こんなコラムを見かけました。

 自分の欲望をしっかりと見極める、のは難しい - (チェコ好き)の日記 

 「現代人は自分の欲望がよくわかっていない」という話が書かれていますが、「自分の欲望がよくわからない」のはなにも今に始まったことに限らないというか、ずっとそうだったのではないでしょうか。

 自分の生まれた頃からしかわかりませんが、私の子供の頃たとえば70年代とかテレビのCMが最盛期で、みんなそのCMでむりやり需要を喚起させられて、それこそ大量消費時代と言われてました。個人的には今よりもっと「自分の欲望がよくわかっていない」時代だったと思います。

 テレビなどで見るテンプレートとしては1億総中流時代で、サラリーマンというものは、社宅に住み、主婦たちはお互い監視しあって、あそこは何々を手に入れただからうちもみたいなつばぜりあいをしているというイメージを植え付けられてました。都会に住んでたわけではないので、ほんとにそうだったのかはわからないのですが、「クラスのみんな持ってるから買ってよ」的な子供の世界だけでなく大人もそうなのかーと感じたものです。

 その後大学時代はバブル絶頂期で、『ぴあ』『Tokyo Walker』などの情報誌が全盛で、私たち学生はそういうのをつぶさにチェックして、流行を追いかけていました。まさに「自分の欲望がよくわかっていない」象徴のような行動をしていました。

 上のコラムでは、インターネットやSNSのせいで人は「自分の欲望がよくわからなくなった」と書かれていますが、情報源は変わるものの、昔から「自分の欲望を知る」のは難しいことなんだと思います。私の大好きな曲モダンチョキチョキズの『ピ ピカソ』(1997)でも、「ピーピピピピピカソもダビンチも/いいかどうかは自分で決める」とピカソやダビンチくらいでようやく自分の欲望を決められると20世紀にも歌っているのです。

 ですから、45年以上生きてる私も、さらには私より上の世代も「自分の欲望を知る」のが難しいことはよく知ってるし、学生時代のときだって、こんな情報誌に振り回されてる自分達ってどうよ、と思いながらも振り回されているのです。

 なんか超人気のイタ飯屋で、なんか味いまいちなんだけど、人気店だし自分の舌が変なんだろうかとか、ここ入ってみたいけど、載ってないとこだからだめなのかなあとか、不安いっぱいで行動しているわけです。

 そんな中でも「自分の欲望を知る」ために、一生懸命自分の感覚で食べて、たとえそれが世の中の評判と違おうとも、それを大切にして、歳を重ねるうちに、自分の鼻を効かせられるようになっていくわけです。今やまさに自分の五感だけを頼りにおいしいものにありつく『孤独のグルメ』の世界そのままをやれるようになるのです。勝率は井之頭五郎よりはるかに悪いですけど、外した分だけまた成長しているはずなのです!!

 ですから、元コラムで、「どうすれば、自分の欲望を把握できるのか」と問いかけ、短期間でもインターネットやSNSとのつながりを断とうと呼びかけているのは、すんなり納得出来る話です。自分の学生時代なら、「『ぴあ』『Tokyo Walker』を捨てろ!」という話だよなと。そんな情報誌なんか読まずに自分の五感で入る店決めて、自分の舌でおいしいかどうか判断しようという話だよなと。

 どの時代も「いいかどうか自分で決める」のは大変なのです。世代間で共有できる問題は共有して、これからの持続的社会にむけて、みんなで知恵を絞るといいのではないでしょうか。

 たとえばこの難しい問題も悩みを半減する方法があります。先のコラムは、その前身となる記事でも、

 消費じゃない「上質な暮らし」と、解釈じゃない批評 - (チェコ好き)の日記 

消費について深く踏み込んでいるのですが、そんな風にどんどん消費について踏み込むのでなく、