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47歳でけん玉ができた理由
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47歳でけん玉ができた理由

2016-07-15 23:45

     最近けん玉ができるようになりました。

     一切ググってないので用語がわかりませんが、乗せるところが大中小とあって、大中大中と繰り返すのとか、中小中小と繰り返すのとか、調子がいいと大中小大中小と繰り返すのもそこそこできるようになりました。

     けん玉は子供の頃やってみて全然できなくて、後大学の頃、後輩に上手な人がいて、少しやってみましたが、たいしてできませんでした。

     運動能力とかって20代以降は落ちてくもんですから、もうできるようにはならないだろうなと思ってました。

     が、最近家に持ち込まれたので、少し練習してみたら、少しずつ上手くなるので楽しくてしかたありません。

     若い時にできなかったのに、47でできるようになるもんなんですね。へー。

     どうしてかなんて、本当はよくわかりませんが、でも、練習は、たとえ上手にできないときでもとても楽しいものでした。

     なぜなら、「言葉で使わずに考える」ということを、最近はすっかり覚えたからです。運動は逆上がりから始まって、言葉で考えたからと言ってできるものではありません。

     「考えるな、感じろ」というヤツです。「言葉で使わずに考える」話はここでさんざんやってますから、日頃意識するようにしています。

     けん玉を手に取った時も、なるべく言葉を使わずに練習しました。もちろん失敗した時に、あ、今皿が傾いてたなとかわかれば、次はそうならないようにと意識はしますが、それは一部の意識で、全体的には言葉を使わずに集中します。

     一度象徴的なことがあって、できてたことができなくなってたときがありました。ふと気づくとけん玉をガチガチに硬く握っていて、少し力を抜くとまたできるようになりました。そんなことが体のあちこちで起こっていて邪魔になるわけですから、意識は全体に配らなければなりません。それは並列処理で行わなければならず、逐次的に処理される言葉で考えてできることではありません。

     幼少のときの逆上がりときから、運動とは体全体のバランスやタイミングで決まるものであって、言葉で考えてできるわけではないことは知っています。しかし、言葉で考えないなら、どうすれば練習になるのかがずっとわかってはいなかったわけです。だって先生は言葉で教えようとするじゃないですか。「もっと蹴り上げて」とか。うまくいかなければ、言葉で「次はどうしよう」と考えて繰り返し練習する、私にはそんなやり方しかなかったのです。

     でも今回のけん玉は違います。頭の中に言葉が流れないわけではありませんが、それよりも意識を全体に配ることに集中し、それで、どんどん「体で覚える」ことを効率よくできるようになっていたのです。

     たとえば玉を乗せる瞬間は皿は水平でないといけませんから、最初のうちは玉が下にあるときからきちんと水平にして、それを保つように練習していましたが、気づいたらいつの間にかしなくなっていました。むしろ傾けているところから始めて、ひょいっと玉を持ち上げています。なれるにしたがって、どんどん楽な方法を言葉を使わずに考え出しているのでしょう。

     運動が得意な人は、幼い頃からこういうことが当たり前にできているのでしょう。私は人生半分すぎてから気づいたようですが。

     しかし、以前は「右脳バランス」 シリーズでもさんざんやったように、「言葉で使わずに考える」のは、アイデアを出す上で本質的な思考法です。20代以降、自分の人生をサバイバルするための一つの武器は湯水のように湧き上がるアイデアでしたから、「言葉で使わずに考える」力はその間に大いに伸びたことでしょう。20の頃やってもできなかったけん玉ができるようになったのも当たり前のことなのかもしれません。

     逆にいえば、けん玉練習したら、アイデアが出るようになるのかもしれません!!

     

    《ワンポイントミライ》(

    ミライ: けん玉でこれだけ力説できるとは。

    フツクロウ: ホッホッホ。よほど嬉しかったんじゃろうの。
     
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