1995年3月20日に決行された未曾有の化学テロ、地下鉄サリン事件に代表される一連のオウム真理教事件。これらを首謀したとして今年7月6日、オウム真理教の教祖である麻原彰晃元死刑囚及び直接的に事件に関与した幹部数名の死刑執行という一報が、日本はもとより世界を騒がせた。
奇しくもこの麻原彰晃元死刑囚はじめての月命日、初月忌となる8月6日、トークライブハウス大阪ロフトプラスワンWESTにて、かつてのオウム真理教幹部である上祐史浩氏(現「ひかりの輪」代表)が登壇するイベント『オウム真理教を信者グッズや映像と音楽で振り返る オウム真理教ナイトSP!』が開催された。
この日の上祐氏登壇には大きな注目とそれに対する覚悟と決意があった。
かつて師と仰いだ人物や仲間の死刑執行という点に言及しなければならないのはもちろんだが、前月に発売された週刊誌にて、オウム真理教中期の時代に発生していた女性信者殺害事件の現場に、上祐氏も立ち会っていたという報道がなされ上祐氏もこれを認めたため、どのような言及があるのか注目が集まっていたのだ。
この女性信者殺害事件は既に時効を迎えており、警察や公安も事件自体は把握していたようだが裁判の長期化や執行の遅延を防ぐ目的もあり、他の凶悪事件を優先する意味合いから公表を控えていたという。
明るみになったのは新実智光元死刑囚の証言。
新実元死刑囚の証言によると当時経理のトップにあった女性信者が横領を行い、それが発覚したため上九一色村施設の一室に呼び出され、麻原彰晃元死刑囚、新実智光元死刑囚、中川智正元死刑囚、故・村井秀夫氏、女性幹部に上祐氏の集まる部屋で容疑を認めず問答をかわしていたために殺害されたという。
殺害方法に関して新実証言では