岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2017/12/26

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2015/12/27配信「毎週語れるスルメアニメ『おそ松さん』とキンコメ高橋逮捕」の内容をご紹介します。
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2015/12/27の内容一覧

質問:人間の価値は何で決まる?

「岡田さん的には人間の価値は何で決まりますか?」(コメント)

 人間の価値は何で決まるのかっていうのを話すのは大変難しいし、ひょっとしたら意味がないかもわかんないので、「どういうふうに考えるのか?」を話します。
 それで、考え方の両極端は外すね。
 まず右端。
 「人間になんか、価値があるワケねぇじゃんか!」「お前になんか、価値がねぇよ!」
 これを外す。
 左端。
 「人にはそれぞれ、価値があるんだ!」
 これも外す。

 両側とも意味がないから。
 そんな事、今さら言っても仕方がないから。
 もしくは、人類の歴史上100万回ぐらい言われているから、この2つは外すと。
 何が検討するべき事なのかというと、おそらく人間の価値というのは、まず1つ目、主体を自分に置いて、「私にとって他人の価値は何で決まるのか?」ってことになると思う。
 これは、どうしても僕らは「人間の価値は何で決まるのか?」って考えるときは自分たちを評価される側で考えるんだけども、最初に逆張りしてみるんだ。
 そうじゃなくて、「自分にとって他人をどういうふうに評価しているのか?」って考えてみると、当たり前なんだけど「自分にとって、どれぐらい有用であるか?」とか「自分にとってどれぐらいありがたい存在であったのか?」「自分にとってどれぐらい意味のある存在であったのか?」これだけで決まると。
 これは完全に自分のワガママっていうのかな、勝手に自分が決めるものだと。
 それで「世界」っていうのは、まずこの「私にとって、お前はこれぐらい役に立つよね」のネットワークだけで出来ているというふうに、考えれる。
 これが1つ目の人間の価値。
 「私にとって、あなたはどんなふうに価値がある」「あなたは全然価値がない」っていうふうに勝手に決めるもんだよね。

 で、次。
 よく出てくるのが、「周りにとっての私の価値」。これは、今言ったやつの裏返しだよね。
 どれぐらい周りの人の役に立ってるのか。
 具体的に言えば、親とか兄弟とか友達とか、仕事関係の人たちの役にたってるのか? っていう。
 自分が奉仕側として、お役に立てる存在であるのかっていうのを決めると。
 この1番目の「私にとって、誰かはどれぐらい役に立つのか?」っていうのは徹底的にワガママなんだけど、次の「私は周りにどれぐらい役に立ってるんだろうか?」っていうと、どちらかというとドMな方向に行っちゃうんだよね。
 いわゆる「一松」側に行ってしまって、「どうせ俺なんか」ってふうになってしまうと。
 最初の「まわりの人間がどれぐらい自分にとって価値があるのか?」っていうのはわりと「カラ松」的な発想で、「俺にとって、リスペクトできるやつは」とか「俺に何かインスピレーションを与えてくれるやつは」ってふうになってくるんだけども、2つ目のほうはちょっとM的になってしまって、「私は周りにとって、どれぐらい役に立っているんだろうか?」となってくると。

 で、3番目の人間の価値っていうのは、自分自身が「私にとって私はどうだったのか?」という過去形で聞くだよね。

 まず、1秒前までの自分を切り離して考えちゃうんだ。
 人間の価値っていうのは何で決まると思うのか? っていうのは、基本的には自分をもう今死んだモノとして考えるんだよ。

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