岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/07/30

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2018/07/22配信「戦後日本のおもちゃ産業と、『トランスフォーマー』の大出世!」の内容をご紹介します。
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2018/07/22の内容一覧

コールガールの人形から生まれた「バービー」がアメリカの玩具を変えた!

 1945年、戦争にボロ負けした日本に進駐軍としてやってきたGHQは、今後、日本という国を二度と戦争を起こさないような国に改造しようとしました。
 まあ、GHQの目的がそれだけだったら、ただ単に「ベトナムみたいにすべてを焼き払って、農業しかないような国にしちゃえ!」という作戦でも良かったんですけども。
 ところが、日本にGHQが進駐してきた直後くらいから、朝鮮半島の情勢が怪しくなってきたんです。次に、同じ連合国側だったソ連や中国との関係が、ちょっと微妙になってきてしまった。
 なので、日本にも、朝鮮とかソ連に対する基地の役割というのを持たせて、「アジア防衛」というのを考えなきゃいけなくなったんです。
 そのためには、日本を経済的に発展させなくてはなりません。しかし、だからといって、軍事化はあまりさせたくない。
 こういうのが、当時のアメリカの考えだったわけですね。

 ところが、日本を経済的に発展させようにも、日本の重工業というのは、概ね爆撃しつくされて、ベースになるインフラ自体がなくなってしまっている。おまけに財閥も解体しちゃった。
 なので、「どうやって日本を経済発展させようか?」となっていたわけですね。
 その結果、「とりあえず、小さいところから始めよう」ということで、アメリカが積極的に援助したのが「繊維産業」と「玩具」だったんです。
 この繊維産業については、『アオイホノオ』でも描かれている通り、僕自身の実家が刺繍屋だったものですから、「当時の繊維産業がどのように発展していったのか?」というのはよく知っていたんですけども。もう1つが玩具だったんですね。

 日本に進駐していた米軍は、とにかく大量に缶詰を食うんですよね。日本では、西洋風の料理がそんなに手に入らなかったから。
 この缶詰の空き缶は、ブリキで出来ていたんです。鉄の上から錫のメッキを施された物をブリキというんですけども。このブリキというのは、オモチャを作るのにちょうどいい材料だったんです。

(中略)

 当時の日本は、こうやって安いブリキのオモチャを作ったり、他にも、安い洋服を作って、アメリカに輸出して、これでようやっと敗戦のどん底のところから経済復興のステップに入っていきました。
 その結果、1951年には、なんとか「サンフランシスコ講和条約」というのが結ばれて、占領が終わり、日本は再び独立国になりました。
 おめでとう日本!

 ということで、ちょうどその頃、勝ったアメリカでは何が起きていたのか?
 ということで、今度はアメリカに話が行きます。

 アメリカの玩具メーカーに「マテル」という会社がありました。
 このマテルという会社の社長の、ハンドラー夫妻がスイスに行った際に、娘のバーバラにお土産を買おうと見ていると、「リリー人形」というカッコいい人形を見つけたんです。
(パネルを見せる)
 女の子を模した人形なんですけど、大人っぽくて、大きさも30cmくらいあるんですね。
 当時のアメリカでは「母性を刺激するようなオモチャがいいオモチャだ」と言われていたので、とりあえずアメリカ中の女の子が持っていた人形というのは、赤ちゃんの人形しかなかったんです。
 そんな中、リリーというメッチャカッコいい大人の人形を見た、ハンドラー夫妻は「これだわ!」と持って帰りました。

 このリリー人形というのは、実は日本と同じく戦争に負けたドイツの商品で、「ビルト」というドイツの三流新聞の1コマ漫画に出てくるコールガール、つまり、売春婦のキャラクターを模した人形だったんですよ。
 このコールガール人形は、本来、飲み屋のテーブルとかに飾ったり、あとは、ちょっと気になっている女の子にプレゼントして、「もう! これ、コールガールの人形じゃない! いやあね、エッチ!」「まあまあ」みたいな話題にするために売っていたと言われているんですよ。
 だけど、そんなことなど全然知らないハンドラー夫妻は、当初はこれを娘のバーバラにあげようとしたんですけど、「これ、ちょっとカッコいいんじゃない?」ということで、マテル社の商品としてアメリカで売ってみることにしたんです。
 そして、この人形に、娘のバーバラの名前にちなんで「バービー」という名前を付けて、アメリカで売り出したわけですね。

 ところが、こんな人形をアメリカで作るとなると高く付く。だって、これ、服も布で出来ているんですよ。
 その結果、「どこかの国で作った方が安いんだけど、こういう人形を精密に作れて、おまけに服とかもちゃんと縫って作れる国はどこかないか?」ということになり、当時「オモチャとアパレル製品なら、なんでも安く作りまっせ!」と言っていた日本がバッチリだということで、マテル社は日本に、この人形を大量に発注することになりました。日本の玩具問屋の「国際貿易」というところに話を持ちかけて、開発から生産から全部依頼するんですね。

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