この問題、社会の壮大な勘違いだった?
いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める記事[S]です。前回も[S]でしたが、それは先週の分ということで。
こんな記事見ました。
「もう1人でも怖くない」 大学公認“ぼっち席”学食に広がる(産経新聞) - Y!ニュース
大テーブルに相席が基本だった大学の学生食堂で「ぼっち席」と呼ばれる1人用の席が広がっている。!!!
そっか、ぼっち飯が怖いんじゃなくて、ぼっちのときどこ座っていいかわかんないからぼっち飯が嫌なのか。
言われてみれば、そうです。私たち社会人だって、ぼっち席がない食堂よりぼっち席(カウンター)があるとこのか全然気が楽です。四人席でもぼっちたくさんとわかってる定食屋ならたいしてストレスないですけど、ちょっときどったとことかでテーブル席ばっかりだと「あり、ちょっと居場所なくね?」って落ち着かなくなりますしね。
学生の頃、普通に学食でぼっち飯食ってましたが、たしかに、どこに座るかというのは面倒臭い項目でした。
広い学食で、四人ずつのグループが並ぶ中、ぽつりぽつりと四人席に一人が点在してたら、お互い気まずくて当たり前です。今でもたまに仕事で一人で学食行くことありますが、慣れない学食で確かにどこに座るか途方にくれます。
この問題、もしかして、壮大な社会の勘違いだったんじゃないでしょうか。単に一人席の需要があるのに作っていなかった日本中の学食のとろさが問題だったと。
だってこれ、ぼっち席ができたからって、そこで食べればぼっちなのはばればれなんですから、「一人で食べてるとこを見られるのは恥ずかしい」みたいな問題があるとしたら、あんまり解決になってません。でも、そこがクリティカルではなく、単に、世間の食べるとこと同じように、一人で食べたい人が来るところには、一人で食べる場所が必要というだけだったんじゃないでしょうか。
だとしたら、この問題、社会という外野はぼっち飯に関して、的外れな分析をしていたことになります。まさにその記事のタイトルに「もう1人でも怖くない」と書いてありますけど、怖いとか怖くないとかでなく、単に、今の人は昔より空気読むのが上手になって、グループと一人のパッチワークができるのに敏感に居心地の悪さを感じるようになったからじゃないでしょうか。
もちろん大学で友達ができない人はいるし、それは問題なんですが、それに限って言うと、別に私が学生の頃だってそういうのって大きな問題でした。その頃の学生はみんなリア充でぼっち飯の心配する学生なんていなかった、なんてわけあるわけありません。