念にも思ってしまえるとはこのことですね」
     ぼやきつつ、心底から感じ入るのはヤーナ摂政殿下の手腕。
     父王ジョナスも、まぁ、武人として鳴らした口ではあったものの、鳶が鷹を産むとはこのことに違いない。
    「というよりも、匹夫の勇と万軍の将としての差でしょうねぇ……。察するに、勝利の使い方もよくご存知。こうなれば、当座は安泰、と」
     今のところは順調でなにより、とモーリスは微笑む。
     勝報というものは、問題を吹き飛ばす特効薬とはよく言ったものだろう。ただし、老練な策謀家としては少しばかり留保をつけたいところでもある。
     正しくは、『勝ち続けられる限りにおいて』、問題を吹き飛ばす特効薬である、と。
     なんとなれば、というべきだろう。
    「勝ったとはいえ、結局は内乱の鎮定。国力の消費は避けがたい。コモンウェルスの弱体化は誰の目にも明らかでしょうねぇ……」
     反乱を電撃的に鎮圧した、といえども楽観できる情勢ではなし。
     なにしろ、仮想的には事欠かない。東よりはオスト・スラヴィア、北からはマルグレーテ朝。西からは革命軍まで。
     技術に富み、豊穣な大地の切り分けを欲する豺狼というのは数多いるものだ。
    「降伏したばかりの東部、こちらの防衛も頭の痛い問題ですし」
     本来、東部防衛の任に当たるべきは在地領主共。だが、連中の有力な一派はセイムに味方していた。
     結果的に、というべきだろう。
    「ヤーナ摂政殿下が『反乱軍撃滅時』にすり潰しておいでだ。東部防衛線再建は、手間取ることになりそうです。……隣国が、我慢できるか見ものですね」
     くすくすと笑みがこぼれそうになるとはこのこと。
     定かならざる人の心が、浅ましくも欲に駆られる瞬間というのは、良くも悪くも陰謀を遊ばさせるに最適な土壌足りえる。
    「おっと、とはいえ、私は共犯者。主犯じゃないですからね」
     友達と遊ぶ、というならば協調することも悪くない。初体験とでもいうべき状況を面白がりつつ、モーリスは自戒を込めて呟いておく。
    「今回ばかりは、お手並みを拝見しましょう」
     ペガサスの上で、やれやれ、と少しばかり反省。とはいえ、瞳にちょっとした好奇心を宿らせつつ、小さくほほ笑むことまではやめがたい。
     ヴァヴェル攻略への成功、セイムの一味らの反乱軍撃滅はイコールで問題の解決を意味してはくれない。
     国内における勝利にしたところで、俯瞰してみれば新たな問題の萌芽でしかないのだ。
     反乱軍に多数の貴族/市民が加わっていた東部の統治は今なお脆弱。おまけに、防備を担当する貴族らは内戦で悉く倒れている。
     介入しようと考えている諸外国にしてみれば、最高の好機到来だ。二百年以上積み重なっている微妙な諸問題を一挙に解決せんと欲する連中は数多のごとくいることだろう。
     四面楚歌という情勢を勘案すれば、周囲からの侵攻も時間の問題だ。
     どこか一つでも辛うじて保たれている平和が崩れ次第、勝ち馬に乗り遅れるなとばかりに周辺諸国がなだれ込んでくるに違いない。
    「強大な隣国が躓いたとき、手を差し伸べる善人というのは稀とはいったもの」
     危機が、依然として残る時。
     それ即ち、定かならざる情勢という混沌のスープを意味するだろう。コース料理でいうならば、それこそが前菜に等しい。
    「……なにより、南方情勢が芳しくない。大本命たるオルハンの動向もいよいよキナ臭くなっています」
     オスト・スラヴィア、マルグレーテ朝辺りは火事場泥棒的に、情勢不穏を嗅ぎつけて兵を動かす算段でも見繕っているのだろうが……事前計画のあるオルハン神権帝国は既定の計画を実行に移すという手堅さを発揮。
     タイミングも微妙だった。
     元来、コモンウェルス南方を狙っていたオルハン神権帝国軍西方軍団に、レコンキスタに従事していたはずの兵力まで合流。
     挙句が、皇帝直属のイエニチェリ軍団よりの分遣隊が帝都より増派されるとの確報だ。
     これは、いよいよ絶えて久しくお目にかからなかった本格侵攻も時間の問題だろう。南での一大決戦をも予期せざるを得ない。
    「対するコモンウェルスの防備は、ロスバッハ以来疲弊の極み。対革命軍を念頭に西方の軍政国境地帯は強化されてはいますが……」
     肝心の東部は手つかずどころか、瓦解寸前。
    「北部情勢に関していうならば、自由都市同盟と連携できれば多少の時間稼ぎはできるでしょうけれども。……よそに援軍を出せるほどの余裕もなし」
     つまるところ、西と北は時間を稼ぐことができるだけ。援軍を出せるような余裕はない。他方で援軍を出さねば東は落ちる。
     その全てに算段を取り付けたとしても、南から迫ってくるオルハン神権帝国軍の奔流をとめられなければお終いだ。
    「東西南北すべてが侵攻してくるとなれば、袋のネズミも同然ですねぇ……。いやはや、こんなに危機的な状況とは恐れ入りますよ」
     ……座して待つならば、というべきだが。
     なればこそ、モーリス・オトラント辺境伯はヤーナ摂政殿下の打つ手が楽しみで仕方がないのだ。この状況下、彼女は、どのように対処するのだろうか?
     陰謀家好みのメイン料理を用意してくれることを、願うばかりだ。
     
           ◇
     
     ありていに言えば、ヴラヴェルを攻略したヤーナにはささやかな楽しみがあった。ずばり、傲岸な共犯者殿、モーリス・オトラント辺境伯の驚き顔だ。
     稚気と分かってはいる。
     とはいえ、これだけ電撃的な攻略ともなれば……前々から予想でもしていない限り、大慌てでペガサスを走らせシドロモドロになってくれることだろう。
     故に、勝報を送る瞬間に『どれぐらいで来るかな』と楽しみにしていた。
     が、結果から言おう。
    「モーリス!? ……随分と早いわね」
    「臣、陛下のご招集とあらば、地の果てよりでもはせ参じまする」
     招集の使者を出すや、否や、というタイミングでの参内だった。
     ヴァヴェルまでの距離を考えれば、使者を派遣するよりも前に『出立』していたとしか思えないタイミング。
     それでいて、旅装というには余りにも身だしなみが整っている。南方よりの急な長旅にもかかわらず、参内したモーリスの礼服には一分のズレすら見出せなかった。
    「……はせ参じたにしては、用意周到じゃないかしら? 見事、と言っておくわ」
    「ありがとうございます。皆様が軍旅にあらせられます以上、着飾って参上するのも不躾かとは悩みましたが……ヴァヴェルへの参内ということもありまして最低限の居様を正すこと、お許しいただければ」
    「……あなたは従軍していなかったのだから、当然ね」
     口ではまぁ、互角のように言い争えなくもないが……身だしなみという点では一枚してやられたのが否めない。
     遠路より駆け付けたはずのモーリスの方が衣装を整えているとは。こんなことならば、着飾らせてブルーノあたりを秘書役として侍らせておくのだった、と後悔しても遅い。
     ずらり、と並んだ自陣営の指揮官連と比較すれば一目瞭然だろう。
     流石に元王領副宰相、というべきか。爺は辛うじてモーリスに匹敵する礼装だが、当人の性格が硬いだけということも無視できない。
     後は、バルターにせよ、コストカにせよ、アウグストにせよ、自分自身にせよ大半が軍装のままだ。
    「ああ、申し遅れました。お味方のご戦勝、おめでとうございます。ヴァヴェル奪還と叛乱の鎮定、まことにめでたく」
    「ひとえに後背の安定があればよ。あなたに委ねればこそ、ね。南方防衛の任、ご苦労でした。フランツ陛下にも奏上しておきましょう」
    「これは、なんと光栄な! 臣、モーリスはフランツ陛下とヤーナ摂政殿下のご恩に報いるべく犬馬の労を厭いません」
     嫌味の塊じみた言い回り。
     近侍させているアウグスト、バルター、コストカあたりが、それとなく咎めるような視線をモーリスに向けてくれはするが、さっぱり効果もなし。
     大抵の宮中雀どもは三人に睨まれれば肝をつぶすのだけれども。
     やれやれ、とヤーナは思わずため息をこぼしていた。
     こりゃ、一本取られたと素直に兜を脱ぐしかない。
    「……大変に結構。是非とも、貴方の力を貸して」
    「はっ、なんなりと」
     頭を下げれば、深々と拝跪しての応答。
     全く、手に負えないとはこのことだ。
     だけれども、だからこそ、頼もしい。
     この手の厄介な奴だからこそ、今、危機的状況に陥っているコモンウェルスが必要とする『時間』を稼ぐには最適なのだ。
     故に、というべきか。
     ため息一つで気分を切り替え、ヤーナはそっけない口調でもって本題を告げる。
    「東部辺境防衛へ任じます。防衛のために必要な自由裁量権も認めましょう」
    「拝命いたします」
     ところで、とモーリスは平然とした口調で続けていく。
    「いただける兵力は?」
     なるほど、尤もな疑問だろう。
     コモンウェルスに余剰兵力はなし。南方情勢を勘案すれば、一兵でも多く南に回したいところなのだ。それでいて、脆弱な東部というわき腹を守るためにも相応の兵力が必要ともなれば究極のジレンマ。
     だからこそ、ヤーナはモーリス・オトラントという風見鶏を選んだのだ。……そして、それをこの場で言わせようとするモーリスの悪癖に対しては眉を顰めていた。
     一兵とも割けないという苦しい内情を察せないほどでもあるまいに、と。胸中の苛立ちをまとめるならば、『ここまで読めるならば、言わずとも、分かるでしょう』に……だろうか。
    「貴方を援軍として送るのよ? 十分でしょう?」
     弱音を吐露してモーリスを喜ばせる道理もなし、だ。故に理屈ならざる回答ながら、ヤーナは平然と返す。
    「……っ、現地での指揮権は、自由裁量権に含まれると考えて宜しいのですね?」
    「当たり前」
    「であれば、相当のことをやれば持ちこたえられるやもしれません」
     ですが、と言葉を継ぐモーリスの表情には面白がるような色が携えられている。
    「手元不如意ともあれば、無茶をやらせていただくことになるかと。事前にご承知いただきたいのですが」
     一切を任せられるか、と問われるわけか。
     よろしい、とヤーナが頷きかけた瞬間のことだった。
    「……失礼ですが、摂政閣下」
     意外な声が、ヤーナの決断を少しだけ先延ばしさせる。
    「あら、バルター?」
    「オトラント辺境伯軍単独では過酷な模様。増派をご検討ください。必要とあらば、このバルター、オトラント辺境伯の副将として志願いたしますが」
     横合いから、口を挟むバルターの声色は一応はモーリスを案じる、という態ではある。けれども、その真意は監視役志願だろう。
     ……とかく、評判の悪いモーリスの単独派遣だ。しかも大権を預けるともなれば、この手の配慮をと申し出てくれる気持ちはわかる。
     だが、とヤーナは言下に却下せざるをえない。
    「却下。貴方の志願はありがたいけれども、その力は南でこそ必要なのだけど」
     はっきり言えば、一兵たりとも余剰がないのだ。
     魔法技術が高度に発展したコモンウェルスといえど、兵隊が湧き出す魔法の壺までは開発しえていない。手持ちで算段をつけねばならないのだ。
    「ただでさえ、兵力に余裕がない。モーリスの派遣で東を持たせるとしても、南が破られれば目論見も何もかも駄目になる」
     だから、とヤーナはバルターへ告げるのだ。
    「有翼魔法重騎兵に一個辺境伯領分も抜けられては、その算段も狂ってしまうの」
     けれども、場の雰囲気は納得したとは言い難かった。
    「とはいえ、さすがに単独派遣もいかがなものでしょうか……防衛任務ということであれば、私の指揮下にいる銃兵部隊をご考慮頂ければ」
    「コストカ、悪いけどそれもだめ。銃兵に抜けられると困る。貴方の銃兵部隊は酷使する予定だから、余剰がないの」
    「多少であれば……」
     無理よ、とヤーナは猶も粘ろうとするコストカの反論を一蹴する。
    「貴方自身にはヴァヴェル防衛と、シャウエンブルク港防衛支援の任を担ってもらう。そのうえで、一軍を私の主軍がもらう予定なのよ?」 
    「ですが、オトラント辺境伯の単独覇権ともなれば……」
    「悪いけれど、モーリス支援に割ける余剰は本当にない」
     そして、暗に首輪を派遣する余裕もなし、だ。周囲の将帥らが、こぞって危惧するのもまさにその点にあるのだろう。
     ……有力な将帥共が揃って、モーリスの動向を案じるというのは、全く。
     これで、モーリス・オトラント辺境伯は王家に使える『宰相』の印綬を帯びているというのだから驚くほかない。この人望の無さ、信用の無さ、疑われ具合。……だが、だからこそ、今、混沌と化している東部には最適だという確信がヤーナにはある。
     ちらり、と視線を会議室に回せば全体としては不承不承という感じか。分かっておりまするとばかりに笑みを携えているのは、我が、共犯者殿だけ。
     ヤーナとしてみれば、頗る不愉快だが、仕方ない。
    「そういうわけよ、モーリス。全権を任せます」
    「そういうわけでありますか、摂政閣下」
     かしこまりました、とモーリスはいっそ典雅に一礼して見せる。
    「お早い勝報をお待ち申し上げております。ヴァヴェルで執り行うであろう戦勝凱旋式の手配は、どうぞ臣に万事お任せを」
     全く、とヤーナは小さく舌打ちする。
     『お早い勝報』などと、よくもまぁ平然と言えたものだ。また、素早く対応して見せますという言外の含みには苦笑させられてしまう。
    「あら、素敵。南方辺境伯は気配りが行き届いて結構ね。私、南方の気風が気に入ってしまうかもしれないわ」
    「ははは、光栄でございますね」
    「では、臣はさっそく任地へ」
    「良い働きを期待するわ」
    「これはなんとも光栄な。東部が陛下と摂政殿下を煩わせることはございませぬように、努めてまいります」
     ぺこり、と一礼。
     そうして背を見せることなく退出していくモーリスの姿を見送るや、ヤーナは軍に再びの行動を発令する。
     
           ◇
     
     結論から言うならば、モーリス・オトラント辺境伯は東部を良く保った。……詐術で、というべきだろうか。それは実際、詐欺的ですらあった。
     史書に曰く、『ペテン』。
     騙された側にしてみれば、贋金をつかまされた気持ちだったに違いない。唯一の慰めがあるとすれば、一滴の流血も(表向きは)、なかったと賞賛すべき点ぐらいだろうか?
     どちらにしても、結果をまとめるならば、『東部』はオルハンの侵攻を一歩たりとも許さなかった。
     東部の守りが盤石という事実こそが、ヤーナをして、コモンウェルスの戦略的環境からして不可能とされていた主力を率いての南下を許したのだ。
     モーリス・オトラント辺境伯の功績は大というべきだろう。
     もっとも、それは歴史上の話だ。
     
           ◇
     
     ……南方にて、オルハン神権帝国軍主軍と対峙している真っ只中にあるヤーナ・ソブェスキは己の不運を心底から嘆いていた。
    「……おかしい、これは、本当におかしい」
     不当だ、とばかりに口元からこぼれるのはぼやき声。
     気を引き締めれば秀麗な容貌をだらしなく崩し、心底から辟易した表情で凝視するのは闘志満ち足りたとばかりに布陣済みのオルハン神権帝国軍陣営だ。
    「多少の質的劣勢をものともしない圧倒的な数的有利、それでいて大軍を養うにたる断固とした補給線とか、不公平だわ」
     個々の将兵でみれば、オルハン神権帝国軍といえどもコモンウェルスの精鋭には一歩譲るやもしれない。けれど、戦争というのは数の勝負だ。
     モーリスから知らされたように、オルハン神権帝国軍は前々から万全の手配りを行っていたのだ、と嫌でもわかる光景が広がっている。
     大慌てで南下してきたヤーナ軍と対比すれば、整然とした連中の陣営が妬ましいほどだ。
    「極めつけは、戦意に満ち溢れ、皇帝の信認も盤石極まりない忠勇な指揮官ですって?」
    「ヤーナ摂政殿下ですら、敵将を買われますか?」
    「当たり前じゃない。アウグスト!」
     やるせなしとばかりに、ヤーナは吼える。
    「敵将は有能ときて、率いる兵力も膨大。そして補給線が万全とくれば、謀略といきたいところ。だけどねぇ……」
     通常の場合、遠征軍というのは強大な兵力を与えられているが、与えられているがゆえに暴力に弱い。なにしろ一介の将が、大兵を率いて遠隔地へ赴けば『間違いなく』君主は不安になる。
     コモンウェルスにおいてすら、それは同様だ。
     ヤーナがモーリスに指揮権を任せようとした際が極端な例だろう。一兵とて割けない局面であったことを思えば、微々たる兵力であったにしても、だ。爺やポルトツキー伯爵のように良識的な連中まで、こぞって首輪をつけない懸念を伝えてよこすほどである。
     従って、『カーラ・ムルスタフ』に叛意という噂で皇帝と将軍の離間を図るのが通常のオプションとなるだろう。
     ……『通常』ならば。
    「離間策を仕掛けようにも、皇帝の忠犬ときてはだめ」
     調べれば調べるほど、頭が痛かった。ムルスタフ姉妹と、皇帝の信頼関係はさながら自分と爺、アウグストのようなものだ。
     いうなれば、裏切りを考慮する必要がない関係。下手な分離策は逆手に取られるのがオチだろう。偽計に掛けられることが目に見えて仕方がない。
    「翻って、こちらは強行軍で駆けつけたばかり。後方にしたところで、信服定かならざる貴族が多数」
     陰謀に弱いのは、むしろコモンウェルスの側だった。
    「西、北、東、と三方面を抱えている以上、此処で敗れると本当に後がない。ほんと、嫌になるなぁ……」
     考えれば考えるほど、ヤーナには嫌気がさしてくる。
    「疲労して劣勢の軍勢で仕掛けるなど、普通ならば論外でしょうね。ああ、もう、本当にこれだから……」
    「では、撤退をご検討為されますか?」
     ボヤキを遮るのは恐る恐る、という口調ながらのアウグスト。だが、ヤーナはぽかんとして自分の信頼する騎士をまじまじと見つめ返していた。
    「は? なんで?」
    「摂政殿下ご自身が仰られたではありませんか!? この戦力差では……」
    「で、だから、それがどうしたの?」
    「は?」
     ぽかん、とした表情のアウグストはよい騎士なのだろう。
     ……この手の快活で明朗な武人には、絶対に想像もつかない一面が人間にはあるのだ、ということをヤーナは嫌というほどに知っているのだ。
    「このタイミングでオルハン神権帝国のトリル皇帝が親征で出てくれば、そりゃ、此処で退くわよ?」
     ムルスタフ姉妹について、調べれば調べるほど確信できる事実。アルマとカーラという名の二将は、トリルの臣下というよりも信奉者に近い。
     ……裏切るぐらいならば、その場で果てることをためらわないだろう。
     皇帝からの信任も納得の背景だ。
    「だけど、あいつじゃなきゃ殺れる。時間がない以上、敵はやれるときに潰すべし」
     だけど、とヤーナはほくそ笑む。
     ……ムルスタフ姉妹は、一武将なのだ。
     皇帝じゃない。
    「勝算がお有りあそばすのですか?」
    「勝算も何も、初めから勝っているのよ。戦争を一人でやるつもりならば、複数人でボコボコにしてやりましょう」
     支配者の寵愛というのは、往々にして恩恵だけを意味するのではない。
     ……たとえ、ムルスタフ姉妹が実力で今の地位まで上り詰めたにせよ、無能な人間ほど『皇帝の恣意的な重用』と思いたがるものだ。
     ヤーナには、嫌というほどに察しが付く。
     他者に劣ることを認められない人間、というのは存外に少なくないのだ。えてして無能な人間ほど、その傾向が強い、ともいうべきだろう。
     とどめは皇帝ことトリル・オルハンの気質だ。調べる限り、相当に英邁だが、聡明だからこそ『足の引っ張り合い』という下々の性癖を往々にして忘失している。
    「諸将を招集。陣の配置について、指示を出すわ」
    「直ちに」
     
           ◇
     
     揃った将帥を見渡し、ヤーナは小さくほくそ笑む。
     バルター、アウグスト、爺の三人が率いている有翼魔法重騎兵は、依然として突撃力を保った精鋭ぞろい。
     自分の手持ちと、志願してきた新人で構成した張りぼて有翼魔法重騎兵部隊も合わせれば五部隊はペガサスぞろいだ。その他にも、エドウィージュ教授やブルーノあたりが魔導師共を取りまとめ、かなり手厚い後衛支援集団を形成しえている。
     列席していないものの、銃兵とてコストカ指揮下の最精鋭ぞろい。イエニチェリ軍団とすら、競うことぐらいはできますぞ、と指揮官が太鼓判を押した銃兵は精鋭だ。
     ……まぁ、一日の長が相手にあることは否めないが。
     戦列を一撃で突き崩されるようなことはさすがにないだろう。銃兵としての粘り強さ、という点ではコストカ・ポルトツキー伯爵というコモンウェルスの第一人者が非常に徹底して叩き込んでいる。
     その粘り強さはヤーナとて認めざるを得ないものだ。
     なればこそ、それらを前提に、ヤーナは陣ぶれを発していた。
    「コストカから借りてきた銃兵を中央に配置。アウグスト、バルター、貴方たちは私と一緒に左翼。爺、貴方には右翼を任せます」
    「失礼ですが、摂政殿下。中央が手薄に過ぎませんか?」
    「アウグスト、って……あら、珍しいわね。バルターも爺も同意見?」
     アウグストが諸将を代表して口にしたであろう疑念を、ヤーナは笑い飛ばす。
     だが、堅物共なのだ。
     その中の一人が、忠言が義務だ、とばかりに口を開く。
    「……摂政殿下、ご存念を賜れますれば」
    「バルター、銃兵だって適切な支援がある限り『あなた』の突撃さえものともしないことは、ロスバッハで学んでしょう」
    「お言葉ですが、ロスバッハでは敵銃兵のみならず砲兵と地雷原が存在しました。我が方は、砲兵も地雷原も事欠いておりますが」
     ああ、とヤーナは笑う。
     敗北から学べる軍人というのは、全く、しっかりしたものだ。腕一本の授業料は安かった、などと嘯くバルターめ。
     ついでに、ロスバッハで父王も止めてくれればこれほど自分が苦労することもなかったのに、とまで考えてしまうのはヤーナの八つ当たりだろう。
     客観的に見れば、反省し、活用している。
     まさに、というべきあk。
    「柔軟な思考と手堅さが混在しているとは、称賛に値するわね」
    「摂政殿下、お褒め頂くのは光栄ですが……」
     素直なヤーナの賛辞だが、しかし、バルターの堅い顔は揺れもしない。どちらかといえば、苦言の度合いが強まる、というべきか。
    「安心して頂戴な。貴方の指摘は尤もだけれど、代替手段は用意済みよ。エドウィージュ教授とブルーノを支援に残します。あの教授ならば破壊力は、地雷に勝るとも劣らないのじゃなくて?」
    「……失礼ですが、摂政殿下。伺う限りにおいて、中央で受け止めつつ、両翼で包囲を試みるという鎚と鉄床戦術でしょうか」
    「正解、バルター」
    「なればこそ、意見具申いたします」
     よろしいでしょうか、とバルターが真剣そうに口をはさんでくるのは常識的な戦術論。
    「それは『敵が出戦』することを前提にした戦術です。敵が固守の構えである以上、こちらから仕掛けるしかないように思われますが……」
     それでは、ダメですと言いたのだろう。あわせて、アウグストが危惧を口に出してくるところまで予定調和。
    「左様ですな。確かに、有翼魔法重騎兵は強力でありますが……防備を固めた敵陣への突撃はロスバッハの二の舞足りえますが」
    「つまり、敵を崩せないと苦労するということね」
     御意、と頷く堅物二名ども。
     苦笑したヤーナはちらり、と沈黙を保っている賢明な老人の見解を尋ねていた。
    「バルターもアウグストも慎重なことは、結構だけれども。爺、貴方はどうかしら」
    「……姫の性格からして、楽をされるおつもりなのでは?」
    「それも、正解」
    「「は?」」
     やはりか、と一人頷くイグナティウスをよそに、ヤーナは預言じみた言葉を吐く。
    「オルハン神権帝国軍は、オルハン神権帝国軍人の過失で瓦解することでしょう。さ、はじめるわよ」
     
           ◇
     
     左翼に布陣したヤーナの率いる部隊は、アウグスト、バルターが率いる練達の騎士団を中核とする有翼魔法重騎兵のみである。
     コモンウェルスの誇りし衝撃力だが、しかし、かつての威力は保ちえていない。
     ……ロスバッハ以来の損耗は、コモンウェルスをしてベテランの有翼魔法重騎兵を払底させしめている。
     ありていに言って、質も数も足りないのだ。
     なればこそ、本来であれば数合わせにしか使えないであろう新人らをヤーナは盛大に酷使する方策を見出している。
     まぁ、ありていに言えば『囮』だ。ただし、囮といっても釣り野伏せりのようにえげつない運用ができる錬度がない以上は侮らせることを前提としたもの。
    「姫、敵の右翼が」
    「敵の騎兵が釣れた?」
     戦場を凝視しつつ、ヤーナは小さく頷いて問い返す。
     囮は、上手く機能している。彼らには、追われたらば一目散に自陣営に逃げ戻るように、と言明しておいた。
     渋っていた騎士共も、しかし、敵軍に猛追されればヤーナの指示を思い出すのだろう。あれよ、あれよ、とばかりにこちらに駆け戻ってくる。
    「御意。歩兵も続いておりますが」
    「……釣れた、か」
     アウグストの報告は、朗報だった。観察眼という点で、ヤーナは自身がアウグストに劣ることを平然と認める。
     故に、ヤーナは専門家に問うのだ。
    「大変結構。確認しておくけれども、敵の一部が動いたわけではなく、右翼全体が釣れたのね?」
    「ご安心ください。一部の突出を見捨てて孤立させるわけにもいかず、イエニチェリ軍団を含め敵右翼全てが続いている模様です」
     うむ、とヤーナは小さくこぶしを握り締める。
    「オルハンのイエニチェリ軍団は、情が深い。主将共の性格通り、ということか」
    「は?」
    「……オマー将軍、アルマ将軍の性格もどうやらモーリスの情報通りね」 
    「後学までに、ご解説ねがえませんか」
     いいわよ、とヤーナは軽く応じていた。
    「どちらも、面倒見が極めて良い。そういう将軍に信任されているイエニチェリ士官ともなれば、『優しい』のよ」
    「イエニチェリ軍団の指揮官は、伝統的に苛烈な軍人だと、伺っていましたが?」
    「敵に対しては、と但し書きをつけておきなさい」
    「つまり、姫殿下。彼らは、味方に対しては……」
     ええ、と羨ましさを押し殺してヤーナは頷いて見せる。
    「そういうことよ、アウグスト。よく言えば麗しい同胞愛、悪く言えばなぁなぁのかばい合いね」
     半ばあきれるように、半ば賛美するように、ヤーナは敵の性質を語っていた。
    「さて、ここからが正念場。……相手の指揮官がとりうる方策は二つ。だけど、まぁ……カーラ将軍の性格からすれば『一つ』しかないでしょうね」
     きっと、とヤーナは小さく無自覚に頬を緩ませながら嗤う。
     真面目な正確な将だとすれば、前に出ることを選ぶ。無責任であれば、逃げられるのだろうけれど……カーラ将軍というのは人が好過ぎるのだ。
    「さて、お手並み拝見と行きましょう」
    「伝令! 敵主軍が行動を開始しました!」
     偵察に出していた兵の叫び声。彼らもまた自分の任務をきっちりとやり遂げた、というべきだろう。
    「敵が動き出したの良いのですが……中央部が持ちこたえられますか? 必要であれば、支援を」
    「ええ、アウグスト、貴方の危惧通りでしょうね。敵は……中央をぶち抜いて、包囲を壊すつもり。……闘将、か。勇敢だけれども、少し、対応が古い」
     ヤーナはその瞬間、我が策なれりとほほ笑む。
    「姫?」
    「全部予想通りよ」
    「は?」
    「こちらの中央戦線をぶち抜こうとするのは悪い手じゃないの。実際、前衛の編成が『有翼魔法重騎兵』100%であれば足を止めて後衛を援護する必要が出てくる」
     だけど、とヤーナはほくそ笑む。
     シパーヒー軍団は、足が『速すぎる』。イエニチェリ軍団と足をそろえるには、少々、時間を浪費することになるだろう。
     だから、騎兵だけで突っ込んでくる。包囲網を寸断せんとするカーラ将軍であれば、騎兵で穴をあけ、歩兵で穴を拡張する定石通りの運用を行うと踏んでいた通りだ。
     突撃時の狂騒に呑まれなければ、銃兵だけでイエニチェリ軍団到着まで踏ん張るのはたやすい仕事だ。
    「……銃兵、連れてきてよかったでしょ? さぁ、行動開始。銃兵が踏ん張っている間に、敵右翼を屠って、敵の背後をとるわよ」
     参りました、とばかりに苦笑して頷きアウグストがペガサスの馬首を巡らせる。
    「しかし、わかりませんな。……音に聞こえたカーラ将軍であれば、一部の暴走は切り捨てるものかと思ったのですが」
    「貴方が分からないも無理はないかぁ……。そりゃ、恵まれているもんね。
    「は?」
     こればかりは、全軍の指揮官という立場に立たねば見えてこない視点だろう。アウグストにしても、バルターにしても、きっとわからないはずだ。なにしろ、彼らは『我が意のままに』動かせる騎士団を鍛え上げて率いている騎士団長なのだから。
     恵まれすぎているのだろう。
    「答えは単純。カーラ将軍が皇帝の忠臣だからよ」
    「ご説明いただいても?」
     納得がいかないのだろう。少しばかり訝し気なアウグストに、ヤーナは仕方ないなと肩をすくめて見せる。
    「彼女は、皇帝の忠臣。だけど、『同僚受け』は最悪」
     つまるところ、とヤーナは含みを持たせた言葉を解きほぐす。
    「ここで孤立した従属国を見捨てれば、軍全体が統制できなくなりかねない。だから、一か八か救援を動かした」
     オルハン神権帝国の中にあって軍人として階級をカーラ将軍が無条件に持ち出せるのはイエニチェリ軍団やシパーヒー軍団のような皇帝直属集団のみ。
     本質的に、従属国の将兵はトリル・オルハン皇帝に臣従しているにすぎないのだ。つまるところ、部下への配慮、いや属僚への配慮がカーラ将軍には求められるというべきか。
     まぁ、気配りができて悪いこともないのだが。
    「……だけど、だけど。オルハンの将兵にしてみれば、『なし崩し』の戦闘突入よ。心構えなんてできていないし、何より、『朝食』すらままならない連中だわ」
     武人であるカーラ将軍は、飲まず食わずでも平気だとしても。将兵の一兵卒に至るまで、その堅牢な精神でもって戦場に突入しえるかといえば甚だ疑問が残る。
     ヤーナに言わせれば、それが、強い個人であるカーラ将軍の決定的な弱点だ。
     なればこそ、ヤーナはカーラ将軍ではなく、カーラ将軍以外の敵兵を狙った。……苛立っている指揮官が、疎ましい騎兵を追い払えと命令するのは時間の問題だったのだ。
     ……まぁ、カーラ将軍あたりは『動くな』と厳命したかったのだろう。けれども、属僚に対する配慮があって徹底し切れなかったところが彼女の手落ちだろうか。 
     さて、とばかりにヤーナは頭を振って気分を切り替える。
     敵の右翼はつり出せた。敵の中央は、がむしゃらに突破を図ろうとし、残った左翼は出遅れている。堅陣を敷いていたオルハン神権帝国軍の隊列はズタズタだ。
     頃合い良し、と見計らうやヤーナは指令を発しかけていた。
    「バルターに伝令。先鋒は任せます。敵右翼、粉砕して頂戴と……」
    「伝令! バルター将軍より、先鋒志願です!」
    「あら、タイミング良いわね。許すわ! 敵右翼を粉砕して頂戴!」
    「承知!」
     なんとも、と爽快な気分だった。
     辺境伯という身分からして、矜持が高くて使いにくいのではないかと危惧していたバルター・アッシュ辺境伯。実のところ、バルターがこれほどに当意即妙な行動をとってくれるとは良そうだにしていなかった。
    「やれやれ、私もまだまだか。とはいえ、バルターには感謝ね」
    「御意。さすがはバルター卿です」
     馬首をそろえ、戦場を遠望すれば感嘆せざるを得ないだろう。
     我武者羅なようで精緻な連携を保ち突っ込んでいくアッシュ辺境伯騎士団の突進力。人馬一体という乗り手の錬度もさることながら、部隊として有機的に完成された突撃力は有翼魔法重騎兵の理想を体現するといっても過言ではない。
    「お見事、というべきね。敵右翼の崩壊は時間の問題、と」
    「先駆けの誉れ、武勲の機会、信託にこたえうる器量と統率。やれやれ、羨ましいばかりです。武人ならば、かくありたいものと思ってしまう」
     武人の血が騒ぐというところだろうか。しみじみと呟くアウグストの口調は、珍しくない面から出る私的な感情を吐露するものだった。
     珍しいこともあるものだ、とヤーナは苦笑する。
    「あら……アウグスト? 貴方も騎士として大したものだとは思うわよ。なんならば、バルターと競ってくる? 許すわよ」
    「命じられるのであれば、参ります。ですが、我らは摂政殿下の近衛です。さすがに、この場を軽々しく離れるわけにも」
    「あらそう。まぁ……あの具合だと、確かにバルターだけでも十分そうだし」
    「違いありません。おや、どうやら敵の指揮官格が倒れたようです」
     アウグストの言葉でちらり、と見れば敵右翼が確かに変調をきたしていた。綻びを取り繕おうとする努力すら蜂起したらしい。崩れかけていた敵右翼が急速に瓦解していく。
     頭をつぶすことにでも、成功したのだろう。これで、敵の右翼は無力化しえた。
    「さすがに、仕事が早い。うちの銃兵は、どう?」
    「まだ、接敵していないようです……訂正を、今、射撃戦が始まった模様です」
    「となると、頃合いか。前進。バルターには、敵をある程度追い散らして再集結できないようにさせ次第合流を、と」
    「はっ」
     戦場を俯瞰する視座があれば、オルハン神権帝国軍の状況に息をのむことだろう。
     右翼を欠いた隊列ですら衝撃的なのに、コモンウェルス軍の戦列を抜けていない中央は側面が無防備なまま露出している。
     本来、それを支援すべき右翼が消えたのだ。
     とても、間に合わないだろう。
    「さて、敵右翼が居なくなり、敵中央主軍の脇腹見えたり、と」
     なれども、なれども。
     部隊を動かし、オルハン神権帝国軍中央部の側面を蹂躙せんと突撃発起の隊列を整えていたヤーナは、敵が阻止線を構築しようと足掻いていることに瞠目させられていた。
     決して、分厚い防衛線とは言い難いだろう。僅かな歩兵が急造も露わな防衛線を固めているだけの代物。
     だが、戦意は旺盛そのものだった。
    「ん? ああ、後続のイエニチェリ軍団か」
     軍鍋旗を轟かせ、一歩たりとも退かぬと踏みとどまる連中の正体はそんなところだろう。むしろ、とヤーナ心底から称賛する。
     よくぞ、この局面でその決断を、と。
    「……正しいけれど、哀れね」
    「は?」
    「……全軍と連携していれば、あのイエニチェリ軍団は私たちを止めえたでしょうに。あるいは、右翼を援護していたイエニチェリ軍団だけでもカーラ将軍の手元にあればね」
     孤立した孤軍の奮闘など、戦場では大勢を左右しえない。
     にも拘わらず、踏みとどまって見せる。
    「とはいえ、これは戦争」
    「蹂躙を?」
    「答えは、ヴィ。"masse de rupture"。衝撃騎兵こそが、戦場の支配者だと、三度、示してやるのよ」
     だから、敬意と共にヤーナは尤も信頼する近衛へ告げる。
    「アウグスト、あれを、崩しさない」
     通さじ、と踏ん張るイエニチェリ軍団の軍鍋旗が轟く。負けずとばかりに声を張り上げ、ヤーナは告げる。
    「崩して、敵中央を分断します。アウグスト、私、勝利の宴はあの鍋で食べたいわ」
    「承りました。……騎士団諸君、ゆくぞ!」
     アウグストの号令と共に、鳴り響くはラッパのけたたましい音。大地を滑るがごとき奔流と化したソブェスキ封建騎士団の突撃は、まさに雷鳴だった。
     衝撃による瓦解。
     文字通り、イエニチェリ軍団はただの一撃によって薄く引き伸ばされていた防衛線をぶち抜かれ、吹き飛んでいく。アウグストらに続き、突入するヤーナは軍鍋旗が地面に崩れ落ちていくさまを鑑賞する余裕にすら恵まれる。
     そして、それがオルハン神権帝国軍中央部の終わりでもあった。ただでさえコモンウェルス側銃兵の頑強な防衛線を抜きあぐねていたところへ、側面から有翼魔法重騎兵が奔流となって殴りかかるのだ。
     大混乱に陥ったオルハン神権帝国軍は、組織的抵抗を瓦解させていく。
    「分断に成功しました! イエニチェリ軍団は排除!」 
    「カーラ将軍の身柄は!? 捕らえたの!?」
    「敵司令部は後退中です!」
     返り血を槍に滴らせつつ、凄まじい形相のアウグストが叫ぶ戦況報告は順調そのもの。
    「……カーラ将軍も存外に逃げ足の速いこと」
    「直ちに追撃部隊を編成します!」
     ラッパ手を呼び止め、今にも一軍を割かんとするアウグストの判断は常識的なものだ。だが、一瞬のうちにヤーナはそれを差し止める。
    「ダメ!」
     後始末、というものが頭をよぎっていた。
     ……カーラ将軍がどう思っているにせよ、だ。ムスルスタフ姉妹は『トリル皇帝』に近すぎる。うっかり、殺してしまうよりは……見逃す方が後腐れもない。
     そんなソロバンを戦場で弾いてしまう自分が、少しだけヤーナは嫌になる。
    「ひ、姫?」
    「敵司令部の追撃は、無視! 残敵を薙ぎ払い、殲滅を優先する!」
    「宜しいのですか!?」
     いいから、と嫌悪感を振り出すようにヤーナは声を張り上げる。
    「敵の野戦軍を削る!」 
     分かりました、とアウグストは馬首を巡らせテキパキとした手際でラッパ手に指示を出し始めていく。
     敵の中央は瓦解しつつあり、損害の少ない敵左翼は爺の率いる自軍右翼が牽制済み。
     後は、包囲したオルハン軍の将兵を締め上げるだけなのだ。
    「それで、この戦いにケリは付けられるわよ。さ、行動開始。片付けてしまいましょう」
     
     かくして、というべきか。
     誰よりも早く戦場の勝報をつかんだモーリス・オトラント辺境伯は、自身の公務記録へ、短い記録だけ記入する。
     『オルハン神権帝国軍に完勝。称して南方会戦。これにて講和条約、なれり』、と。
       
    さらに続けて第六章『従容たる王佐の賢人』はこちら!

     


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  • 【銃魔のレザネーション】第四章『大洪水』

    2016-03-17 17:00
    ニコニコゲームマガジンで配信中の
    「銃魔のレザネーション」のシナリオを担当した
    カルロ・ゼン自らがノベライズ!
    ゲームでは描ききれなかった戦争と政争の裏側が明らかに。
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     第四章 『大洪水』
     
    「……モーリス、そろそろ腹を割って話しましょう。あなた、こうなることは分かっていたわね?」
    「もちろんです、殿下」
     深々と頭を垂れ、肯定して見せるモーリスのふてぶてしさ。
     とはいえ、視覚は嘘つきだ。
     ヤーナにとって、信ずべきは己の耳が捕らえたモーリスの声色。
    「で、しょうね」
     顔は口ほどに雄弁だというけれども、練達した策謀家の弁舌を二重に聞くことほど愚かしいこともなし。
     だからこそ、御意を賜れますようにと一礼して見せるモーリスからあえて視線を外す。
     そのうえで、ヤーナは鼻で笑って見せる。
    「で、それだけ?」
    「は?」
     ぽかん、とした返事。
     分からないの、とばかりにしぶしぶ視線を下せば困惑顔。
     まぁ、モーリスのことだ。
     この困り顔もどこまでが本心で、どこからが演技なのかさっぱり読めない。食えない男だ、とヤーナは苦笑していた。
    「行為には、理由がなければならない。貴方が、暴発を傍観した理由は?」
     陰謀家という人種は、種を蒔くのが大好きだ。
     蒔く動機なぞ、千差万別すぎて問うだけ無駄……という風に諦観を抱きたくなるのも道理ではある。
     セイムの貴族たちの暴発。それは、根本的には『宰相位』についているモーリスを侮ったがゆえに暴発だろう。ありていに言えば、モーリスの失態とも取れる。
     陰謀家ともなれば、宥めすかして飼いならすことも出来ただろうに、とヤーナにしてみれば傍観の理由が知りたかった。
     ほんの好奇心交じりの質問。
     なればこそ、ヤーナは臍を噛む羽目になる。
    「もとより、殿下もご存知のことかと」
    「は?」
    「『セイムの糞共に、妥協すべからず』」
     滔々と、何かを思い出すように天を見上げたモーリスの紡ぐ言葉。思わず、自制し切れずに顎を出しかけていた。モーリスの言わんとするところをすでに悟るには十二分。
     喉まで出かかった返答を辛うじてヤーナは飲み込む。
     まさか、そんな、口実で返すか。
    「僭越ながら申し上げまするに、私が、宰相位を拝命し奉りました際のことでした。当時の『摂政殿下』よりかくのごとくに承りましたと記憶しております」
     宥めすかすことも出来たであろうものを放置し、暴発させしめるに至った弁明としては異例だろう。いや、弁明ですらなく開き直りに近い暴論だ。
    「つまるところ、臣といたしましてはご指示に従ったまでのことなのです」
    「ああ、確かに、確かに。私はそういったわね」
     だけれども。
     ヤーナ・ソブェスキは知っている。知識と手持ちの判断材料を組み合わせれば、嫌でも分かってしまう。
     鼻っ面の高すぎるセイムの議員らは融通を利かせずに杓子定規な対応をされれば即座に暴発するに違いない。
     があれば、暴発は避けられただろう。
    「字句通りに妥協を拒否したが故の帰結、ね。……『本当』にそれだけ?」
     陰謀家が本心を打ち明けないにせよ、だ。
     とはいえ、逆説的ながら、種を蒔くためには大地が必要であるということぐらいは明らかだろう。
     そして、種を蒔く人間が収穫を期待しないはずもなし。
     なれば、そこには『理由』が存在しなければならない。
    「王意に従うだけの従順な機械だと? 冗談でしょう」
    「行為と結果にご注目いただけませんか?」
     哀れ気に、いっそ、誤解されているとばかりに項垂れたモーリスの悲嘆。
     此処が幕営でなく、王都ヴァヴェルの劇場でもあれば聴衆が挙ってモーリスの悲劇的立場に共感して涙の一つもこぼすに違いない。
     だが、ヤーナ自身は違う。この場において、観客なのではない。強いていうならば、騙し化かし合う演目での主役の一人。演じる側なのだ。見せかけの懇願に騙されてはいけない。
     注意深く、深呼吸の後に。
    「あのねぇ、モーリス。私を馬鹿にするのはやめなさい」
     呼吸を整え、ゆっくり、はっきり、しっかりと。
    「言われないと、認めないというならば明確に指摘しておくわよ?」
     ジッとモーリスの眼を凝視しつつ、ヤーナは言葉を紡ぐ。
    「貴方、セイムの屑共が暴発することを積極的に『望んだ』わね?」 
     望んだ収穫。
     刈り取りたいもの。
     この二つをつなげれば、単純だ。
     モーリス・オトラントという貴族は、宰相は、セイムの同僚を狩らんと欲している。彼の望む収穫は、貴族層そのもの。
     なればこそ、一時の退潮をも良しとしてみせた。
    「なんとも、恐ろしい推測にございますね。善良なる一臣下の身としては、そのような陰謀を夢に見ることすら憚られることかと」
    「あっはっはっはっ! 『善良なる一臣下』!? 最高だわ、モーリス。貴方ってば、本当に、退屈させないのね!」
     困惑顔で頷くというモーリスの所作は、なんとも演技が徹底しているということだ。
     ……面の皮が分厚い、と臆面もなくいってやるべきところなのだろうが。
     しかし、それを望むのというのであれば。
     面の皮、ひっぺはがしてやらねばなるまい。
    「ああ、善き働きには感謝を。アウグストに耳打ちしてくれたのは、ありがとう。おかげで、助かったわ」
    「臣といたしましても、陛下と殿下のご無事の報を耳にした瞬間のことは今でも思い出せます。安堵のあまり、思わず天を見上げて感謝の言葉を紡いだほどでございました」
     ご無事で、本当になによりでございました、などと嘘ぶく白々しさ。顔面に浮かんでいるのは誰が見てもあからさま過ぎるほどはっきりとした安心。
     ……人様に見せるための表情を作ることが、全く、お上手なこと。
     無意味な戯言の裏にある本質。
     この厄介で糞面倒な陰謀家の意図するところ。それは、究極的には遊んでいるように見えて無駄のない手配りが全てだ。
     ヤーナの指示を表面上にせよ遵守してみせることで、『ご指示通りにやった結果が、この惨状ですがなにか問題が?』と言わんばかりのやり口。
      同時に恩を売ってよこしてもいる。
     宮中で蜂起した貴族らによって襲撃された際、アウグストの救援が間に合ったのはモーリスの手配りと助言があればこそ。
     意図がなければ、そんなことはしない。故に、ヤーナは戯言の一切合切を聞き流して、切り込んでいく。
    「つまり、『私とフランツ』の退場までは望んでいない」
     ジッと、凝視しての糾弾。
     ふわふわと遊んでいたような口調のモーリスは、ようやく沈黙と共に私を礼節の許す範疇で典雅なままにらみ返して見せる。
     けれども、その瞳に浮かんでいるのは好奇心。
     最悪だった。
     この陰謀家め、と吐き捨てられればどれ程気楽なことだろう。
    「……あなたの意図が分かってしまうことが、全く、本当に忌々しいわ」
     この糞野郎は、自己アピールの為だけに、貴族の暴発まで傍観し、挙句に救いの手を差し伸べてまで見せている。
     分かるのだ、アウグストの近衛が間に合ったのは陰謀をかぎつけたモーリスの忠告と助言があればこそ。通常であれば、とても間に合わなかったことだろう。
     ヤーナが感情のままに喚き散らせば、御身を救援するべく手配りをしたのに、と嘯くに違いない。事実を元にしたプロパガンダなど、最悪だ。
    「売り込み上手で、羨ましい限り! ああ、本当に、本当に、もう!」
     黙って、拝聴とばかりにこちらの内面を見透かそうとするモーリスの眼差し。
     いっそストーカーかと叫びたいが、本質的にはモルモットが予想外に興味深い行動を示したと喜ぶ科学者のそれに近い。
     ……観察者きどり、ということがヤーナの癪に触って仕方がなかった。
     それでいて、こいつは『役に立つ』と示してくれやがっているのだ。
     だからこそ、忌々しい確信を抱ける。
     モーリス自身に、私やフランツを積極的に害して行こうという意図はなし。それどころか、恩すら売ってよこす始末だ。自作自演気味とはいえ、旗幟を鮮明にしていることを『信賞必罰』の観点からヤーナは認めざるを得ない。
     ああ、畜生。
     役に立つ。
     でも、使いたくない。
     だけど、役に立つ! 立つのだ! くそ忌々しいことに!
     手勢にほしい、と思うほどに。
     部下にいれば便利だろう、と思ってしまうほどに!
     私も、爺も、アウグストも、他の誰もが気づかないことを、気づいて、フォローしてみせられて、ぐうの音も出ないのだ!
    「……ヤーナ殿下?」
    「摂政位から、退位した記憶はないわよ?」
     くそっ、くそっ、くそっ。
     他の選択肢がないのか、とヤーナは懸命に頭を動かす。
     モーリス・オトラントをパーツとしてみれば、間違いない。今、一番に自分の手勢にかけている部分を埋めてくれるだろう。
     だが、埋め込んだが最後。
     絶対に、蚕食される。
     使いこなすことは出来るかもしれないが、相応に綱渡り。
     ニマニマと嗤うモーリスの動静に胃を荒らし、望まぬ策謀に足をからめとられ、猜疑から解放されないろくでもない未来しかない。
     ……結論は一つ。
     使うだけでは、だめ。
     同盟しか……まった、とヤーナはそこで気が付く。
     モーリスの望みは、『貴族どもを刈り取りつつ遊ぶ』という一点だ。
     であるならば、それが妥協点足りえる。
     妥協。
     いや、共犯というべきか?
     ろくでもない悪だくみを共に行う。
     ならば、やはり共犯だろう。
    「ああ、そうか、そうね」
     一人、得心が行ったとばかりにヤーナは大きく頷く。
    「共犯者になりましょう」
    「はて?」
     僅かに身を乗り出し、瞳に好奇心の光を携えたモーリスの反応は上々。
    「単純よ。口実と大義と正統性をあげましょう。忠臣ごっこでもして頂戴な」
     ぽかん、としているモーリスの表情。
     してやったり、とばかりにヤーナは満面の笑みで応じてやる。
    「さ、有象無象の反逆者共を地獄の釜に突き落とし、そのついでに愛するコモンウェルスの防衛もやりましょう」
    「失礼ですが、摂政殿下」
    「あら、『元』は取ってくれるのね」
     軽い嫌味も、会話のエッセンス。
    「正統な王権により任じられた摂政殿下を解任あそばすことは、王その人以外にどうしてできましょうか?」
     二コリ、とほれぼれとするような笑顔で嘯くモーリスの面の皮は、何枚あることやら。そんなに分厚いならば、二~三枚分けてくれてもいいものだ。
    「失礼ですが、摂政殿下は『コモンウェルス』の防衛をご志向なさっておいでなのですか?」
    「当たり前じゃない。ただでさえ、ガタガタの国家が内乱状態」
     コモンウェルスの現状は、内憂外患の典型例。
     シュヴァーベン革命軍とのロスバッハ会戦において、主力の大半が壊滅。
     父王ジョナス陛下がヤーナとフランツに残しやがったのは、軍事力の中核が消失してしまった騎士団と、緊張関係だらけの諸外国。
     だが、何よりも深刻なのは人材へのインパクトだ。王政府と協調しようという比較的好意的な貴族らは、愚王ジョナス諸共にロスバッハで散華。
     軍の再建には、時間を要するだろう。だが、人材の再建には世代を要しかねない。
     このような状況下で、内乱だ。
    「番犬を失った羊の群れというのは、後始末まで決まっている。だいたは、おいしいシェパードパイにされる定めよ」
     番犬を飼っていない羊の群れの運命を楽観するのは、愚者にのみ許される特権だ。
     知性があれば、わざわざ具体例を求めて歴史書を紐解くまでもない。
     分割され、残り物も分割され、最後には併合されて消え去る定め。その渦中で、自分たちを含めた誰もかれもが一つの駒として良いように弄ばれることだろう。
    「なんとも、恐ろしい話であります。それで、狼とは? ずばり、主敵はどちらをご想定されておいででしょうか?」
    「あのねぇ。私たちコモンウェルスはぼっちなの。ああ、一応、爪はじき同盟ということで、自由都市同盟は助けてくれるかもしれないけれどね?」
     辛うじて、というべきか。
     南西の自由都市同盟とは、折り合いが付けうる。自由通商貿易を国是とする連中は、商業上の利害関係さえ衝突しなければ協調すら期待できるだろう。
     逆を言えば明るい材料はその程度だけ。
     分かりやすいまでに四面楚歌だ。
    「僭越ながら、殿下。『その状況下』で『私』と『共犯者』に?」
    「試すのは、そこまで。全部理解しての提案」
    「一臣下の忠誠心にも、限度がございますことを、一般論として申し上げますが」
     シドロモドロを装ったモーリスのふざけた戯言。
     ここまで来て、何を……と勘繰りかけた私はうっかりモーリスの声色に耳を傾けてしまっていた。
     ああ、と気づくのはそこだ。
     モーリス、こいつは、楽しんでいるのだろう。
     対話こそが、こいつの遊び。いうならば、お茶のお誘いと同じような感覚なのだろう。言葉とロゴスで戯れようという、ちょっとした趣向。
     最悪に性格がいい。
     付き合うつもりはないけれども、とヤーナは顔をほころばせると、一言、申し出ていた。
    「退屈だけは、させないわよ」
     
           ◇
     
     退屈させない、という一言。その言葉を耳にした瞬間、モーリス・オトラントは我が意を得たりとばかりに頷いていた。
     賭けてみるものだ、と喜ばなかったといえばウソになる。
     期待はしていたのだ。
     ヤーナ摂政殿下であれば、多少は楽しめるのではないか、と。
     だからこそ、純然たる親切心からアウグスト将軍が救援に赴けるように手配までしていたほどだ。
     幸いにして、というべきか。
     予想以上に、というべきか。
     自分の売り込みは、適切に評価されている。
     ヤーナ殿下の声色には、苦悩が混じって入るようであるにしても……手ごたえもまた抜群だった。我ながらはしたないことに、楽しさのあまりに愉快な笑い声まで零れそうになる。
    「……そこまで、ご理解いただけるのでしたらば。何一つとて、申し上げるべきことはございません。御意を賜れますれば」
     なればこそ、自分でも予期せぬことながら。
     モーリスは心からワクワクしつつ、共犯者として輔弼を申し出る。
     もちろん、最初から輔弼の地位を得ることは考えていた。とはいえ労働意欲は、我が事ながら予想以上に高い。
     面会するなり、怒気交じりの糾弾であればセイムに鞍替えすることも視野に入れていたのだけれど。今では、すっかりそんな気もなくなっている。
     では、と定型文ながらもヤーナ殿下が口にするのは承認の言葉。
    「オトラント辺境伯、引き続き宰相として陛下の輔弼に当たることを期待しています。変わらぬ忠誠を期待しますよ」
     なればこそ、モーリスの返しも決まっている。
    「もとより、変わらぬ忠誠を。陛下の敵が、一掃されますよう、臣は犬馬の労をもおしみません」
     跪き、頭を垂れての宣誓。
     そんなモーリスの肩に剣をぽん、とヤーナ殿下が合わせて置くというオマージュの流れもよどみはなし。
     なればこそ、モーリスとしては恙なく終了しただろうと油断していた。
    「ああ、忘れていたわ。一つ、くぎを刺しておくわ」
    「なんなりと」
    「次に、フランツを囮としたら『族滅』では済まさないわよ」
     その言葉が吐かれた瞬間、肩に乗せられていた刀身が重くなっていく。
    「覚えておきなさいね?」
    「……お言葉、確かに」
     そのまま、深々と拝跪する瞬間、モーリスは確かに記憶していた。……フランツ陛下で遊ぶのは、姫獅子を怒らせることを覚悟するときにしておこう、と。
     だが、モーリスにとって予想外というべきはその程度だ。
     全く、というべきだろう。
     分かってもらえることの何と愉快なことだろうか。
     我が事ながら、ずいぶんと歪んでいるものだ。
     そんなことを考えつつも、しかし、こみ上げてくるのは心地よい感情だ。愉快そのものにして『快』とでもいうべきそれ。
     遊び相手を見つけたり。
     まさに、この一言に尽きる。
    「とはいえ、勘気を被れば厄介事も間違いなし、と」
     故に、小さく、小さく、モーリスは呟く。
    「やれやれ宮仕えのつらいところですねぇ……」
     
           ◇
     
     ほぼ時を同じくして、モーリス・オトラント辺境伯と同じ結論に至った貴族が居た。
     その名を、エレオノーラ・ミルドナル。
     オスト・スラヴィア大公国の大貴族にして、南東山岳国境部総督の顕職を預かる彼女もまた宮仕えの難しさを嘆かざるを得ない一人だった。
     なにしろ、というべきか。
     貴族という身分に社交はつきものだ。
     避けられるならば避けたいと願ったところで、自分の居ないところで排除されるような陰謀が練られるかもしれないともなれば。
     嫌になる、とため息をエレオノーラはこぼし続けている。とはいえ我儘で身を亡ぼすのはご免こうむりたい。破滅願望持ちでもない限り、厭々でも笑顔ペルソナを顔に張り付けて列席しなければならないものだ。
     だから、義務を果たすためにエレオノーラは小さく微苦笑を浮かべる練習すら行っているのだ。……無駄に思えることも、こういう時に役に立つのだから侮れないというべきか。
    「ミルドナル女公兼南東山岳国境部総督! ご入室為されます!」
     侍従が高らかに列席者の名前を読み上げての会場入り。
     そればかりは、慣れた手順ですらある。社交の場に入って以来、幾度なく経験しているだけに、戸惑いはない。とはいえ、いつもの社交場とは少し勝手が違う。
     理由は、列席者が悉く『完全軍装』であるというということだろう。
     エレオノーラ自身、女公に許される華美なドレスではなく南東山岳国境部総督として軍権を帯びた軍人としての装いだ。
     全く、と笑顔の裏でため息をこぼしたくなるのはこのことだった。いや、エレオノーラが軍装そのものを嫌っているというわけではない。
     本人としては、身軽に動ける軍装は好ましいと感じているほどだ。
     問題は、たった一つ。
     『軍装』での参加が求められる社交場など、ろくでもない場ばかりという経験知だ。
     今回にしたって……とエレオノーラが小さくため息を胸中でこぼしかけるも、そんな暇すら今日は与えられないらしい。
    「皆さま、主賓のご入室です!」
     先ぶれとばかりに飛び込んできた侍従の叫び声。
     お早いお越しなことだ、と皮肉を思う間もないほどだ。
     とはいえ、南東山岳国境部総督という地位は大変に高位の顕官。つまるところ、地位につきものの面倒ごとも引き受けなければならない。
     儀礼的にサーベルの捧げ刀を執り行うべく立ち上がり、列席者の最前列へ。
    「ルムニク公兼西方軍事国境地域総督閣下並びにマルグレーテよりお越しの来賓のご入室です。皆さま、ご起立くださいませ!」
     参席した軍人どもを引率し、ニマニマ顔の同僚と、儀礼的に含み笑いを浮かべる異邦人へ儀仗兵モドキとは。
    「ルムニク公兼西方軍事国境地域総督閣下、ご入室!」
     ニマニマ顔の性悪な陰謀屋に礼を尽くす羽目になる。いや、ここが『西方軍事国境地帯』なのだから仕方がないといえば、仕方もないのだろう。
     今日は、今日ばかりは。
    「ラウル・ヤリング外務卿、リンドス・ヴァルサ陛下の名代であらせられます!」
     ……オスト・スラヴィア大公国並びにマルグレーテ朝の停戦協定祝賀会なのだから。
    「抜っ、刀!」
     典礼通りの所作で持ち、鞘より引き抜きたるは白刃。
     これで、眼前にいるイグナートのくそ野郎を衝動的に切り殺したくなるとしても、エレオノーラは心の中で我慢することが出来る。
    「ヤリング閣下に対し、敬礼!」
     さらり、とルムニク公爵家に対する敬意を省いて見せる程度の嫌味は許されるだろう。己の号令に合わせて、動くのは国境地帯に詰める諸軍人どもの刃。
    「では、僭越ながら。国境地帯からの双方の撤兵を誓って」
     全く、大したものだ。
     意趣返しじみた圧迫的な歓迎のセレモニーに対するラウル外務大臣の笑顔は微塵たりとも揺れてすらいない。
     少し拍子抜けだとばかりに困惑しているイグナートの間抜けめ。大方、これでビビらせるつもりだったのだろうけれど。
     ……茶番劇に付き合わされる側にしてみれば、どちらにしても楽しくないことだけが同じか。
    「両国の善隣友好を願って」
     ボーイより受け取ったシャンパンのグラスを高らかに掲げて見せる外交官の所作は、忌々しいまでに手慣れたものだ。
    「「「乾杯!!!」」」
     平和の到来。
     戦闘の終結。
     はたまた、次の戦争のための準備期間。
     とまれ、これで停戦は発行される。珍しいことに、というべきだろう。なにしろオスト・スラヴィア大公国並びにマルグレーテ朝の利益が共通している点は、全く持って限りなく少ない。
     大抵ならば両国が意見に一致をみる点を探す方が、難しいだろう。
     国境を接する隣国同士であり、元より微妙な緊張関係たるべき火種は幾らでもくすぶっている。水利権、継承権、果ては隊商に対する課税から匪賊問題に至るまで。
     係争要素には、全く事欠かないのだ。
     とはいえ、この状態においてすらマルグレーテ朝とオスト・スラヴィア貴族は『本格的な武力衝突』を『大規模な交戦状態』にまで悪化させずに済む程度には『交渉のチャンネル』を保つことができていた。
     それが、『貴族の戦争』というものだ。
     恩讐は、名誉と矜持という貴族のルールによって取り繕いうる。昨日までの敵であろうとも、必要とあれば今日からは友なのだ。
     だからこそ、親しく社交も行える。
     ……行わざるを得ない、ともいうべきだろうが。
     エレオノーラにしてみれば、イグナートとラウルで親しく談笑するということ自体が苦痛でしかないとしても、仕事は仕事なのだ。
    「次の狩猟先は? ひょっとするとひょっとして……南ですかな?」
    「で、貴国は西ですかな?」
     イグナートが対コモンウェルス戦を示唆すれば、ラウルが応じて見せるやり取り。
    「……共同介入、という線は?」
     ロスバッハでの大敗以来、動乱続きでついに内乱へ突入したとはいえ大国だ。
     単独で当たれば世界に武威を轟かせているペガサスと真正面からぶつかる悪夢を引き受けかねない。深刻な内部闘争にあるコモンウェルスを叩くといっても、慎重さが求められるのは変わらないのだ。
     イグナートがラウルへ打診するように、共同介入できるのであれば、それは一つの選択肢たり得る。
    「ルムニク公のお言葉ながら、難しいでしょうな」
    「おや、隣人と共に巻き狩りを楽しみたいのですがねぇ」
     とはいえ、ラウルにせよイグナートにせよ、『本気』でこのプランを検討するつもりがないのは自明だった。
     共同介入に至るための『信』を抱きようがないのだ。しかして、一方で『抜け駆け』されないかとの不安がないでもない。
     故に、表面的には協力を申しかけるという典型的な駆け引き。
     ……はっきりといえば、エレオノーラにとってみればどちらもありがたくない。
     マルグレーテ朝に抜け駆けされないように出兵の準備を、などと言われてしまえば『兵が集まってしまう』のだ。
     それも、コモンウェルスとの国境に面している『自分の管轄地』にである。
    「隣人とのお付き合いがないのであれば、巻き狩りの予定を再考すべきやもしれませんね。変な気兼ねをお互いに抱くよりは楽しく酒杯を重ねましょう」
     故に、狩りに対して消極的であることをエレオノーラは隠そうともしない。外交儀礼が許す範疇で、『マルグレーテ朝』へ『オスト・スラヴィア国内にも反対派がいるのだぞ』とばかりに気乗りしない素振りすら示す。
    「巻き狩りというのは、良い勢子と良い馬でもって良い獲物を友と狩ってこそ。気心の知れない知人を無理に誘うのは私の流儀ではないものでして」
    「……失礼ながら、私個人としては同感ですな」
    「ああ、ヤリング外務卿にご理解いただけるとは」
     酒杯を傾けつつ、頷く外交官に言わんとするところは伝わっているのだろう。なればこそ、エレオノーラはふと眉をしかめて見せる。
     個人としての賛意と明言されれば、引っかからざるを得ないものだ。
    「ところで、外務卿は名代だとばかり……」
     けれども、詳細を問いただす間がエレオノーラには与えられない。
    「おや、お話が弾んでおいでのようですね。私も、混ぜていただければ幸いなのですが」
    「これは、ルムニク公。いや、美酒に呑まれてしまってつい口が滑っていました」
     横合いから、軽薄な口調で口をはさんでくるイグナート公爵の邪魔さよ!
    「お楽しみいただけているようであれば、本当になによりなのです。宴の主催者として、これに勝る喜びもございません」
     ヘラヘラと嗤いつつ、エレオノーラとラウルの間に割って入る手際の良さ。
     良くも悪くも、社交の場というだけあって『主催者』らしく如才なく『主賓』に張り付こうというわけか。
     ……忌々しいことに、ちらり、ちらり、とこちらを列席者が注視している手前、エレオノーラとしても余りことを荒立てることができない。
     だが、イグナートの思惑通りに事を進めてやる道理もなし、だ。
    「さて、ヤリング外務卿。巻き狩りの件なのですが……」
     よろしいですか、とばかりに言葉を続けかけるイグナートに対し、エレオノーラは最大限の微苦笑と共に割って入っていた。
    「失礼ですが、ルムニク公。急いては礼儀もかけましょう。酒杯を交わし、お互いを知る。今日は、それで良いでしょうに」
    「やれやれ、ミルドナル女公。善隣友好の機会なればこそ、私は巻き狩りのお誘いを用意したのですがねぇ……」
     対コモンウェルス路線で意見を違える二人の立場は単純だ。出兵反対派のエレオノーラとしては、マルグレーテ朝も渋っているという一事で『出兵論』を抑え込みたい。賛成派のイグナートとしては、『隣国に出遅れるな』という扇動をこの場で言いたいのだろう。
     そして、ある意味でそれは『ラウル・ヤリング外務大臣』というマルグレーテ朝側の穏健派も同じだ。
    「お若い率直さ、すばらしい限りですな。しかし、私のような年寄りにはちと辛いものがありましてね。友人になるには、段取りというものがあるのでは?」
     なればこそ、ラウル・ヤリングという外交官はエレオノーラの言をそれとなく支えてはくれた。
    「ヤリング外務卿にはかないませんな。ミルドナル女公にも降参です。老練なお二人をして自分のような、朴訥な若造をあまり甚振らないでいただきたい」
    「女性にかけるべきでない言葉だとご存知で?」
    「おや、これは存じ上げませんでした。敬愛する老練なミルドナル女公閣下に置かれましては、年長者のご慈悲で持ちまして、反省する若造の戯言とお聞き流しくださいませ」
     とはいえ、イグナートの嫌味たらしい声に揺るぎはない。
     『確信した』とばかりに微笑む所作をみれば、『マルグレーテ朝側随員』あたりから、出兵計画でも聞き出したのだろう。
     そして、あの様子では『オスト・スラヴィアが派兵するであろう』という観測をマルグレーテ朝側随員共に流し込んでいるらしい。
     両陣営の強硬派は、相手に出遅れるなとばかりに出兵論を煽ることだろう。宴のさなかにあってさえ、そんな事実を悟れる程度にはイグナートの嫌味たらしい笑顔が露骨だったのだ。
     ……止められないな、とエレオノーラとしても理解せざるを得ないところがある。
     しかし、それを善しともできないのだ。
     
     だから、宴を終えて自領に戻る馬車の中でエレオノーラは苦悶していた。
    「……介入路線は固い、か」
     結論から言えば、既定路線も同然だろう。
     ラウル・ヤリングというマルグレーテ朝では融和派の外交官が、『出兵しない』というニュアンスで語ろうとはしなかったことが決定的だった。
     恐らく、あの国は動く。
     そうなると、間違いなく此方の貴族共も分け前を欲することだろう。
     ……目先の利害には極めて敏感な連中だ。
     放置しておくならば、明日にでも『援軍』と称してエレオノーラの所領に押しかけてくるに違いない。
    「はぁ、嫌になる」
     これからの未来を想像して、エレオノーラは珍しく弱音をこぼしたくもなっていた。いや、というべきだろう。
     本当に、良い迷惑なのだ。なにしろ、知っているのだ。
     エレオノーラ・ミルドナルは、職責上も、領地経営の必要性からも、コモンウェルス通とならざるを得ない。コモンウェルスとの国境部に面したミルドナル女公兼南東山岳国境部総督とは、そういう立場なのだ。
     仮想敵の情勢というのは嫌というほどに理解している。
    「確かに、確かに、好機には見えるだろうけどねぇ……」
     セイムと王政府の対立によるコモンウェルス内乱にしたところで、真っ先に探知したと自負している。
     その瞬間は、確かに『介入』の二文字が頭によぎらなかったといえばウソになるだろう。
     介入するならば、確かに好機だった。
     だが、それは、混乱が長引くと仮定して、だ。
     少し慎重に観察し、エレオノーラは即座に介入の二文字を脳内から蹴とばしたほどだ。
    「王政府対セイムという構図は、一見すれば内乱だけれども……争いというのは対等な関係でのみ成立するものだというのに」
     仮に、オスト・スラヴィアで『ツァーリ』対『貴族連合』という構造になれば『ツァーリ』は無条件で屈服することだろう。
     ツァーリと多数派貴族の衝突なぞ、エレオノーラには想像もつかない。
     『ツァーリ』は強力かもしれないが、貴族の連合に対峙できるほどではない。いうなれば、同席中の首席。
     大草原においては、交換可能な神輿も同然だ。
     なればこそ、多数派貴族を敵に回した瞬間、ツァーリ陣営は『戦うまでもなく』瓦解するであろう。
     だが果たして、セイムの権勢というのは『自分たち』と同様に王家に対して圧倒的に強大なのだろうか? 
     ……なればこそ、エレオノーラは危惧せざるを得ない。
     風見鶏がセイムについていないのだ。
     もちろん、内憂として中で暴れるという可能性も『ゼロ』ではないだろう。しかし、いつ裏切るかわからない風見鶏を平然と宰相に任じ続けるだろうか?
     オスト・スラヴィアの理屈でいえば、『王政府』は『宰相』の更迭もできないほどに弱体だと語られるのだろう。
    「理屈としては、もっともらしい……。だけど、だからこそ、胡散臭い。ああ、もう、なんだって、私がこんなに悩まなきゃいけないんだ!」
     下手をすればヤブヘビ足りかねないというのに、余りにも軽率に事態が進められているような気配がしてならないのだ。
    「すりつぶされる訳には……。くそっ、ツァーリと腹黒女め! ……首が寒くて仕方ない!」
     出兵をサボタージュしようとすれば? 喜々として、ツァーリやその周囲のくそ怖い暗黒微笑の近衛が出張ってくることだろう。
    「……あいつらの直属まで私のところに駐屯? くそっ、最悪だ、最悪過ぎる!」
     そんな連中が、自分の領地に居座っているともなれば。
     心底、恐ろしくて仕方がない。
     ツァーリは確かに軽い神輿だ。だが、腐ってもツァーリはツァーリ。
     一貴族とツァーリの衝突であれば、ツァーリというのは恐ろしい競合相手足りえる。
     まして、ツァーリがニンジンをぶら下げることができている間であれば、自分対貴族共という悪夢のような構造すらありうるだろう。
     対コモンウェルス派兵という『パイの切り分けパーティ』へ、道案内することを拒もうものならば、ミルドナル家は一瞬で貪られる。
     だが、仮に出兵して勝てるのか?
    「くそっ、これだから宮仕えは嫌なんだ……」
     
           ◇
     
     オトラント辺境伯領の居城は代々の当主が南方防衛を担った職責上、事実上の南方防衛線司令部を兼ねている。
     当代の当主であるモーリスもまた、先祖代々のお勤めは青い血の義務として引き受けてきた。もっとも、好き好んでというには大分語弊があるが。
     生きていくために必要な仕事、と本人としては割り切ってきたほどだ。
     だが、それでも。時には諦めが悪く……義務がなければなぁと思ってしまうこともあるのである。
    「今頃、ヤーナ殿下の率いる一軍はヴァヴェルに到達するか、到達しないかの頃合いでしょうねぇ」
     モーリスの念頭に浮かぶのは、意気揚々と進発していったヤーナ率いる叛乱鎮圧軍。幼王ことフランツ陛下が名目上の指揮官として同伴しているとはいえ、事実上のヤーナ軍だ。
     それが、セイムを蹴飛ばすともなれば。
    「ああ、従軍できた面々が羨ましい。私だって、馬鹿面を揃えたセイムの間抜けどもが、愕然とした表情で蹴飛ばされるのを見たいのですけども」
     だというのにですよ、とモーリスは零す。自身は、自室でため息とともに見慣れた南方kっ今日の地図をのぞき込む羽目になっている。
    「やれやれ、皆さんが出兵するのに私だけがお留守番ですか」
     いや、とモーリスは苦笑しなおす。
    「本来ならば私だからこそ、というべきかもしれませんがね」
     元より、南方の防衛を担うのが代々のオトラント辺境伯。南方防衛をゆだねられる、となれば職責上も自分が最適というのはわかる。
     オルハン、コモンウェルス両国が国境線付近で細かな衝突の積み上げを重ねること、実に二百余年。南方情勢は複雑怪奇すぎて、現地の人間でもなければ『穏便』な処理は難しい。
    「とはいえ、小領主同士の水利権争いに端を発する抗争や、解雇された傭兵が略奪に走ったことに由来するこまごまとした法的なやり取りですからねぇ……」
     憚りなく言うのであれば、よくもまぁ厭きないことだ。
    「悪戯の種にも仕掛けにもなりことはなりますが、心躍るとはいいがたい」
     諜報要員らがオルハン国境側で確認してくる敵情を書き込みつつも、本心としてはどうしてもヴァヴェルの情勢が気にかかってしまうのである。
    「いや、まぁ、仕方がないことだとはわかるのですけれども」
     愚痴だとはわかっていても、しかし、口から零れてしまうのは止めようがない。なにしろ、というべきだろうか。
    「オルハン側の対応は、いたって官僚的。こちらへの嫌がらせ、主権主張、あとはちょっとした越境作戦。此方が弱みを見せない限り、秘蔵している本格侵攻プランも秘蔵したままでしょうに」
     職責上、モーリスも知っている。
     オルハン神権帝国も、この二百年の微妙なにらみ合いに蹴りをつけんと作戦計画は何十年も前から試案として策定していることを。
     それが発動されない理由は、実に単純な二つ。
     一つは、オルハンに徹底している官僚的習性の存在だ。
     かの国の官僚機構は、計画を立案するところまでは勤勉にやり遂げていた。モーリスの情報員が秘密計画を奪取できる程度には『計画実現のための』下準備も進んでいる。
     だが、彼らは侵攻後のことを想像できる程度には合理的なのだ。故に、『割に合わない』として侵攻作戦の発動は常に順延され続けている。
     中止、ともならないあたりが実に官僚的だ。
     もう一つは、単純にオトラント辺境伯が代表する南部の防備である。単独でオルハン神権帝国を相手取れるかといえば不可能ではある。
     しかし、容易く南方失陥に結びつくほどの脆弱さでもない。実際、相応に値がれるだけの防衛能力はあるのだ。確かにカールなる愚者が暴れた影響がゼロではないにせよ、被害は極限化するべく手配してあり対オルハン防備という点で、オトラント辺境伯家は健在そものである。
     ……本格侵攻でも受けない限りにおいて、南方の守りは堅固そのものだ。
    「鳥が先か、卵が先かは分かりませんがね。守りが固い。だから、オルハンはこちらを圧倒できる攻撃力を揃えようとし、こちらはこちらで守りを固めようと競い合う」
     学者であれば、『安全保障のジレンマ』とでも呼ぶべき現象も起きているということだ。とはいえ、南部が持ちこたえられると見込める以上は『時間的自由』は確保されるということになる。
     故に、ヤーナ陣営に軍事行動を起こすだけの余裕ができた。
     それは、理論上は間違いではない。防衛を自分に任せ、賊軍主力を叩くというのは戦理にはかなうだろう。軍略家ともなれば、百人中九十人は行動する。
     この自分、モーリス・オトラントを信用する限りにおいて成立するという条件さえ考えなければ、だが。
    「私の世評は……風見鶏なんですけどねぇ。その私に迷いもなく後背を預けて、ただ一路北伐とは」
     随分と、思い切りがよいものだ。
     結局のところ、ヤーナの基盤は革命軍と対峙する西方国境線が軸だ。そこの防備を軽々しく動かせない以上、手持ちの近衛と忠実な諸侯軍が動かせる全て。
     ヤーナ陣営のほぼ全主力を率いてのヴァヴェル攻略戦は、薄氷一枚敗れるだけで大惨事と化すことだろう。
     有体に言えば、オトラント辺境伯軍が旗を翻すだけで窮地に陥る。補給も、資金源も、基盤も、すべて、モーリスの手中にあるも同然なのだから。
    「背後からの一刺し? ……やめておきましょうか」
     一瞬だけの誘惑を、頭を振って追い出すのは当然だった。
    「それでは、まったく、つまらない」
     セイムも、諸外国も、抱いているに違いない。予期しているといってもいいだろう。自分が裏切るかもしれないと。
     ありていに言ってしまえば、凡人共の予想通りに振る舞うようでは『陰謀家』としては大失策だ。人々を唖然とさせたいのだから、裏切ると思われているタイミングで裏切るなど、三流以下の所業ではないか。
     種の割れている奇術を繰り返す場末の道化役ではないのだ。
     モーリスの矜持に賭けて、そんな惨めな真似は出来ようはずもない。……そして、そんな気質をヤーナ摂政殿下は先刻承知なのだろう。
     だから、自分に全てを任せ、安心して一路北伐へ向かわれるということだ。
    「やれやれ、部下遣いの荒い上役を持った気分とはこういうことなのでしょう」
     いっそのこと、と再び悪戯心が囁いてくる。
     ヤーナ摂政殿下を驚かせるためだけに寝返るか?
    「……うーむ、アリといえばありですかね?」
     アリといえば、アリのような気がしてきますね、と検討し始めていた時のことだった。
    「失礼いたします、若。ご報告が」
     自室の扉を襲う荒いノック。
     入室してくるのは、よほどのことでもない限り自分の思案を邪魔することのない老家令ともなれば、有事だと理解するのは大変にたやすい。
    「状況に動きが?」
    「オルハン国境線より、複数の傭兵隊と思しき歩兵の接近が確認されました」
     おや、とモーリスは戯れ交じりだった思考を実戦指揮官のそれに切り替える。
     真っ先に問うのは、敵情だった。
    「鍋は?」
    「イエニチェリ軍団の戦鍋は確認できずとのこと」
     ふむ、と一安心できる知らせではあった。本格侵攻ともなれば、皇帝直属の連中がいつでも顔を出す。
     ……従属国の私兵どもや、傭兵共ていどで落ちる南方ではない。イエニチェリのような桁違いの精鋭共が来ないともなれば、対応は容易だ。
    「騎兵はなしですね?」
    「はっ、確認されておりません」
    「となると、やはり牽制程度を目的としての強行偵察ですか」
     官僚組織が、定例の仕事とばかりに派遣してくる嫌がらせの部隊。オルハン神権帝国の連中は、まめなことだとばかりにモーリスは肩をすくめて見せる。
    「とはいえ、国境線付近に駐屯している以上は気も抜けない。ついでに、オルハンの西方軍団長は皇帝の忠犬、と。嫌になりますね」
     ハラスメントを目的として、傭兵でもけしかけてくる程度。
     とはいえ、敵は敵だ。
    「やれやれ、勤勉な敵を相手にするものではありませんね。騎士団の出撃準備を。……傭兵が陽動の可能性もあります。適当に追い払って、防衛線を固めるように」
    「はっ。……よろしいのですか? 少々、消極的に過ぎるかもしれませんが」
     まぁ、とモーリスは小さくつぶやく。
    「別に武勲が欲しいわけでもないですし。堅実にやれば、問題ないでしょう」
     
           ◇
     
     結論から言うならば。
     『武勲』というものの欲しさが、モーリスの想像以上だった、ということだろう。
     ヤーナ率いるヴァヴェル攻略軍は、反乱軍に比較してすら数で劣っていた。
     なればこそ、詐術なり策略なりを用意するものとばかりモーリスも踏んでいたほどだ。けれども、ある意味では『驚くべきこと』に。
     ヤーナ・ソブェスキは何の手配りも行わず、なしうる限り最大限の行軍速度でもってヴァヴェル直撃を目指し一路北進。
     結果的に言えば、それが策とも言いえない策だった。
     長距離行軍により疲弊しきった少数の残党軍であり、率いる将は『セイム』にとって最大の標的である『ヤーナ・ソブェスキ』ともなれば。
     ペガサスにニンジンをぶら下げたようなものだ。
     ……セイムにしてみれば、まさに、絶好の好機とみえたのだろう。籠城して手堅く守れば良いものを、ノコノコと彼らは出戦する。
     かくして、彼らは『城』という利を失う。
     挙句、お互いに抜け駆けを図った彼らは『戦力の逐次投入』という愚すら侵す羽目になっていた。
     銃兵を侮っての正面突撃は、魔導師の支援により遅滞。
     足を止め、衝撃力の衰えたセイム側ペガサスは、万全の体制で突入してきたソブェスキ封建騎士団により瓦解。
     前衛の壊滅に慌てて後衛を動かし、救援を図るセイム側はしかし、『突出していた前衛』との距離の差で間に合わない。
     後は、『文字通り』に引き潰されるまでだった。
     城内での籠城戦を試みる間もなく、セイムとアカデミーを中心とした反乱軍はひねりつぶされることとなる。
     少数と侮って、城外での迎撃を試みたセイムと付和雷同したアカデミーの混成軍があっけなく打ち破られる形だった。

       
    続けて第五章『来た、見た、勝った』はこちら!

     


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