先日、第3回将棋電王戦の出場プロ棋士5人が発表されました。

 第3回将棋電王戦の出場プロ棋士5人が決定 「実力も話題もドラマもあるメンバー」 - ねとらぼ 

 事前に発表されたルールによると

 「第3回将棋電王戦」開催決定 A級棋士らが参戦、出場ソフトは統一ハードを使用 - ねとらぼ 
 出場ソフトは主催者側が用意した統一のハードウェアを使用するルールとなった。
など、いろいろ新しいルールができています。第2回では人間がぼろ負けだったので面白くなるよう調整されました。でも常連の東大GPS将棋はたくさんのコンピュータをつないで使うソフトなので、対戦ソフトを決める大会には出場しないようです。

 ところで、私は学生の頃明示的に教わって知ったので、知らない人いるのではないかと思うのですが、こんな風にスポーツや競技はレギュレーションが全てです。

 ですから、たとえば最近体罰が問題になっていますけど、もう単純に「体罰無しで誰が一番優れているか競う」というレギュレーションになったと割り切るしかありません。現場の声とか見てると、選手にも「強くなるには体罰も必要」と考えている人が少なからずありますが、体罰で強くなるかどうかなんてもう関係ありません。体罰は使わないというルールの中で誰が強いかを競うことになったのです。

 体罰を認める選手の中には、より純粋にスポーツを極めたいという気持ちが働くことがありますが、それも望んでも無理です。ではドーピングはどうでしょう。さまざまな身体接触に対するファールがありますが、どうでしょう。より純粋に強さを競うなら、ドーピングもファールも肯定的になることでしょう。純粋に強さを求めてしまうと、身体を壊したり殺しあいになってしまいます。みんなが、楽しく長くスポーツを楽しむために、レギュレーションはがちがちになっていくのです。

 純粋に強くなりたいなら、自然相手のがいいと思います。登山とか。10人に一人は死ぬルートとかあるみたいですし、つまりいくらでも難易度の高い挑戦ありますから。

 さて、コンピュータに戻りますが、将棋は事実上ハンデ無しで人間が勝てなくなってきたように、どんどんコンピュータが人間を追い抜いていきます。

 もしかして、人間っていらなくならないか? と不安になりませんか。

 でも当分は大丈夫です。なぜかいうとコンピュータは競うというモチベーションがいまのところありません。隣のコンピュータに勝ちたい!という気持ちがあれば、世界中のコンピュータが我こそがと競うことになり、そうなると人間まずいかもしれません。

 でも当分大丈夫です。なぜ人間は競いたがって、コンピュータは競わないか。それは人間は、