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「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その12)/踏ん張る力 のつづきです。
これまで、12回にわたって、「やり抜く力」について紹介しました。
身の回りに無数の課題が山積みの現代、私たちは一人一人が答えがあるかわからない課題解決を「やり抜く」ことが求められています。
これまで偉業を成し遂げてきた人々は、みなこの「やり抜く力」に卓越しているようにみえますし、しかし、それと学歴とは直接関係ないようにも見えます。学校で「やり抜く力」を鍛えるのは難しかったのです。
このシリーズを書いているうちに少し知恵をつけました。学校で習う能力つまり国算理社などは「認知能力」と言い、一方、自信・やり抜く力・意欲・忍耐力・社会性といったそれ以外の能力は「非認知能力」というそうです。
(参考: 世界の幼児教育の今を知る)
簡単にいえば、学校は認知能力だけでなく非認知能力を明示的に教えなければならなくなってきたのではないでしょうか。
今までの学校はこれは苦手とする分野ではありましたが、もうそんなこと言ってられません。周りには解決しなければならない小さい問題が山積みで、でもそのサイズは小さくしかも個別の事情があるため、国にもエリートにも手が出せません。私たち一人一人が「やり抜く力」を身につけ、解決していかなければなりません。
しかし、かつては個人芸だった「やり抜く力」もその姿が明らかになってきています。「やり抜く力」は次の6つの力の組み合わせなのです。
「解けそうな問題を選ぶ力」「諦める力」「スモールステップ法」「毎日続ける力」「熱狂的な集中力」「踏ん張る力」です。
このうち、「毎日続ける力」は細かい点はともかく学校が取り組んでいる課題ですからこのまま工夫していけばいいでしょう。
「スモールステップ法」も、細かい点はともかく、学校の授業はスモールステップの積み重ねです。ただ子供ごとに進度が違うので、今のままでは大半の子には遅いか早すぎるかという問題がありますが、これは今IT技術が必死に取り組んでいる課題です。
「諦める力」と「熱狂的な集中力」は、現在むしろ学校が殺してしまっている能力です。
「諦める力」は幼い頃は「飽きる力」です。その力は、無理そうな課題があれば潔く諦める、あるいは一時棚上げにする力として大事なのですが、どうしても飽きっぽいことは悪徳とされてしまいます。
ですから、子供が新しいことに目を向けたら、「スモールステップ法」を駆使し、子供がやり切れる範囲の課題を設定して、なにか一区切りつけさせましょう。その時点でやめれば、「飽きてやめてしまった」ことにはなりません。本人は自分が飽きっぽいダメだ子だと思うことなく、次の新しいことに興味をふり向けることができるでしょう。逆にいきなり高価な楽器を買い与え、すぐにやめてしまって「この三日坊主が」と責めてはいけません。
「熱狂的な集中力」も子供がもともと持っているものです。遊びに熱中するその集中力をうまく意識させましょう。こどもはその集中力を、他のやりたいことに発現しようと工夫を始めることでしょう。それはやがて大きな目標ができたとき、その目標に立ち向かうテクニックとして使われていくはずです。
たとえ、今日目の前の勉強に集中できなくてもそれは集中力がないことにはなりません。やりたくないことに集中することは誰に取っても困難なことです。それをして、子供が「自分には集中力がない」と信じてしまうことは避けなければなりません。その子が好きなものに対して持つ集中力をたたえ、その子がどうやって他のものに転用していけるかともに工夫しましょう。
「解けそうな問題を選ぶ力」は本来、極めて難しい問題です。答えがあるかないかわからない問題にたいし、それに答えがあるかあるとしても自分に見つけられるかなんて、それがわかれば苦労しません。
うちの父親は昔博士過程で無謀な課題にいどみ、結局教授に止められたそうです。止められていなければ人生を棒に振り、私は生まれなかったことでしょう。
とはいえ、ここまでに私たちは随分テクニックを磨きました。「スモールステップ法」を使えば、とりあえず解ける小さな問題を設定して取り組むことができます。もしそこで止まってしまっても、小さいながらも結果が残ります。将来核廃絶が実現できるかは誰にもわかりませんが、それでもオバマ大統領は広島を訪問しましたし、それが小さくても歴史に残るステップであることに疑いはありません。
学校でも、答えがあるかないかわからない課題に子供を取り組ませることは難しいかもしれませんが、図工などの授業で、それぞれが自分の技量やモチベーションに応じた最終作品を思い描き、それを実現する過程で、にたような効果を得られることでしょう。身にあまる構想をした子は、途中で予定を変更し、小さくまとめる必要が出ることでしょう。その過程が、問題の大きさを見積もる力を養うのです。
そして、これらの技術を学校や家庭で磨きながら、子供たちはときとして、その技術で足元を固めた上で、「踏ん張る力」で課題解決の最後の壁を超えていきます。「踏ん張る力」を鍛えるには、踏ん張ってやりきって何かをやりきったときの達成感を感じるのが一番です。そのときの快感や手応えの記憶が、次の踏ん張る力になるのです。
そして私たち社会は、この「踏ん張る力」とよく言われる「努力」を区別しなければなりません。自分に合わない学習法で頑張るのは「努力」かもしれませんが、あまり益はありません。それよりアプリ使って、ゲームのように楽に学習できるのならそれでいいのです。そんな楽ばっかりして勉強していざというときに大丈夫かと不安になるかもしれませんが、それは「踏ん張る力」です。「踏ん張る力」を鍛えたかったら、自分ができるかできないかの課題を設定して、諦めずにやりきることです。自分に合わない勉強法で苦労して学習しても鍛えられません。つまらない努力論や根性論は、もはや全力でスルーする時代になったのです。
学校や家庭が、ここで述べたような、今は「非認知能力」と呼ばれる力を習得すべき技能として認知し、教育に取り組み始めれば、子供たちは飛躍的にその能力を伸ばすことでしょう。
もちろん子供によって、これらの能力に得意不得意は出ることでしょう。「根気」と言われる力があれば、これらに有利に働くでしょうが、根気が相対的に弱い人も、別の得意な能力にたよって「やり抜け」ばいいのです。チームを組んで補完しあってもいいことでしょう。
そうやって、偉人たちほどの「やり抜く力」はなくても、ほどほどの「やり抜く力」を義務教育で身につけるようになったとき、身の回りにある無数の細々した社会問題は、ばったばったと解決されていくことでしょう。
それが私たちの社会の未来の姿なのです。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: 祝! 完結! 久々に長編でしたね〜。水曜日の[S]が二つ溜まりましたw
フツクロウ: ホウいう問題け?
ミライ: 私たちも大変だったじゃないですか〜。しばらくは楽しましょう。
フツクロウ: ホッホ。それもええが、今日のまとめをせんとな。
ミライ: そうですね。でも、ようやく腑に落ちたというかフラグを回収したというか。
フツクロウ: ホ? フラグ?
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