岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/01/01

あけましておめでとう! 岡田斗司夫です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今回は、2017/12/24配信「「知的になるためのエクササイズ」としてのアニメを語ります!」の内容をご紹介します。
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2017/12/24の内容一覧

クリスマスといえば、アポロ8号!

 で、まあ、今日のポイントはこの1冊です。『月へいくアポロ宇宙船』。これは、1968年に月の周回軌道を飛行したアポロ8号を扱った本なんですけども。これがすごく面白くて。
 目次を見たらですね、第1章と第2章はアポロ宇宙船の話なんですけども、第3章では「少年ブラウンの偉大な夢」ということで、サターンV型を作ったフォン・ブラウン博士のことを扱ってるんです。

(目次を見せる)

 わかるかな? その第1部のタイトルが「ロケットキチガイの少年」と書いてあります。今ではなかなか出版できないようなタイトルですね(笑)。

 この本には、アポロ8号のことが延々と書いてあるんです。
 特に、最終章でのNHKの人による解説がすごくて。「なぜ、米ソの月着陸競争にアメリカが勝てたのか?」ということについて、2つの理由を挙げているんですね。
 1つ目の理由は「システム工学の勝利」。「システム工学」というのは、小さな部品や人間のグループを集めて、大きな働きをさせることなんですけど。そんなことが子供向けの本に書いてあったんですね。
 もう1つの理由は「シミュレーターを完備していた」ということ。NASAでは、とにかくアポロの宇宙飛行士達が、宇宙に行った時に何一つ初めて遭遇する事態が起こらないように、退屈するくらい多くのパターンのシミュレーターというのを作って、同じ環境で何回も何回も訓練をさせた。
 「この2つがアメリカとソ連の決定的な違いだった」って書いてあったんです。

 さて、この本を通じて何の話をしようとしているかというと、このアポロ8号が月の周りを回ったのは、実は1968年の12月24日。ちょうど49年前のこの日なんですね。
 なので、その話をちょっとしたくて、アポロ8号についてまとめて参りました。もう、「宇宙に関してだったら、岡田斗司夫は止まらない!」というやつですね。
 日本中クリスマスの話題をやっている中、「クリスマスといえばアポロ8号だろ!」なんてやってる人は誰もいないと思うんですけど(笑)。

 アポロ8号を知る上でのポイントは3つです。
 まず、1つ目は「決死の宇宙飛行」。実は、かなり危なかったという話。2つ目は「大感動の生放送」。そして、3つ目は「なぜか訴えられて最高裁判所まで争うことになる」という、この3つの話をしようと思います。

 アポロ8号というのが、なぜ決死の宇宙飛行だったのかというと。
 まず、これは有名な話なんですけど、その1年ちょっと前の1967年の1月に、アポロ1号というのが火災事故にあったんです。その火災事故で、アメリカの宇宙開発の歴史上、初めて、宇宙飛行士3人が焼け死にました。
 この火災の原因自体は今では判明していて、その理由は「宇宙船内で電気がショートして、それが可燃物に燃え広がったから」です。アポロ宇宙船の中は、100%の酸素で満たされていたので、あっという間に火が回ってしまったんですね。
 その上、事故の起きる少し前に、「宇宙飛行士のミスによって、ドアが開いてしまう可能性がある」という意見がNASAの中であったので、ドアが開きにくくしてたんですね。

 このドアの件についても、いろんな事情がありました。この話については、このニコ生でも、今まで何度か語ってるんですけども。
 宇宙船が、まだ「宇宙カプセル」と呼ばれていた時代、つまり、マーキュリー計画の時代には、宇宙船のドアは外からボルトで止められていて、中から外せなくなっていたんですよ。
 しかし、それを見たプライドの高い宇宙飛行士達が「なんだこれは! どんなジェット機にも戦闘機にも、脱出ハッチというのがついているだろ! スイッチ1つでポンっと脱出できるやつを付けろ!」と言ったんですね。
 そうしたら、科学者達はせせら笑いながら、「いや、そんなのいらないよ。宇宙飛行なんて言ったところで、お前らはただ単に実験用の猿に過ぎないんだから、蓋を閉めて飛んで行って、帰ってきたら開けてやるので十分だ。カプセルにはエンジンも何も付いていないんだから、お前らが中で何をしようが、操縦なんてできないようなもんなんだ。だから、中で座ってりゃいいよ」っていうふうに言われた。
 ところが、プライドの高い宇宙飛行士達は、それにマスコミまで巻き込んで、猛抗議しました。「俺達はパイロットだ! まず操縦装置をつけろ! 窓をつけろ! ドアをつけろ! ドアには「爆発ボルト」と呼ばれる非常時にスイッチ押すだけで、ボンと爆発してドアが無理やり開く仕掛けをつけろ!」と言ったんですね。
 その運動は成功して、結局、後期のマーキュリー宇宙船には脱出ハッチがつけられたんですよ。
 ところが、そのおかげで、脱出装置の誤作動で爆発ボルトが開いてしまって、宇宙カプセルが1つ失われるという事故が起こってしまった。

「ガス・グリソム」(コメント)

 そう。今、コメントでも出た通り、ガス・グリソムの事件が起こった。

 なので、アポロ宇宙船では、もう一度、わざわざ宇宙飛行士が開けにくいドアに変えちゃったんですよ。こんなことが起こらないように。
 しかし、その結果、同じガス・グリソムが、アポロ1号の本番前のテストで、純酸素を満たした宇宙船の中に他の2人の宇宙飛行士と乗っている時に火災事故が起こり、脱出できなかったこの3人が死んでしまった。
 この火災事故のおかげで、アポロ計画というのは大幅に遅れたんですね。

 アポロ計画というのは、ジョン・F・ケネディが「60年代のうちに人類を月に送る」と約束してしまったせいで、69年のうちにどうにかして月に送らないといけなかったんです。
 そのために、マーキュリー計画から始まって、ジェミニ計画、アポロ計画というふうに3つ目の計画までポンポンと進んでいたんですけど。しかし、火災事故のせいで、この計画が大幅に遅れてしまった。
 そして、計画が大幅に遅れてしまったので、このアポロ8号の打ち上げでは、初めてのことが多過ぎだったんです。

 アポロ1号が事故を起こしてしまった。続く、アポロ2号アポロ3号というのは欠番です。そして、アポロ4号は、「サターンロケット」の初めての全力試験です。
 このサターンV型ロケットっていうのは、ちょっとここに簡単なおもちゃを持ってきたんですけども。

(ロケットの模型を見せる)

 まあ、これがサターンⅤ型ロケットですね。直径10m長さが110mの「人類が作った最も巨大なロケット」と言われてました。これのエンジン全開テストというのをやってなかったんですね。
 アポロ4号では、このサターンⅤ型の全開テスト、つまり「1段目を吹かして飛んで切り離して、2段目吹かして飛んで、3段目を吹かして飛んで~」というのを、全部やろうとしてやったんですよ。
 結局、飛行中に、燃料がタンクの中でガーッと動いてしまうなど、いろんな事故が起こって、3段目の点火まではできなかったんですけどね。
 おまけに、発射した時の衝撃が、予想していた計算結果よりも遥かに大きくて、発射場から6km離れた……6kmですよ? 6kmって、かなりの距離なんですけども。6km離れた場所で生中継を行っていたビルの報道ルームが壊れはじめて、解説を行っていたウォルター・クロンカイトという有名な解説者が、生放送の最中に窓ガラスが割れないように押さえていたという本当の話が残ってるくらいなんですよ。
 NASAも、まさかそんなことになるとは思ってなかったんで、「これはエラいことだ」と、以後、発射台の下に水を張って衝撃波を吸収するようにしました。
 それくらい、わけがわからない中で行われたのが、アポロ4号の打ち上げです。

 その次のアポロ5号でも、まだ、ロケットの先端に収まっている月着陸船の、無人の打ち上げテスト。6号でも、まだ無人です。
 そして、アポロ7号で初めて、「この巨大なロケットのてっぺんに人を乗せて、宇宙空間に持っていっても大丈夫か?」という試験をした。
 その次が、アポロ8号なんですよ。

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