岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/12/25

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2018/11/25配信「【アポロ月着陸50周年記念】アポロ計画と4人の大統領+『2001年宇宙の旅』」の内容をご紹介します。
岡田斗司夫アーカイブチャンネルの会員は、限定放送を含むニコ生ゼミの動画およびテキスト、Webコラムやインタビュー記事、過去のイベント動画などのコンテンツをアーカイブサイトで自由にご覧いただけます。
サイトにアクセスするためのパスワードは、メール末尾に記載しています(2018年12月1日より新サイトに移行しURLが変更されました。これに伴い、ログイン画面も変更されています。詳しくはメール末尾の注意事項をご覧ください)
(※ご注意:アーカイブサイトにアクセスするためには、この「メルマガ専用 岡田斗司夫アーカイブ」、「岡田斗司夫 独演・講義チャンネル」、DMMオンラインサロン「岡田斗司夫ゼミ室」のいずれかの会員である必要があります。チャンネルに入会せずに過去のメルマガを単品購入されてもアーカイブサイトはご利用いただけませんのでご注意ください)

2018/11/25の内容一覧


冷戦と4人の大統領「アイゼンハワーとスプートニク・ショック」

 スターリンが倒れて、ソ連の新しい指導者として、ニキータ・フルシチョフがトップに立ちました。
 フルシチョフは、財政が破綻しているソ連を立て直そうとして、なんとか安くて効果的な兵器を探していました。第2次大戦に勝って、その後のスターリン体制で調子こいてた軍部は、ただただ人数を増やそうとしていたからです。
 もう、こんなことでは、ソ連の経済5カ年計画、西側の経済成長に追いつけという目標は絶対達成しそうにない。なんとか軍を縮小とまでは言わないまでも、軍事費用を安くする方法はないものか? アメリカは、ソ連を包囲するために、核兵器をいっぱい積んだB-52爆撃機をソ連との国境付近に24時間飛ばしている。この包囲体制を突破できる方法はないものだろうか?
 それが「核ミサイル」という方法だったんですね。「核爆弾を積んだミサイルでアメリカを直接攻撃してしまおう。これは安くつく」と言われたフルシチョフは、「ほう」と思ったんですね。
 「しかし、この原爆を作るのにも、ミサイルを作るのにも金が掛かる。もっと安くて簡単な方法があります」と、ソ連のロケット科学者コロリョフは言いました。
 「電波を出す機械を宇宙に打ち上げるんです。それをアメリカの上空で、1時間半間隔でエンドレスでグルグル回したら、彼らは恐怖に震え上がるでしょう。これを「人工衛星」と言います。名前も考えています。「スプートニク」です」と。
 そう言われたフルシチョフは「それ、いいね」ということで、これを承認したんですね。

 こういった計画を、まるで24時間アニメを作った時の手塚治虫のように、たった1人で全部考えていたコロリョフは、手塚治虫と同じく、やっぱり身体を悪くして早くに死んじゃうんですけど。
 このコロリョフのアイデアを、フルシチョフは気に入って、今から話をする1957年の10月に、世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げました。
 ここまでが、9月30日に話したお話です。

 1957年、僕が生まれる1年前の10月に、人工衛星が打ち上がった時には、もう本当に世界中で大パニックでした。
(パネルを見せる)
 これ、当時の松竹映画のポスターなんですけど。『特報!ソ連人工衛星』というタイトルの映画が公開されたくらいなんですよ。
 これは完全なソ連のプロパガンダ映画で「ソ連がやっていることはこんなにすごいんだ! ほら、我々は犬まで乗せて宇宙カプセル上げちゃってるよ?」という宣伝映画なんですけど、もう大ヒットしたんですね。

 フルシチョフの目論見どおり、世界中は大パニックになりました。特にアメリカが受けたショックは凄まじかったです。
 だけど、実は当時、アメリカの方がロケット開発は進んでたんです。ドイツから亡命していたフォン・ブラウン博士をはじめとする数百人のナチスドイツの科学者もいたし、無傷で手に入れたV-Ⅱロケットや機材がいっぱいあったからですね。
 でも、それらは、アラバマ州のハンツビルという、ド田舎のレッドストーン工廠というところに閉じ込められていたんです。
 アラバマというのは、『紅の豚』のカーチスのおふくろがいるところですね。「アラバマのおふくろ、待っててくれよ!」なんて、いわゆる田舎の代名詞として使われるような土地です。日本で言うと、どこなのかな? 島根かな? あの辺だと思ってください。
 そんな田舎にフォン・ブラウンチームは閉じ込めれて、一切のロケット開発が許されなかったんですね。ドイツのV-Ⅱ号を組み立てて打ち上げる実験までは許されていたんですけど、新しいロケットを開発することを許されてなかった。
 なぜかというと、その答えはアイゼンハワー大統領なんです。

 ドワイト・アイゼンハワーは、1950年代のアメリカの大統領です。
 ノルマンディー上陸作戦を成功させたアメリカ陸軍の将軍で、戦後、アメリカの大統領になりました。

 彼は、現実主義者であり、近年の研究では「実はアメリカの歴史上で最高の大統領だった」と言われています。
 この人からケネディに代わった時は、ケネディのいわゆる「新しい政策」というのがすごくウケていたので、逆にアイゼンハワーは「何もしなかった大統領だ」と当時は言われたんですけど。最近の研究での評価は真逆で「悪くなろうとしているアメリカを、ほとんど1人で止めていたような大統領」ということになっています。
 例えば、第2次大戦が終わろうとしている1945年の7月、日本軍の敗北がもう決定的となり、あとは時間の問題になっている時に、トルーマン大統領が日本への原爆投下というのを考えていました。軍部の方も、それで押してます。
 それに対して、アイゼンハワーは、1人で「原爆を使うな!」というふうに大統領に進言しています。「そんなことをしなくても戦争は終わる。原爆なんか使ってもしょうがない。それをやっても、戦後の占領政策がややこしくなるだけだ」と。

(続きはアーカイブサイトでご覧ください)

アーカイブサイトへのアクセス方法

限定放送を含むニコ生ゼミの動画およびテキスト、Webコラムやインタビュー記事、過去のイベント動画など、岡田斗司夫のコンテンツを下記のアーカイブサイトからご覧いただけます。